こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年4月23日 土曜日 夜 中島みゆき「孤独の肖像」’85

2011-04-23 21:39:28 | 音楽帳


すっかり中島みゆきさんの音楽にトリコになり、過去好きだった曲を聴いていた。
ユーミンが資本主義の手先として「商売としての音楽」に従事する80~90年代(&カラオケ文化「乗っかり=いただき!」)、それに相反するように、元々のある種のカルマを背負ったまま、亡霊のように80年代以降の現実を直視しながら表現者として、さ迷っていた中島みゆきさん。

浪人の頃、絶望に打ちひしがれていた頃、彼女の「孤独の肖像」という曲にラジオで出会い、歌詞にグサッときた。

今の自分には時間が無い。
余裕が無い。
始終ラップ音がする家の中で、いつなんどき死ぬかわからない中、その歌詞を書き起こす手間が無い。

カンペキなパクリで、サイトからのコピペで歌詞を記す。



1985年9月18日に発売された、このシングルをテープに録音して、よく絶望の状況下、夜の闇の中、寝床で聴いた。
とてつもない歌詞が、この人独特の情念を持って迫ってくる。
とても、発表されたリアルタイムの時期と自分の状況がマッチして、同調したのを覚えている。
未だに、自分にとって忘れることの出来ない1曲である。
今では三文詩人ばかりと数少なくなってしまったが、中島みゆきさんは、日本の深層を描く稀有なる詩人であり続ける。

以下は、中島みゆきさんのライブ(夜会?)映像。
本物の表現者というものは、滑りの良いエセの事を伝える人では無い。
感性をむき出しにしても、今を伝える伝道者である。
そういった意味で、中島みゆきの道程と周辺の人との違いが明白に、今伝わって来る。

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2011年4月23日 土曜日 午後 中島みゆき「予感」より

2011-04-23 18:04:13 | 音楽帳


中島みゆきさんの作品には、いろいろ好きな曲がある。
自分が想い出深い・好きな曲は「あした天気になあれ」「孤独の肖像」などなど・・。

80年代初めに校内暴力やらツッパリやら荒廃する学校で、更に、その時代の中で生まれた『根暗(ねくら)』というコトバと風潮。

人間とは根源的に暗い側面があるのがしかるべき姿なのに、この『根暗(ねくら)』というコトバは、その人間にあってしかるべきの暗い面を全否定した。
「明るくなければならない」という『ねばならない』世界。
80年代初頭の表層的・ブリッコ的世界の地獄。
(この外面と内面の乖離世界が独りの中で膨張し・解決出来ない地点まで行き着いたのが1986年のアイドル岡田有希子の自殺であり、私自身の自殺未遂と考えている。)

それに加担していたのが「漫才ブーム」なる暴力である。
(当時も今も、私は「オレたちひょうきん族」など面白いとは思えない。
当時も今も、面白いと言うことにしてくれ、という円環の中で繰り返されるウソのカラ笑い。
笑っているフリ。
時間を経ると、当時を知らないであろう誤魔化しをして「オレたちひょうきん族」を伝説的番組というヤカラが居るが、ウソとしか思わない。
そんな誤魔化しに、我々はだまされない。)

学校では『根暗(ねくら)』というレッテルを貼られる・イジメられることを避けるために、やたら無理して明るく振舞うヤツラが居た。
人間がその感情表現を素直に出せない世界が存在していた。

当然、私もその部類でよく揶揄され、遠巻きにされ、『根暗(ねくら)』と言われた。
確かに明日が無いような絶望の世界に居た。
それを感じながら、ジャパンの4枚目アルバム「孤独な影」や教授のサウンドストリートやウルトラヴォックス含むイギリスの音楽をばかり聴いていた自分はつまはじき者だった。

そんな風潮の中、中島みゆきさんも『根暗(ねくら)』の権化のように、私と共にバイキンがられ、不気味がられていた。

ただ、そんな逆風の中でも、自らの道を行く中島みゆきさんは、しっかりとした土台の上で音楽を創り続けていた。

1983年のアルバム「予感」。
このアルバムには、のちのちCM曲となることで有名になった「ファイト」という曲が最後に入っている。

この曲に込めた中島みゆきさんの想い。
逆風の中でも歩き続ける様に勇気付けられた。

2011年、被災した方々に、安易に私は頑張れとかファイトとかは言わない。
そんな短絡的用語で誤魔化すほど、生きることは楽では無い。

ただ、この曲「ファイト」というタイトルはともかく、音楽は中身である。

渡辺美里並びに多くの上っ面な者たちが「ありもしない未来」を語る音楽には惹かれない。
私は、リアリティある現実と地面に這いつくばりながらも、ほふく前進するこの曲を、愛する。

