近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
会の様子や文学的な話題をお届けします。

芥川龍之介「魔術」

2011-06-07 23:40:53 | Weblog
皆様こんばんは、いしがみです!


6月6日に行った芥川龍之介「魔術」の発表について記載します。
発表者は西村先輩といしがみ、司会はT先輩です。

まずどのように論じられてきた作品であるかということ。
そして魔術という言葉の定義について触れ、当時の方々が魔術という言葉を、
どのように感じていたのか読売新聞の記事などを挙げてご説明しました。

そして、先行研究で論じられている「3つの魔術」という言葉を足掛かりに、
視覚の魔術、心理の魔術、語りの魔術という分野に分けて本文分析をすすめていきました。

その結果、「3つの魔術」は独立しているのではなく作用しあっていることが分かりました。
作品で描かれた情景は私の欲が呼び寄せたものであるしミスラ君の魔術が呼び寄せたものでもある。色々なものが重なり合って「魔術」という作品は成り立っているとの見解に至りました。

ご質問頂いた内容と致しましては「魔術は催眠術に近いものなのでは」「ミスラ君は愉快犯のように見える」「ミスラ君に欲がないとするなら印度の独立を望んでいる部分はどう思うのか」「改変という言葉を使用している意味合いについて」等のお言葉を頂戴致しました。

ご意見、アドバイスも沢山頂きました!「ダブルバインドという言葉が難しい」「谷崎の「ハッサン・カンの妖術」との比較をやると良い、そうすれば芥川がどういう意識で向き合ったかを読み取れるのでは」「たとえば芥川の中ではヂンはいないことになっている、そこにも意味があるかもしれない」「芥川の中では新しい知識とバラモンの古い秘法を持っているけれど苦悩は見えない」「(ハッサン・カンとからめて)愛国者であるミスラ君にとっては魔術自体が自分のアイデンティティだとも言えるのでは」「ミスラ君にとっての魔術と私にとっての魔術の意味合いというものは違ってくる」などの貴重なお言葉ありがとうございます!!!
全体的には、典拠とされている「ハッサン・カンの妖術」との比較を行った方が良いというアドバイスを多数頂きました。

本文にそって研究することは読みを狭めてしまうことにもなりかねないのだと痛感し、
7月の「杜子春」の発表ではもっと広い視野で典拠との比較をしていきます。
一緒に発表をして下さった西村先輩、司会のT先輩、近代日本文学研究会の皆様に
心からお礼を申し上げます。


皆様とお会いできることが嬉しいです!夏の合宿も楽しみにしております。
来週の読書会は円地文子さんの「妖」です。
それでは失礼致します。

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