土曜、日曜と好天に恵まれ、いろんなことがあった。
名古屋の山本楽器(アコーディオン専門店)創設者、山本章さんの訃報が、土曜の朝から入り始め、
お寺を確認したり、お悔やみ電報を打ったりして、大通り3丁目に走った。
原子力発電に反対する人々の集会に参加し、アコーディオンを弾き続けた。
私としては、名古屋にお招きいただいた時、お世話になった方々、また、はじめてお会いした山本さんの
優しいお人柄に触れた、あの頃のことを思い出しながら、「名古屋に届け!!・・・」とばかりに、
弾いていた、背中に大きな原子力発電反対の横断幕を背負ってたので・・・?、道行く人々の反応は冷ややか(無関心)だった。
日曜日は、朝から健康診断に出かけ、血液を4本抜き取られた、検尿、眼底、心電図、レントゲン・・・とお決まりのコース。
3週間後には、結果が出るので、また、大きな病院に行って「精密検査しなさい!!」と言われるだろう・・・・。
午後からは、同じ区民センターで、20:00時過ぎまでレッスン。
最後は、手風琴倶楽部の久しぶりの練習だった。
今年は、春から同じ曲を集中して練習しているので、まとまりが出て来た。
音も聞こえ、そろえられるように『やっと』なって来た。
アンサンブルは難しい。
今日は、午前中、映画「チェルノブイリハート」をTOMOKOさんと見に行った。
その映画を見て、言葉を無くし、暗闇の中で、わけも無く泣いていた。
チェルノブイリの原子力発電所事故から25年の時が流れている、にもかかわらず
人々、特に子ども達(当時:子どもだった人々を含めて)への、放射能が原因とされる病気(様々な障害を含む)の進行が
「凄まじかった」『ここに来て』心臓に障害『チェルノブイリハート』を持つ子ども達が、沢山生まれて来ている。
映画は、60分、淡々とした口調で語られて行く。
映画を見た後、「これからなんだ・・・・!!!」「まだ、何も、はじまっていないのかも知れない」・・と暗澹たる気持ちに追いやられた。
あの映画を見て、一人ぽっちでも、みんな無関心でも、絶対原子力発電所には反対しようと思った。
友人・知人・取引先、親兄弟、親戚、お世話になった人々に、電力会社の人がいたとしても、
原子力発電所には反対しようと思った。
内部被爆、食物から放射性物質の体内への蓄積、海への非常に高いレベルの放射能垂れ流し、何事もなかったのように、あまり表に出てこない。
この国の暫定基準値500ベクレル、120~87(456~423)ベクレルのお米、キノコ、木の実(ジャム)ほうれん草、etc・etc・を毎日食べ続けたらどうなるのか?
特に、子ども達はどうなるのか・・・・・・・・・。
かの国のかの地域に住む、高校生たちが証明してくれている。
そう・・・・だれも、いつもいつも放射能のこと、原子力発電所のこと・・・を書きたい、考えたいとは思わない。
25年後と言えば、いま60歳の人々が何人生き残っているのだろうか・・・・?
そのころから「福島の心臓」を持つ子ども達が生まれはじめる、
海は既に取り返しのつかない状態に追い込まれているだろう。
このままでは、子ども達を守れない。
私たち中高年でさえ、このショック。若い子たちはどう受け止めてるのか、よく分かりません。なんと伝えたらいいのか・・伝えるべきなのかも分からなくなっています。
自分に出来る唯一のことは『泊を何とか止める』ために何かをし続けることのみと思っています。
お疲れさまです。
チェルノブイリハート見ました。
昔、教育的配慮がなされた?文科省お墨付きの映画を
小学校とかの講堂で皆で見た記憶があります。
授業が無いので嬉しかったけど・・・・。
原子力発電所の現実と未来を考えるためにも、
この国の未来を担うことになる子ども達の「ため」にも、
チェルノブイリハートを文科省から「お墨付き」いただき、
全国の小中高(学校)で上映しようと、「アホ」なことを
考えていました。
文科省から「お墨付き」はもらえないと思うけど、
私は大学で、真実を追究する為に「勉強」するのだ!!・・と
叩き込まれました。でも「真実」っていっぱいあるのだということも
思い知らされました。
でも、アレみたら「こんなことしたらアカンワ」という「思い」を
どなたさまも抱くようになる「理由なしに」と思いました。
ショックでした。