案の定溜まった疲れが、朝の重さに変化してのしかかる。
目は覚めども、カラダが起こせない。
しばらく前屈姿勢で耐え、数分後やっと立ち上がる。
空は昨朝通り透き通る青空。
朝の緑茶は身に染み渡るような感じがする。
目玉焼きをつついていると、7:35また来た!
茨城県震源の震度4。
自然なる神は容赦無く、日本人をまだ打ちのめそうとする。
どこまでゆけば赦されるのか、果てが見えない。
朝のニュースでは、アメリカの教会での日本への祈り。
そして詩人 宮澤賢治さんの「雨ニモマケズ…」という珠玉の詩の一片が英語で朗読される。
大学時代、同じ名前(宮澤賢治)の先生の文学の授業に、私もMZ師も出ていた。
2人でよく『くらむぼんはかぷかぷ笑ったよ』というコトバを話に織り交ぜていたことを思い出す。
小学校時代、本が苦手だった遠い日、寝床で宮澤さんの本には異次元に連れて行ってもらえた。
「どんぐりと山猫」「注文の多い料理店」などの朗読も愉しく、小学校の給食の時間の校内放送でよく聴いた。
人生の哀しみを含みながらも・夢や独自の視点と自分なるものの中に潜む宇宙を感じさせる。
教授の好きな1982年のアルバム「左うでの夢」のサウンドにも・かしぶち哲郎さんの詞にも、宮澤賢治的世界を感じる。
以下は、宮澤さんの「やまなし」という有名な作品。
AC等CMでSMAP・トースト松本・ベッキー・AKB48などの偽善者たちが日々不愉快な想いをさせるのを放置して・・・・
みんなで、この宮澤賢治さんの童話を読み・朗読をして、小宇宙の中に入って、おかしみや優しさの密なる世界で、なえた心を別のところに形成しましょう。
おたがい。
「やまなし」宮沢賢治
小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です。
一、五月
二疋(ひき)の蟹(かに)の子供らが青じろい水の底で話てゐました。
『クラムボンはわらつたよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』
『クラムボンは跳てわらつたよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』
上の方や横の方は、青くくらく鋼のやうに見えます。
そのなめらかな天井を、つぶつぶ暗い泡が流れて行きます。
『クラムボンはわらつてゐたよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』
『それならなぜクラムボンはわらつたの。』
『知らない。』
つぶつぶ泡が流れて行きます。
蟹の子供らもぽつぽつぽつとつゞけて五六粒泡を吐きました。
それはゆれながら水銀のやうに光つて斜めに上の方へのぼつて行きました。
つうと銀のいろの腹をひるがへして、一疋(ぴき)の魚が頭の上を過ぎて行きました。
『クラムボンは死んだよ。』
『クラムボンは殺されたよ。』
『クラムボンは死んでしまつたよ………。』
『殺されたよ。』
『それならなぜ殺された。』
兄さんの蟹は、その右側の四本の脚の中の二本を、弟の平べつたい頭にのせながら云(い)ひました。
『わからない。』
魚がまたツウと戻つて下流の方へ行きました。
『クラムボンはわらつたよ。』
『わらつた。』
にはかにパツと明るくなり、日光の黄金(きん)は夢のやうに水の中に降つて来ました。
波から来る光の網が、底の白い磐(いは)の上で美しくゆらゆらのびたりちゞんだりしました。
泡や小さなごみからはまつすぐな影の棒が、斜めに水の中に並んで立ちました。
魚がこんどはそこら中の黄金(きん)の光をまるつきりくちやくちやにしておまけに自分は鉄いろに変に底びかりして、又上流(かみ)の方へのぼりました。
『お魚はなぜあゝ行つたり来たりするの。』
弟の蟹(かに)がまぶしさうに眼を動かしながらたづねました。
『何か悪いことをしてるんだよとつてるんだよ。』
『とつてるの。』
『うん。』
そのお魚がまた上流(かみ)から戻つて来ました。
今度はゆつくり落ちついて、ひれも尾も動かさずたゞ水にだけ流されながらお口を環(わ)のやうに円くしてやつて来ました。
その影は黒くしづかに底の光の網の上をすべりました。
『お魚は……。』その時です。
俄(にはか)に天井に白い泡がたつて、青びかりのまるでぎらぎらする鉄砲弾(だま)のやうなものが、いきなり飛込んで来ました。
