こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年4月8日 金曜日 夜

2011-04-08 21:59:12 | 音楽帳
YMOは1978~1983年という短くも超濃密な期間で(80年代の核を創り・トップリーダーとして)革命を終えユニットを解消したが、そこに頭をガツンとやられた自分と同じ「YMO世代」のミュージシャンが居る。

YMOが無ければ、「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」が無ければ、みんな、もっと違う人生になっていたであろう。



しかし、「YMO世代」でがつんとやられた少年だった日本ミュージシャンに大した人が出てこないことに苛立っていたのが、私の90年代以降の本音だった。

そんな中、電気グルーヴの存在は知っていたが、YMOの真剣な音楽と共に持つユーモアを勘違いしたのか?極度にオチャラケ過ぎたコミックバンドが電気グルーヴだ、という認識でしかなかった。

1966年生まれのかたちんばが東京でYMOを目の前にしているとき、1967年生まれの石野卓球は静岡でYMOを聴き「わぁ、まるで未来の音楽だ」と思い、ともどもYMOキチガイとして、YMOを聴き狂っていた。

***

1996年、大阪で5年働き東京に戻った自分が再び出会った東京のよそいきの顔に、5年の間にシャバの空気も変わったものだと・・少々寂しい異邦人であった頃。

FMの深夜番組で「電気グルーヴのドリルキングアワー」に出会い聴きだすうち、1997年「シャングリラ」というシングルに出会い、その曲の素晴らしさと彼らへの認識を新たにした。
(実は、自分は電気グルーヴを深く聴く前に、大阪時代に砂原良徳さんのCDの方に出会い、好んで聴いていた。)



アルバム「A(エース)」を早速CDで買い、よく深く聴き込んだ。
インナー・スリーヴに掲載された花を持つ石野卓球のモノクロームの写真が好きだった。

その後、電気グルーヴ、及び、石野卓球のアルバム、コラボレーション等のCDを重ねて聴いていくことになるのだが、「好きこそものの上手なり」では無いが、(これは砂原良徳さんにも言えるが)、YMOという巨大なモンスターにはなれなくても、本当に執拗なまでに多くの音楽を聴きこみ、試行錯誤・失敗を繰り返しながら、さらにオチャラケで表面を誤魔化しながらも、渋谷陽一さんがよく言う、1つの核心を貫く「チューン」を鳴らすべく、ひたむきな音楽との格闘を石野卓球が続けているのだという「意志」が明らかに読み取ることが出来た。

***

彼の作った音楽の中で優れたものはいろいろあるのだが、こんな東日本壊滅的状況の中、久々に聴いた『虹』という曲に、一条の光を見い出した。

ここには、AC広告の偽善も、多くの欺瞞も無い。
ただ、ほのあかりとたゆたいが、ある。
それだけで満たされている。

極めて真摯でひたむきに音楽と向き合ってきた石野卓球の1つのチューンが確実に音として結実している。

コメント (2)
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2011年4月8日 金曜日 1時15分

2011-04-08 01:18:21 | 雑記帳
これは煽りではない。
今回の地震は余震なのかは疑わしい。
こんな大きな地震に、余震も本震もない。
マグニチュード7.4・震度6強。

また、再度プレートがずれた。
そのずれた補正に各プレートは今後入っていく。

祈るしかない。
コメント (2)
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2011年4月8日 金曜日 0時40分

2011-04-08 00:40:30 | 雑記帳
お願いだ。
どうか頼む。
もう東北の人々をこれ以上いじめないでくれ。
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