時々
轍・ぐしゃぐしゃで酷かった、町内の道路を深夜、重機でガリガリ削って行ってくれた、
深夜にもかかわらず、町内全体に「ガリガリ」は轟渡った、
これで、車のすれ違いも楽になるよ、
今日は、これから気温が下がって、湿った雪が降ると、天気予報は伝えている、
昨日、屋根のルーフヒーティング・電源を落とした、もう、積もっても日中融ける、
今回の沖縄は、橋も沢山渡ったし、いろんな海の景色を眺める事が出来た、
水族館の手前、瀬底島のビーチには、明らかに工事が途中でストップしている巨大なリゾートホテルに遭遇し、驚かされた、
構造物は7割程度、工事が進んだところで、鉄骨がむき出しになり、潮風にさらされていた、
そう言えば、ニセコでも、鳴り物入りで、巨大リゾートホテル・コンドミニアムの建設が計画され、住民説明会まで開かれたけれど、
資金の流れがストップして、樹木の伐採だけ行われた地域があった、
那覇を中心にして嘉手納辺りまで「交通量」は非常に多い、小さな渋滞が発生する程、
国道58号線は片側3車線(だっけ)車がびっしり走っている、嘉手納を越えると名護までは普通で、
それから北部・大宜味(おおぎみ)辺りまで走ると交通量は少ない、
そして、東海岸に出ると、国道331号線、辺野古辺りまでは寒村が続く、
辺野古の街は、至る所で普天間飛行場移設反対の看板を見かけた、
畑の畦に車を乗り入れて「辺野古の海」も眺めて来た、
宜野湾市・普天間飛行場の前では、今でも、移設反対を訴える人々がプラカードを掲げて、座り込みを続けている、
42年前、嘉手納米軍基地・ゲートの前には、ヴェトナム戦争反対を訴える人々の集団が、大挙押し寄せていたことを思い出す、
嘉手納米空軍基地は3700mの滑走路を2本持ち、200機の軍用機が常駐する極東最大の空軍基地、
面積は大凡,嘉手納町の80%を占有し(19.95Km2) 滑走路は、成田国際空港・関西国際空港と遜色なく、面積は羽田の2倍、
昔?スペースシャトルの緊急着陸地に指定されていた、最近、嘉手納の弾薬庫に200発の核弾頭が保管されているとする、
取材記事が報告されている、
有事?の際には、原子力発電所から伸びる「送電線の鉄塔」と嘉手納の「弾薬庫」が真っ先に狙われるのだろう・・・・物騒な話しだ。
摩文仁の丘から眺める海は静かで美しかった、42年前と何も変わらない、
1945年、この海(海面)が見えなくなるほど、喜屋武岬沖に、米軍艦艇が集結し読谷村(沖縄中部)の浜から米軍の上陸作戦が敢行された・・・と教えられる、
今は、美しい?「平和公園」だけれど・・・この国の要人(重要な地位にある人)は、広島の原爆ドームの前で、手をあわせ、摩文仁の丘の慰霊塔の前でも
手を合わせるのだろう・・・・「何を!!・・」誓うのか・・・・国会の答弁を聞いていて、口先だけの「平和」に白々しく夜が明けるのは、私だけか・・・?!
それでも私達は目の前に「札束」を積まれたら「うん」と言うのだろうか・・・
諸外国のプレスの前で「汚染水は完全にコントロールされている!!・・・」と言い切ったのは誰だったのか忘れそうになる。
守るべき「もの」が沢山ある人はとても辛い、攻められる余地が沢山ある、何も持たない人が強いことだってあるかも知れない。
万座毛・・・