この曲を、拓郎が歌っているのをラジオで聴いたのは90年代以降だと思うが、中島みゆきさんの原曲とは別に、拓郎らしい粗雑でありながらも骨身に染みる歌に、拓郎独自の世界の「ファイト」があって、自分が精神的にある局面にぶつかると聴く。
全く異なる解釈と拓郎独自の世界。

かつて清志郎が矢野顕子・教授との共演で歌った「ひとつだけ」と同じである。
それは最初「矢野顕子の歌を清志郎が歌う」という意外性からの試みとしてたまたま歌ったものだったが、その後、いつの間にか、清志郎が事あるたびに歌うようになり・・・

そして原曲では無い「清志郎の『ひとつだけ』」が出来上がったように。

吉田拓郎が歌う「ファイト」のライブ・ヴァージョンである。

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2011年4月23日 土曜日 午後 中島みゆきの祈り

2011-04-23 16:04:39 | 音楽帳
長期化する放射能との日々の作業を行う、東京電力の本体・幹部とは別の、現場の方々への祈りが「2ちゃんねる」にスレッドとして立ち上がっている。

http://hato.2ch.net/test/read.cgi/lifeline/1300399111/l50

1995年はえらい年だった。
阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件がともに起きる未曾有の年だった。
この2つの有事に突入して行った自衛隊の方々、そして、多くの作業に当たった方々。

特に地下鉄サリン事件においては、一体何が起き・一体どのように対処すれば良いのかわからない中「現場へ向かえ」という指示の元で向かった自衛隊の隊員。

今も、世界を左右する事態に福島原発現場で作業に当たる偉大な方々が居る。

NHKにかつて「プロジェクトX」という番組があった。
表のメディアたち、そして、支配層とは無縁にして、1つのミッションを苦悩の中行った偉大な現場の方々を追いかける・紹介する番組だった。
今こそ、この番組を思い出す。

そのテーマ曲を中島みゆきさんが創り、歌っていた。
その曲名は「地上の星」。

中島さんがタイトルとした「地上の星」とは、この地球を空から見た時に、無名である1人1人たちが星としてまたたいていることを差していた。



この曲名と歌詞と歌に込められた中島みゆきの魂と想い。

それは、過去創っていた音楽とちゃんと繋がっている。
彼女の長い音楽の歴史の流れとは無縁では無い。
歳を重ねるごとに純化・深化していく中島みゆきの音楽の素晴らしさ。


震災後「頑張れ」というだけしか言うべき言葉を持たなかったユーミンなどとは雲泥の差である。
いったい、ユーミンは、空虚な歌を誰に向かって歌ってきたのか?


中島みゆきさんは、この「地上の星」とともに「プロジェクトX」のエンディング・テーマとして「ヘッドライト・テールライト」という、穏やかな後送曲を創っている。

「地上の星」で星として輝きまたたいたミッションに関わった多くの人々を「見送られることもなく」捨ててきた世界を突き刺す一方、「ヘッドライト・テールライト」はそれでも今も星は輝きまたたき続けているよ、と言っている。

この2つの曲は双子関係にある。

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2011年4月22日 金曜日-23日 土曜日 深夜

2011-04-23 01:28:50 | 雑記帳

【アラーキーの撮影した東京】

23:54電車に乗る。
酒臭い人々。
普段の経路で帰る電車が無いので迂回する。

1日1日が長すぎる。
月曜日の記憶さえも、もはや無い。

金曜日の夜に元気な人を見ると疑念が湧く。
どれだけ楽してカネをもらっているんだか?
そういう人は、うんざりするほど周辺に居る。

これはルサンチマンでは無い。
日本は「見えない階級社会」が平気で存在する社会であること。
まるで「リベラル」や「民主主義」なる欺瞞が渦巻く世界。

ああ・・・ビールが猛烈に呑みたい。

***

今日は、夕刻までは順調に、事を片付けていった。
朝から頭の中で教授の『アフター・オール』が鳴り続け、一種の諦念が遠くを見るときのように、自分の胎内を静かの海が満たす不思議な日だった。



夕方、月1回の順天堂病院の定期検査に行く。
西洋医学に準じた病院などには期待はしていない。
しかし、診察を受けないと薬がもらえない日本。


【順天堂病院前にて】

予約をしているにも関わらず、えらい長い事待たされた。
最初は、ずーっと今日白かった空を、窓の外を眺めていた。
長年のうちに、現実に染まり、焼けたビルの壁や、
時折止まる鳥、
そういうつぶさないとおしい細微なものを注視していた。

その時も、頭には教授の『アフター・オール』が鳴り続けていた。
次第に、カラダがだるくなって、半眠半覚となる。。。



そんな彼方から自分を呼ぶ声。

私 : 夜には疲れていても、それなりの意識がある。
しかし、翌朝起きれば、どーんと前日の澱みと疲れが落ちてくる。
それを繰り返している。
この夜と来る朝の重圧。。。
ずっと、これは幼少の頃から繰り返している。
これは、先生。
体質なんですか?

