なんと!、早くもデアゴスティーニのHPに全国創刊として掲載されました!
3月19日(火) 「週刊 YAMAHA YZR-M1」全国創刊!
週刊 YAMAHA YZR-M1 バレンティーノ・ロッシ モデル
https://deagostini.jp/yzr/
先行販売版の創刊が「勇み足」の印象を受けていますが、
全国版が同じ事にならないよう祈っています。(*>人<*)
konaki。
速報でお知らせした「週刊 ゴジラをつくる」の先行販売版ですが、
公式ホームページの定期購読にて・・・
「週刊 ゴジラをつくる」は岡山・香川・福岡限定の先行販売商品となります。
岡山・香川・福岡以外の地域の方はご購入いただけません。何卒ご了承ください。
https://deagostini.jp/gotd1/order_series.php
となってしまいました。
とはいうものの、おそらくですがかなりの反響があったのではないかと。o(^-^)o
なので konaki。はおとなしく全国創刊を待つことにします。
konaki。
いつもならシリーズガイドなど色々見ていくのですが、
既に5号まで発売されていることもあり、組み立てを始めます。
が、ここでちょっと気付いたことが。
このYZRは海外で先に刊行されているので日本オリジナルではありません。
と言うことで、イタリア版の第1号で提供されるのは・・・
なんと、フロントカウルだけ。
と言うことは、デアゴスティーニ・ジャパンとしても、
「海外物をまんま出せばいいや」ではないと思ったのかも?
と、好意的に受け止めました。
ただ、パーツの名称が酷い。( ゚Д゚; )
そして、タイトルも「フロントフェアリング/ブレーキキャリパー1」となっていますが、
第1号で「ブレーキキャリパー」は保管パーツです。
どこか慌てて創刊しちゃいました感が満載です。
なので、こういうところが全国版で直っていると良いなぁ。
と、期待も込めて応援します。
ということで「キャリパーブラケットバックカバー」の2本のピンを、
「キャリパーブラケットカバー」の穴に差し込み取り付けます。
カバーって、何なん?
細いピンなので、まっすぐ慎重に差し込みます。
取り付け完了。
「キャリパーブラケット」の穴に「リザーバータンク」を差し込みます。
が、これ「リザーバータンク」ではないと思いますし、実車では金ピカパーツです。(。-`ω´-)ンー…
なので、あまり格好良くないです。
続いて「キャリパーブラケットナット1」と「キャリパーブラケットナット2」を取り付けるのですが、
「キャリパーブラケットナット」ってなんですか?(゚Д゚)
気を取り直して、パーツの裏は段差のある凸になっているので、凹に合わせてはめ込みます。
ん?ここまでしか入りません。この隙間は何?
次の組立てで合わせるパーツには凸があります。
ということは、この隙間はダメです。
凹の部分をヤスリがけ。
隙間がなくなった事を確認して、瞬着で接着します。
これでパーツもぴったり取り付けられます。
凹凸が気持ちよくかみ合いました。
今号の完成です。
保管パーツのブレーキキャリパーは2つに分割されています。
ここからは後の号の先取りで、パーツを合わせます。
キャリパーブラケットに取り付けました。
やっぱり「リザーバータンクが見劣りします。(´ε`; )
ちなみに、調べてみるとこのパーツはフロントフォークの動作に関わる部分で、
OHLINS(オーリンズ)のフロントフォークでは「ナット(?)」とともにこだわりポイントだと思います。
気分転換。もう一つの保管パーツが「フロントカウル」です。
ロッシの定番「46」が誇らしげ。o(^-^)o
さぁ、次は第2号を作るぞ!と、意気込んでいたら・・・(つづく)
konaki。
さて、その後漫画やアニメ、特撮ものは卒業して久しい2000年12月。
39歳の時に「東京マルイ」が「R/Cゴジラ」を発表していました。
ただ、当時はそんなに大きな話題になった記憶がなかったので、
今回新たに徘徊してみたら、こんなところに巡り会ってしまいました。
国内で随一東京マルイのR/Cゴジラ&モスラを修理する会社です【工房】
株式会社BFC ゴジラ修理工房
http://bfc-ne.jp/page6.html
(無断リンクです)
株式会社BFCラジコン模型事業部ラジコン零様より承認頂きました。(2/18)
このHPで初めて「シリーズもの」だったと知りました。
未発売のキングギドラに興味津々!
ということで、「東京マルイのゴジラ」は1/100スケール。
対してデアゴのゴジラは1/87スケール。
おそらく並べてみるとこんな感じではないかと。
造形については好みの問題(?)もあるかと思いますが、
konaki。が注目したのは「脚」です。
ともに4本詰めですが、デアゴ版は親指がぐっと内側に入っていて、大地に脚を踏ん張ってます。
ほんとにささやかな違いなのですが、
konaki。にとってのチャームポイント(!)だったりします。
う~ん、これまた応援したくなってきました。(;^^)ヘ..
konaki。
konaki。が覚えている特撮は、
1966年1月2日から7月3日までテレビで放送されたウルトラQで、
自身が4歳から5歳の時です。
勿論全27話を覚えている訳はなく、いろんな色の絵の具・・・、
といっても白黒テレビで看ていたのでコントラストの違う絵の具が、
ぐるぐる回りながら「ウルトラQ」というタイトルになることと、
「カネゴン」のことを覚えているだけです。
「カネゴン」のちゃんとしたストーリーすら覚えていませんが、
「ちょっと悲しい気持ち」になったことは覚えていて、
1966年11月9日から放送された「快獣ブースカ」とはなにか違いました。
そんな中で幼稚園や小学生低学年をウルトラマンやウルトラセブンで過ごした訳で、
円谷プロの特撮に(当たり前ですが)夢中でした。
当時konaki。は円谷プロ(砧)があった世田谷区に住んでいて、
それがあってかどうかは判りませんが、ポインターの実車を看たことがある事、
密かな自慢です。(≧∀≦)
そして、小学生高学年になるにつれて「特撮」に興味を持ち、
「ゴジラ」や「ガメラ」を(もちろん大魔神も)知ることになります。
ただ、そういった特撮がシリーズ化されることに興味がなく、
ウルトラマンも「帰ってきたウルトラマン」は看る事はなく、
「ウルトラマンA」までとなってしまいました。
実は「ウルトラマンA」は北斗星司と南夕子による男女合体変身という斬新なものだったのですが、
様々な大人の事情(?)により南夕子は途中降板します。
そして、勿論当時はエロいことは微塵も考えていないはずですが、
konaki。のウルトラマンもそこまでになってしまいました。
といっても天の邪鬼なkonaki。です。
仮面ライダーをちゃんと看たのはV3やアマゾンです。(;^^)ヘ..
それまではキカイダーやバロム1、怪傑ライオン丸に夢中でした。
(幼い記憶なので放映時期の整合性はとれていないです)
おっと、閑話休題。
ということで、ゴジラの映画(最近のシン・ゴジラ含め)をちゃんと観たことがありませんが、
やっぱり初代ゴジラにはなにか「特別な想い」を感じいてしまいます。
そんなこんなで、今回の「週刊 ゴジラをつくる」が気になって仕方ありません。
ということで、“ゴジラ”に寄せる想い。は ~承~に続きます。
konaki。