「東京の交通100年博」の模型コーナーに店番しているとき、ある年配の女性に声をかけられた。
自分は浅草、稲荷町のあたりに住んでいたけど、その裏に竹町っていう停留所があってそこから都電に乗っていたのよという。そこで、気を利かせるつもりで、ガイドブックを持ってきて
全盛期の頃(昭和41年当時)の都電路線図を見せたのだが・・・「竹町ってないわね」
たしかに、女性のおっしゃったところに都電は走っているが、竹町という停留所はない。私の勘違いだったのかしらと、その方は帰られた。
しかし、ついこの間、別の路面電車に関する雑誌を読んでいたら、またしても都電の路線図が載っているページを見つけた。これは昭和32年当時の路線図だった。
まさしく稲荷町の真裏にある。あの女性の記憶は正しかったんだ。さらによく見ると、その前後の停留所も名称ががらりと変わっている。なんてこった!!
昨夜見た「空から日本を・・・」で、上野を特集していたが、その中で焼け野原の御徒町(竹町)として写真で紹介されてたから、これはもう間違いないと。
地図でも確認したら、今のつくばエクスプレスと都営大江戸線の新御徒町駅付近、住所でいうと台東4丁目のあたりが、当時竹町と呼ばれていたようだ。
町の名称は消えてしまったのかと思って地図を見ると、近所の公園や幼稚園に町名がそのまま残されていた。竹町は今も生きている。
あぁあの方にこのことを教えてあげたい。しかし、博物館にもう一度来てくれるかどうか・・・?