先生は、まあまあ。。。と適当な答えを返すのみ。
西洋医学は何の役にもたたない。
音楽の方が、私を救ってくれている。
こういう連中がのほほんと大枚をもらって、オ偉い「医者」で居られる日本の大病院。

ラチがあかないのは周知ではある。



***

仕事場に戻る橋の上、向こうから帰る人に混じって、同僚が向かってくる。
私を察知して、見えないフリして通り過ぎそうになる「犯人」。
そいつが、今の私のお詫び三昧の根源の「犯人」。
まだ、18時。



「おい」と呼びとめ、「カタは着いてねえぞ」という事を「隠語」で刺す。
帰れば良い。
お前はそうしていれば良い。
そう言って、振り捨てる。
私がお詫び三昧しながら、「犯人」が誰かは全員に今後明らかにする。
タダでは済まさない・犯罪者を殺すことが、私の仕事。

***

0:15南千住に到着。
外に出ると放射能雨が降る。

写真を撮りながら歩く。

泪橋を曲がり、コンビニでビールとスナック菓子を買い、タクシーに乗る。
これ以上、放射能雨は浴びたくは無いので。

0:40帰宅。

やっと、私の密なる闇夜の世界が始まる。

***

午前0時25分頃、福島県沖で地震があったそうである。
全く気付かなかった。
震源地は、震度5弱・マグニチュードは5.6。

くもおさんに言ったカンの好きな「ゴモラー」という曲は「フロー・モーション」では無くて「アンリミテッド・エディション」に入っているものだった。



1:30を向かえる。

***

1:39追記:

昨夜、キャンディーズのスーちゃんが亡くなった。
一瞬驚いたが、その後は自分の中に何も無いことに気付いた。

それは、幼い頃、ランちゃんとスーちゃん両方を好きになって悩んだ時の気持ちが既に無かったからである。

ムチムチなスーちゃんへの肉欲は、リアルタイムの70年代末までで終わっていたのだった。
それが、この「何も無いこと」の実感の無さに繋がっている。
養老先生が言っていた言葉を思い出す。

「ニンゲンの細胞というのは、1年でほとんど入れ替わる。
実は同じ名称で個人を呼ぶが、肉体的には、どんどんと入れ替わっていっているのである。」



2:40追記:

アラーキーのさすがな妖しい夕闇の写真を掲載したが、その新宿に降る雨で、藤原新也さんの言っていた「やけど」のような皮膚感覚を呈したとの情報を知る。

盗作で有名な井伏鱒二の広島の原爆の「黒い雨」を想起せずにおられない。

スーちゃんが女優田中好子に変わり、女優として賞をもらった映画が「黒い雨」というのは皮肉なシンクロに思う。

外は雨が降り続いている。


4:25追記:

夏まで生きている保証があるならば、高校生の夏の眠れぬ夜中によく聴いていたチャイナ・クライシスの12インチ・シングルで買った「ワーキング・ウィズ・ファイア&スティール」のB面の曲を紹介しようと思っていたが、夏まで生きている確証の無いカオスの中、思いついたときに・リアルタイムでかける。



確か1800円くらいした12インチ・シングルのB面は、2人が、自分の部屋でレコーディングした「宅録」のインストゥルメンタル2曲。

御茶ノ水のディスク・ユニオンで買ったおぼろげな記憶。

その中の1曲、「ドックランド」をかける。
自分らが生まれ育った地を愛したチャイナ・クライシスの想いが込められている。

外は、雨がより強くなってきた。

まったくそんなシチュエーションとは無縁だが、夜のしじまに聴いたこの曲を「誰か」に贈る。




5:20追記:



缶ビールを呑みながら、夜が明けていく。
疲れているクセをして眠れない。
雨の中というのに、夜明けを感じて、鳥が鳴いている。

TBSラジオに、飯田先生が出ている。
小出先生とともに、放射能を距離を置いて語れる1人。
コメント (2)
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