兄さんの蟹ははつきりとその青いもののさきがコンパスのやうに黒く尖(とが)つてゐるのも見ました。
と思ふうちに、魚の白い腹がぎらつと光つて一ぺんひるがへり、上の方へのぼつたやうでしたが、それつきりもう青いものも魚のかたちも見えず光の黄金(きん)の網はゆらゆらゆれ、泡はつぶつぶ流れました。
二疋はまるで声も出ず居すくまつてしまひました。
お父さんの蟹(かに)が出て来ました。
『どうしたい。ぶるぶるふるへてゐるぢやないか。』
『お父さん、いまをかしなものが来たよ。』
『どんなもんだ。』
『青くてね、光るんだよ。はじがこんなに黒く尖つてるの。
それが来たらお魚が上へのぼつて行つたよ。』
『そいつの眼が赤かつたかい。』
『わからない。』
『ふうん。しかし、そいつは鳥だよ。
かはせみと云ふんだ。
大丈夫だ、安心しろ。
おれたちはかまはないんだから。』
『お父さん、お魚はどこへ行つたの。』
『魚かい。魚はこはい所へ行つた。』
『こはいよ、お父さん。』
『いゝいゝ、大丈夫だ。
心配するな。
そら、樺(かば)の花が流れて来た。
ごらん、きれいだらう。』
泡と一緒に、白い樺の花びらが天井をたくさんすべつて来ました。
『こはいよ、お父さん。』弟の蟹も云ひました。
光の網はゆらゆら、のびたりちゞんだり、花びらの影はしづかに砂をすべりました。
二、十二月
蟹(かに)の子供らはもうよほど大きくなり、底の景色も夏から秋の間にすつかり変りました。
白い柔かな円石もころがつて来小さな錐(きり)の形の水晶の粒や、金雲母(きんうんも)のかけらもながれて来てとまりました。
そのつめたい水の底まで、ラムネの瓶(びん)の月光がいつぱいに透とほり天井では波が青じろい火を、燃したり消したりしてゐるやう、あたりはしんとして、たゞいかにも遠くからといふやうに、その波の音がひゞいて来るだけです。
蟹の子供らは、あんまり月が明るく水がきれいなので睡(ねむ)らないで外に出て、しばらくだまつて泡をはいて天井の方を見てゐました。
『やつぱり僕の泡は大きいね。』
『兄さん、わざと大きく吐いてるんだい。
僕だつてわざとならもつと大きく吐けるよ。』
『吐いてごらん。
おや、たつたそれきりだらう。
いゝかい、兄さんが吐くから見ておいで。
そら、ね、大きいだらう。』
『大きかないや、おんなじだい。』
『近くだから自分のが大きく見えるんだよ。
そんなら一緒に吐いてみよう。
いゝかい、そら。』
『やつぱり僕の方大きいよ。』
『本当かい。ぢや、も一つはくよ。』
『だめだい、そんなにのびあがつては。』
またお父さんの蟹が出て来ました。
『もうねろねろ。
遅いぞ、あしたイサドへ連れて行かんぞ。』
『お父さん、僕たちの泡どつち大きいの。』
『それは兄さんの方だらう。』
『さうぢやないよ、僕の方大きいんだよ。』弟の蟹は泣きさうになりました。
そのとき、トブン。
黒い円い大きなものが、天井から落ちてずうつとしづんで又上へのぼつて行きました。
キラキラツと黄金(きん)のぶちがひかりました。
『かはせみだ。』子供らの蟹は頸(くび)をすくめて云ひました。
お父さんの蟹は、遠めがねのやうな両方の眼をあらん限り延ばして、よくよく見てから云ひました。
『さうぢやない、あれはやまなしだ、流れて行くぞ、ついて行つて見よう、あゝいゝ匂(にほ)ひだな。』
なるほど、そこらの月あかりの水の中は、やまなしのいい匂ひでいつぱいでした。
三疋(びき)はぽかぽか流れて行くやまなしのあとを追ひました。
その横あるきと、底の黒い三つの影法師が、合せて六つ踊るやうにして、山なしの円い影を追ひました。
間もなく水はサラサラ鳴り、天井の波はいよいよ青い焔(ほのほ)をあげ、やまなしは横になつて木の枝にひつかかつてとまり、その上には月光の虹(にじ)がもかもか集まりました。
『どうだ、やつぱりやまなしだよ、よく熟してゐる、いい匂ひだらう。』
『おいしさうだね、お父さん。』
『待て待て、もう二日ばかり待つとね、こいつは下へ沈んで来る、それからひとりでにおいしいお酒ができるから、さあ、もう帰つて寝よう、おいで。』
親子の蟹(かに)は三疋自分等の穴に帰つて行きます。
波はいよいよ青じろい焔をゆらゆらとあげました、それは又金剛石の粉をはいてゐるやうでした。
私の幻燈はこれでおしまひであります。