こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年4月4日 月曜日 朝

2011-04-04 07:05:18 | 音楽帳


3月28日 月曜日、青空の憂える朝。
フリオ・イグレシアスの「フラジャイル」を聴いた。
スティングのバッキング・ヴォーカルとスパニッシュなギター。
1987年の「ナッシング・ライク・ザ・サン」に収められたこの曲が好きで、12インチ・シングルまで買ったものだが、全く歌詞を知らずに今まで来た。

しかし、その詞をネットで初めて知り、その詞の痛々しい描写に言葉が無い。
3月28日にこの曲を聴くに至った行動が本当に偶然なのか、知らず知らずのうちに無意識が反応したのか。
今の自分には分からない。
その的確さにグサリとする。

『生身のからだに
鋼の刃が突き刺さり

流された血が
夕日に染まって
乾いて行く時

明日にでも雨が降れば
血痕は洗い流される

だけどぼくらの心を襲ったものは
いつまでも消え去りはしない

ことによるとこの最終的手段は
暴力は何の解決にもならず

怒れる星の下に生まれた者たちには
なす術がないと言う

一生かけての主張を
ねじ伏せるものだったのかも知れない

人というものがこんなに脆いと
僕らに思い知らせようと

いつまでもいつまでも
雨は降り続けるだろう

まるで星が涙を流しているようだ

まるで星が涙を流しているようだ

いつまでもいつまでも
雨は教えてくれるだろう

人というものが
どれほど脆い存在なのか

ぼくらがどれほど儚い存在なのか』

コメント
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