「基本指圧」に憧れて ― 村岡曜子のブログ

我が国固有の指圧を広く浸透させ、社会の保健と福祉の増進に寄与したい。

「2階でも平気」、膝への恐怖心を克服

2009年06月27日 | 分類なし
 「おっ、右足にも感覚が出てきたな!」 
  6月20日、指圧治療を受けていたときの鈴木林三先生の嬉しい、貴重な言葉です。私は17歳のときに怪我をして、右膝を手術しました。炎症を繰り返し、膝に水が溜るとそれを抜くことを続けたために、私の右膝はひどく変形してしまいました。 
  どうか皆さん、関節に水が溜ってもむやみに抜いたりしないでください。基本指圧を受けることでキチンと治すことができるのです。むやみに水を抜くことで、それが原因となり、関節に変形が起きて、本当に関節の悪い人になりきってしまうのです。  

 膝に水が溜ると、とことん痛みます。夜も眠れません。これを抜いてもらうとたしかにウソのように楽になります。しかし重ねて抜き続けるともう楽にはならなくなり、今度は抜いたあとに何やら薬を注射します。これもはじめの内は楽になるのですが、じきに効かなくなりました。 
 注射針への恐怖だけが、だんだん意識にのぼるようになりました。担当医は怖がる私に、「抜かないと骨が溶けちゃうぞ」と真面目な顔でいいました。その言葉は今でも耳の底にハッキリ残っています。真っ赤なウソなのに、子供だった私は、「骨が溶けたら大変」と必死になり、水が溜っては抜くために通院しました。 
  この繰り返しの中で、この先、歳をとるまでこの膝となんとかうまく付き合っていかなくては、と考えるようになり、右膝は私の第一最大の弱点になりました。  

 たとえ身体中のどこが痛くても、右膝さえ痛まなければいいという意識で暮らしていました。悪いのが右膝ですから、内臓的には、腎臓・肝臓に影響がありました。足が悪いということは、「動けなくなる」という「恐怖」と背中合わせです。足さえ痛まなければ、他の痛みは眼中にありません。  

  指圧でうつ伏せの肩甲上部を圧すとき、鈴木先生が、足の位置と上体の位置が脊椎を中心に真っ直ぐになるように直します。左足の位置は、ミリ単位まで感覚的に分かり、自分で直せるまでになっていましたが、右足は、変形のせいか中々感覚がつかめずにいました。 
 指圧仕様のスクワットをすると、バキバキと驚くほどの音が右膝から出ていました。その音は、膝に対する恐怖心から出るものと先生から指導いただきましたが、こんなひどい音が人の体から出るものか、と思うほどの音です。恐怖心から出るものと聞いて、自分に内在する恐怖心の大きさには驚いてしまいます。 
  この音、今ではほとんど消えていますが、ときにはわずかに鳴るのです。とても嫌です。身体の中の何処かにまだ恐怖心が残っていることを教えているのですが、内心、認めたくない事実です。  

 今回の引っ越しに際し、気が付いたら「階段」と正面から向き合うことになりました。自宅でも階段は、1日に2往復しかしません。弱点の膝をかばうため普段から極力階段は、避けて暮らしてきました。なので初めの内は、1日に登り降りを何往復したか、その数を無意識に数えていました。足がかなり痛くて辛かったのですが、今まで使わなかった筋力を使ったせいでしょうか、体重が少し減り始め、その辛さからあっさり解放されてしまったのです。3週間経った今は、昇降の数は数えなくなりました。無意識になれたことに、実はとても驚いています。 
 この階段に対する恐怖心が、即膝への恐怖心であったと気付きました。階段と正面から向き合わざるをえなくなり、あえなくこれを克服せざるを得なくなったのです。これは、凄いことです。 この日、あきらめかけていた右足の感覚がついに出ました。これは最高に嬉しいことです。つい最近、左拇指の爪が後退し始めたのを自覚してはいました。無駄な力を使わなくなると要らない分の爪は、後退することを右拇指の変化で気付いてはいました。

 「日常の色々なことが上達につながっているんですネ!」
 「そう」  

  数10年間、なるべく避けて通っていた「階段」でしたが、引っ越してきたとき「使い勝手がいい」と感じたこと自体が、今とても不思議な気がしています。
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