「基本指圧」に憧れて ― 村岡曜子のブログ

我が国固有の指圧を広く浸透させ、社会の保健と福祉の増進に寄与したい。

「畳の生活様式」こそ人の心と身体を培う

2008年09月03日 | 指圧の活動
  たった3日の夏休み、有効に使いたかったのですが、予定通りにはことが運ばず、パタパタと忙しく動き回っていました。ふだんさぼっている“片付け物”をしようと、タンスの引き出しを引っ張り出し、衣装ケースを広げて着物や帯の片付けにかかりました。  

  着物の汚れやシミをチェックし、なるべく使いやすいように入れ替えたりして、部屋は足の踏み場もなくなりました。仕方なく、息子のベッドの上で広げた和服をたたんだら、とてもやりにくいことが分かりました。 
  2枚たたんで驚きました。肩は凝るし腰は痛くなるし、さんざんです。和服は畳に正座してたたむのが一番楽なことが、嫌というほどよく分かりました。今まで何気なくやってきた片付け仕事で、面白い体験ができたのです。  

  先日たまたまスタッフOさんが、「スクワットの“動き”がよくなってきたら、患者さんの回りを動く動作がスムーズになりました」と言うのです。 
  彼女は若い頃からお茶を習っていましたので、畳の上での自分の動きには敏感なようです。とても嬉しそうに、そう報告してきたのです。7月6日に投稿した記事「私見“丁稚奉公こそ道を究めるための修行”」に書いたように、どうやら畳の上での仕事の動きの中に凄いヒントが隠れているようです。  

  日本の文化が生んだ畳。気候風土に合うというだけのものではないようです。日本人が畳の上で楽々と立ったり座ったりするのを見て、欧米人は「まるで軽業師のようだ」ととても驚くそうです。彼等にはそのような動きはできないからなのです。  

  私の子供の頃は畳の部屋が当たり前で、そこでなにもかもが行われていたのです。ある時は食堂であり、また居間であり、応接間にも寝室にもなりました。人が産まれ、また死ぬのも畳の上だったのです。 
  ちゃぶ台を出し、正座して食事をするのは当たり前のことです。当時は、テーブルに椅子という生活は、ハイカラなよその国のことだと思っていました。  
 
  正座して左手の四指を上手に使い茶碗の底を支え、親指を立てて茶碗の淵を支えて持つことで、左肩の力が抜けます。右手は箸を使いますから、肩の力は必然的に抜けてきます。これで身体の重心が決まり、正座で楽に食事ができるのです。しかも精神的にとても落ち着きます。 
  過去においては、日常の生活自体が“しっかりした身体と心を養成する環境”として整っていたのです。テーブルは一般的に子供にとっては高すぎるし、椅子に座っても足が床に着かず、ブラブラして落ち着きません。 
  その上食事をしながらのテレビ観賞です。落ち着きのある子供が育つわけがないのです。食事1つだけをとってもしかりです。昔はすぐ切れる子供など、今のようにはいませんでした。学校でもクラス崩壊が深刻だと聞きます。  

  四季の豊かな気候風土が生み出した日本の生活様式こそ、実は人としての心と身体を育む素晴らしい環境であった、とよくよく分かりました。 
  畳の上できちんと動作ができるようになることが、しっかりした心と身体を造ることにつながっていたのです。師匠が「あくまでも指圧は畳で」、とこだわるわけが、心底理解できた気がします。 
  畳の上でスムーズに動き、楽に指圧ができるようになることを目標にして精進してこそ、「真の上達がある」と今更ながらに再確認できました。  

  先の和服整理のとき、畳の上でたたんだ枚数は覚えていません。無意識に楽にたたむことができたからだ、と感じています。圧すこともそんな感覚でできたらいいのだとつくづく思い直しました。畳文化の素晴らしさを今更ながらではありますが初めて実感しています。  

  畳の上で生まれ、畳の上で生活し、躾を受け、身体を造り、心を育む。技もそこから生まれてくるものなのだ、とよくよく理解できました。 
  今の殺伐とした世の中がなぜそうなったか、その一分が分かる気がしてきました。崩れてしまった家族制度を建て直し、西洋化した生活様式を元に戻せばずいぶん違った世の中になるだろうなぁ、などと思ってしまいます。  

  学ぶ心さえしっかり持てていれば、日常生活の中にヒントはゴロゴロあることがよく分かりました。真剣に求めてさえいれば――。
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