こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

China Crisis  「African & White」 2005年ライヴより

2011-04-15 23:27:58 | 音楽帳
ちょっと、ティー・ブレイク・・・

ということで、すでに震災から1ヶ月以上を経た中、我々には息抜きが必要だ。
(海外に逃亡できるだけの生涯掛かるカネも無ければ、今すぐに愛する東京を離れられる訳にもいかないのだし。
だからといって、三島由紀夫いわくの「緩慢な死」としての放射能要因の癌死などは避けたいが、今どうこうは言えない。)

今夜、思い出していたのが、80年代を通して愛していたチャイナ・クライシス。
彼らは、常に「野望」とか「有名」とか「ヒットとカネ」にはまったく無縁のところで、実に優しい2人の人柄がにじみ出る音楽を奏でていた。

少年のような2人の創る音楽は常にピュアであった。
それは、「あざとい」ピュアではなく、彼ら自身の持つ体温そのものが、そういった嗜好性だったのである。



ボクは、彼らが来日してくれることをずっと願っていたが、カネにならなければ音楽業界は動かない・・・
ということで、アルバム、7インチ・シングル、12インチ・シングルを買いだめて聴き、音楽雑誌の少ない記事の写真を見、そこにとどまったまま、来日の夢はかなうことなく、お互い歳を取ってしまった。

YOUTUBEで、2005年に行ったというチャイナ・クライシスのライヴ映像をかつて見つけて、即ダウンロードした。

2人は、少年だったボクがヒゲハゲ親父になろうとも、若々しい蒼きむせるような夢のある眼で居続けてくれたことに感謝した。

そして、レコード会社からの誘いの元となった初めての曲=「アフリカン&ホワイト」を、四半世紀近く経て、改めて2人+バックアップメンバーが奏でる、その映像への、えもいわれぬ想いに黙した。

「日本頑張れ!」という上っ面なCMなどをはるか超越して、彼らの演奏と表情は、今の私の心にダイレクトに訴えてくる。
最初に彼らと出会ったときと変わらない想い。



余談:イギリスの工業地帯で生まれ育った彼らの2枚目のアルバム「ワーキング・ウィズ・ファイア&スティール」(火や鉄と共に働く)は、1983~1984年にかけてよく聴いた思い入れ強いアルバム。

ジャケットのアートワークにおいても、チャイナ・クライシスは素晴らしいデザインのものが多い。

以下は「ワーキング・ウィズ・ファイア&スティール」のジャケット。
擦り減るほどレコードを聴き、焼き付くほどに見てきたジャケット。

真ん中にあるのは、今思えばスリーマイル島原発、それを上下からはさみ囲む、風になびく草原の草たちと淡い空、自然。
因果を感ずる。

コメント (2)
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2011年4月15日 金曜日 朝

2011-04-15 08:43:01 | 雑記帳
仮設住宅の引き合いが、プレハブ業界傘下会社、大手ハウジングメーカーから来ているが、案の定ころころ状況・情報は二転三転している。
初めての巨大地震阪神淡路大震災と同じく、だいたいがそんなものである。

そもそも、我々のような内装仕上げとは無縁に、まずは骨格をなすべき建材自体が、東北地域の工場が被災して生産量減の中、そこに需要者が匂いを嗅ぎ付け「買い占め」に明らかに走ったせいで、仮設住宅に回せる建材が無い状態なのだから。

それなのに走る営業マンは単純に「急いでモノをくれ!」と言ってくる。
問題は発注先への営業マンの工程状況の聞き込みと、本当はいつ迄でいいのか?先方も所詮は下請だから「現実の工程遅れが起きてること」を無視して、ただスルーで丸投げすると共に「いつ迄に入れないとおまえらには仕事はやらない」と圧力を掛けて自己保身を行う。

元締―下請―孫受けとパワーハラスメントは続くが、ここには一体型の「必要な時に・必要な量を・必要な場所に」という基本姿勢は無く、無駄な情報混乱と無駄に騒ぎノイズを発生させ、無駄な費用ロスを生む連中たちのワッショイワッショイばかり。

最終工程である内装が、建材がTOC理論で言うドラムを叩く子のボトルネックであるなら、そのドラムの音を聞き込みせねば、無駄にワッショイしても無意味だ。
無駄なロスばかりが生まれるだけのこと。
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