注)今回の記事で著作権の兼ね合いがあるので画像は掲載しませんが、
ググればいろいろと出てきます。
2023年〈令和5年〉2月13日、松本零士先生が亡くなられました。
konaki。は1971年の「男おいどん」で認知しましたが、
当時10歳なので「サルマタケ」をはじめとする「ダメな若い大人」のイメージで、
その後松本零士先生の名前を耳にしたのが「劇場版 さらば宇宙戦艦ヤマト」です。
TV版が放映された1974年は中学生で、
そもそも子供から大人への移行期だったのでアニメに興味はなかったですが、
実はこの頃、アニメの原作が青年向けコミックが移行されていた時期で、
「宇宙戦艦ヤマト」や「ルパン三世」、「機動戦士ガンダム」などが放映されて、
いずれも視聴率低迷で打ち切りになっていた頃です。
あ、もちろんkonaki。も視聴していませんでしたが、
1978年に公開された「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」は衝撃的でした。
当時高校2年生で、漫画やアニメからは距離を置いていたはずなのに、
なんで劇場に見に行ったのか?
そしてはまり、当時入れ替えのなかった劇場で最多4回を、
数日続けて観たほどです。(;^^)ヘ..
「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」では主人公の古代進までが特攻し、
エンディングではジュリーの歌と伴に「さようなら」のテロップが出て、
本当に(作品としても)「さらば」(なはず)でした。
とは言うものの「宇宙戦艦ヤマト」の人気は収まらず、
結果続編の制作により「さらば」はなかったことになってしまいましたが、
konaki。の「宇宙戦艦ヤマト」は「さらば」で完結しました。
閑話休題。
松本零士先生の訃報に際しお悔やみ申し上げることに変わりはありません。
ですが代表作として「宇宙戦艦ヤマトの原作者」とアナウンスされることに違和感があります。
宇宙戦艦ヤマトシリーズ#知的財産権に関する特記
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99%E6%88%A6%E8%89%A6%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA#%E7%9F%A5%E7%9A%84%E8%B2%A1%E7%94%A3%E6%A8%A9%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E7%89%B9%E8%A8%98
もちろん当時は「銀河鉄道999」や「キャプテンハーロック」などで宇宙ものを手がけていましたし、ガミラス戦艦のデザインは秀逸です。
何よりキャラデを担当しているので、女性陣はメーテルの様に美形です。
>当時の漫画家さんって作風により女性の描き方にも個性がありましたが、
>今になって思うと、やっぱりkonaki。は石ノ森章太郎先生の女性が好きです。(。-艸・。)
これ、松本零士先生をディスってはいませんし、
メーテルは大好きなので銀河鉄道999はあらためて記事にしたいです。
もちろん松本零士先生の訃報は残念でならないのですが
やっぱり「宇宙戦艦ヤマト」の原作者ではないことは、
きちんと認識してもらいたいかなと。
(大きなお世話かも)
その実松本零士先生は「さらば宇宙戦艦ヤマト」の制作に際し、
特攻をイメージさせることから反対の意見を述べられていたようです。
でも実際に映画館で鑑賞したとき、
斉藤や真田さんが身を捨てて戦う姿に本当に涙しましたし、
「戦争ってやっぱりダメだ」と思いました。
この事、深掘りは後の話題にしますが、
小学校低学年で「はだしのゲン」を観たときと同じ様に、
「触れたからこそ得られる感情」です。
改めてですが、
松本零士先生は「宇宙戦艦ヤマト」の原作者ではありませんが、
「スター・ウォーズ」のジョージ・ルーカスの様に、
スペースファンタジーの世界観を樹立した原作者のお一人で、
その中でも「メーテル」の存在は神秘性もあり素晴らしいです。
(*^o^*)
konaki。