奈良大好き☆お勉強日記

奈良大学文学部文化財歴史学科(通信教育部)卒&奈良まほろばソムリエ検定のソムリエを取得したヒトの色々な勉強の日記です♪

奈良とのエニシ

2012年06月25日 | 色々・モシクハお勉強
諸般の事情から実家に帰ってきているのですが。
(夫婦喧嘩とか、離婚の危機ではナイので念のため)

13日は月に一度のお寺さま訪問ディということで、朝から仏間の大掃除をしておりました。
うちの実家のお寺さまは毎月、家庭訪問をしてはお経をあげて、
お布施をふんだくって…否、お布施をお渡ししておるのですが。

お布施の額(笑)を調べていて、うちのお寺関係の雑記帳をのぞいていたら、
やたらと「満米上人」というお名前が出てくるのでありました。
満米上人、マンマイショウニン…あ!!
満米上人といえば、あの方ではないか。
>矢田地蔵縁起の満米上人。

平安時代のとあるとき。閻魔大王の具合が悪くなってしまい(鬼の霍乱?)、
小野篁がとある坊さまに助けを求め、なぁーむぅ~としたところ、
なんということでしょう!
閻魔さまの体調はよくなっていました。(なんという霊験新か~★)

それに気をよくした閻魔さまは、お礼に地獄を見せてやろう♪と地獄観光につれていってくれました。
(それってお礼なんだろうか?どっちかっていえば嫌がらせのような気もしなくもない)

すると地獄に落ちて苦しむ人を救うために一心不乱に祈る人がいて。
あなたさまは…?と問うと、「地蔵菩薩です」とのお返事。
「わたしは地獄のことで手一杯なので、娑婆のことはあなたに任せたい。
ついては娑婆にかえったら私の姿を彫ってはくれまいか。
私はその姿になって娑婆の人々を救おう」
というので、そうすることにした。

で、閻魔大王さまさまからは帰り土産として、玉手箱ならぬ米櫃をもらいまして(謎)
娑婆に帰って彫った地蔵菩薩のお姿が、あの大和郡山の矢田寺のお地蔵さま。
そして、あの閻魔さまからもらった米櫃の米は、食べても食べてもなくならなかったので、
それを人びとにも分け与えたため、
その坊さまは「満米上人」と呼ばれるようになったとさ。
おしまい。

というのが、矢田地蔵菩薩縁起のあらすじだったと思う。(うろ覚え)

で、その満米上人なんだが、越後を放浪していたときに、
建てたお寺がうちの実家のお寺なんだとか。もぉビックリですよ、マジでマジで。

まさかうちの実家のお寺が、満米上人ゆかりの寺だなんておもってもみなかったし。
満米上人の伝説ったって、奈良か、京都での話だとばかり思っていたもんだから。
(京都にも矢田寺はあります)
ひゃあ~ビックリビックリ★

奈良の都から遠く離れたこの地にも、足を延ばして下さっていたのですね>満米上人。

矢田寺といえば、あじさい寺という別名があるくらいですから、
丁度いまの季節、紫陽花が見頃なんではないかと。

行きたいなぁ、矢田寺。
しかし、こんなところで矢田寺とご縁があるなんて判って、ちょっと奈良に触れた感じがしました。
合掌
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2 コメント

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封筒に住所までは書いたのです・・・☆ (たら)
2012-06-27 22:16:25
かるほさん、こんばんは。
「お手紙書こうかな」と、カード選んで、封筒に住所書いて…まではしたのです(←かなり独り言)。
ブログが更新されているのを見て、ちょっぴりちょっぴり勝手に安心。

お寺さんとの雑記帳(いろいろ歴史があるのかしら~)が残っているところが、まず、すごいいですわ。
そこに奈良につながる縁が記録されていて、かるほさんが見つけて気づいて。
奈良とかるほさん、不思議な縁がありますね!
返信する
まいど~ (かるほ)
2012-07-01 09:35:20
たらちゃん
うちで米満上人の名前をみつけるとはおもってみなかったので、
調べてみてビンゴ~。びっくりでしたわ。
今年はあじさいの頃には矢田寺にいけなかったけど、
また来年以降に行くべさ。

変なルート開発したらまた一緒に歩いてくださいましね♪
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