すっかり中島みゆきさんの音楽にトリコになり、過去好きだった曲を聴いていた。
ユーミンが資本主義の手先として「商売としての音楽」に従事する80~90年代(&カラオケ文化「乗っかり=いただき!」)、それに相反するように、元々のある種のカルマを背負ったまま、亡霊のように80年代以降の現実を直視しながら表現者として、さ迷っていた中島みゆきさん。
浪人の頃、絶望に打ちひしがれていた頃、彼女の「孤独の肖像」という曲にラジオで出会い、歌詞にグサッときた。
今の自分には時間が無い。
余裕が無い。
始終ラップ音がする家の中で、いつなんどき死ぬかわからない中、その歌詞を書き起こす手間が無い。
カンペキなパクリで、サイトからのコピペで歌詞を記す。
1985年9月18日に発売された、このシングルをテープに録音して、よく絶望の状況下、夜の闇の中、寝床で聴いた。
とてつもない歌詞が、この人独特の情念を持って迫ってくる。
とても、発表されたリアルタイムの時期と自分の状況がマッチして、同調したのを覚えている。
未だに、自分にとって忘れることの出来ない1曲である。
今では三文詩人ばかりと数少なくなってしまったが、中島みゆきさんは、日本の深層を描く稀有なる詩人であり続ける。
以下は、中島みゆきさんのライブ(夜会?)映像。
本物の表現者というものは、滑りの良いエセの事を伝える人では無い。
感性をむき出しにしても、今を伝える伝道者である。
そういった意味で、中島みゆきの道程と周辺の人との違いが明白に、今伝わって来る。