アメリカの大学内で銃乱射事件がおき、過去最悪の犠牲者を出したという事件に驚くいとまもなく、ここ日本でも、つい先ほどTVを見て驚いたのだが、長崎市長が銃撃を受けて瀕死の状態に・・・!連鎖しているとは言いたくないが、こういう事件を見てしまうと、やるせなさ、むなしさ、無力感しか残らない。一体なぜだろう?
長崎市といえば、前任の本島市長も銃撃を受けて重態になったことがある。このときの理由は、市長が天皇にも戦争責任がある、のようなことを発言したことが事件の引き金になった、と社会科の授業で習った記憶がある。人と違う意見、とりわけ政治をつかさどる者の意見に、賛同するでも反発するでもなく、有無を言わさず暴力によって封じ込めてしまう、卑怯、という言葉しかうかばない。
かといって、今の日本の政治はというと、ニュースを見れば政党同士が馴れ合いで不祥事議員をかばいあい、有権者の目を恐れるあまりせっかく建てた議員宿舎にも入れない。きれいごとを言う政治家が多すぎて、誰も本音を言っていない気がする。それでこの国の安全が保てるというなら、まぁそれでもいいかもしれないが・・・。
(この話はまたいつかやります)