気温も少し上がり、お日様が顔を出した、
いずれの地域にも、歴史があり、強者との軋轢、戦、占領、解放をくりかえして、現在がある、
太平洋戦争では、首里城の地下に日本軍の本部があったが、圧倒的な米軍火力・上陸作戦の前に、
軍人、沖縄民間人、多大な犠牲を払っている、その後もずっと、沖縄は(施政権が返還されたとは言え)
米軍の占領下にあり、朝鮮戦争・ヴェトナム戦争時には、最前線戦略基地として米軍施設は増強されて来た
経緯がある、
首里城は、那覇の北東部、小高い丘陵の上にあった、
日本軍の本部があった地下は現在駐車場として使われているのだろう・・・
数え切れないほどの「わ」が列んでいた、
わ・わ・わ・わ・わ・わ・わ・わ・ /わ・わ・わ・わ・わ・わ・わ/
・わ・わ・わ・わ・わ・わ・わ・わ・ /わ・わ・わ・わ・わ・わ・わ/
わ・わ・わ・わ・わ・わ・わ・わ・わ・ /わ・わ・わ・わ・わ・わ・Y・わ/
・わ・Y ・わ・わ・わ・わ・わ・わ・わ・ /わ・わ・わ・わ・わ・わ・わ・わ・/
見学する人々の半数は近隣諸国の言葉だった。
城内の石畳を登る途中で
「会長!!・・・会長!!・・・ヒールの踵が石畳の隙間に挟まって歩かれへん・・!!一寸待って!!」
という叫び声が響いていた、超ミニスカートのお姉様が「会長」に訴えたけど、「会長」はスタコラ城門の中に消えた。