「基本指圧」に憧れて ― 村岡曜子のブログ

我が国固有の指圧を広く浸透させ、社会の保健と福祉の増進に寄与したい。

瞼に蘇る緊張の日々、二分脊椎症施術の記録

2009年07月02日 | 指圧の活動
  6月29日午後、錦糸町の藤原QOL研究所に藤原一枝先生を訪ねました。7月4日に開催される、順天堂大学医学部小児外科主催の学会報告の最終打ち合わせのためです。 
  報告用のスライドがみごとな出来上がりで感動的で、飛び上がらんばかりの気分です。当日が本当に楽しみです、さすが藤原先生、です。  

  スライドを見るうちに、二分脊椎症のタツヤくん施術の苦労が、まざまざと思い起こされました。片時も油断できない緊張に張りつめた日々、今でも決して忘れることはできません。 
 過ぎてみれば、中でもあのときがいちばん大変で、いちばん大事な1カ月半(2008年2月19日~4月5日までの47日間)であったと思います。「いざとなったら救急車を頼めば大丈夫だから、命に及ぶことは、絶対にないから」と、連日出ない便への不安におしつぶされそうになりながら、お母さんになんどもなんども言い聞かせました。また時を惜しまず、納得のゆくまで話し合いもしました。

 「今我慢ができなければ、自力排便は夢のまた夢になってしまう! とにかく頑張るべきは、今しかない」と、まるで天の声が聞こえたように感じたのです。連日タツヤくんの身体を圧し続けていたからこそ持てた、「100%大丈夫!」という確信でした。
  この「確信」の裏付けとなっている、「基本指圧ができる」ということが、本当にありがたいとつくづく思ったものです。 
 だからこそ不安に惑わされるお母さんに、洗腸をさせずに最後まで頑張れたのです。彼女もまた私の言葉を信じてよく頑張ってくれました。連日の緊張と不安の中にクモの糸ほどにつながる信頼は、いったいどこから生まれたのでしょうか? まことに不思議な気がします。この時の体験から現在のチャレンジ指圧教室が生まれました。  

  今回、藤原先生からも指摘されましたが、とにかくガムシャラにやったことは確かです。そのために当院スタッフにも、結構迷惑をかけたと反省、申し訳なくまたありがたく思い、心から感謝しています。確かに皆の協力なくしては、決してできなかったことですから。 
  ただ言えるのは、ガムシャラであったからこそできた奇跡だと言うのも、本当のところだと思っています  

 ひたすら色々な思いが交錯します。ただ単純に、身体のここをこうすればこうなる、などというような問題ではないこと、をしっかり理解して欲しいと強く思います。私自身そういう考え方では、「チャレンジ」と正面から向き合うことは、決してできないと心新たにしています。 
  親子の複雑な結び付きから、どうやってこんがらかった糸をほどいていくか? わずかな言葉のやりとり、体調の変化の中にも、そのヒントを逃さずにつかまなくてはなりません。 
  指圧法・運動法などという、方法論だけでは解決できるものではない、とつくづく感じています。魂レベルの触れ合いというか、信頼とでも表現するしか言葉が見付からないのです。 
 現在、二分脊椎症患者は、日本に約6000名ほどいると聞いています。当たり前のことですが、いかにチャレンジしても、そのすべての方々が自力で排便できるようになどなるわけではありません。色々な条件が揃って、初めてそこから「可能性」が生まれるのです。しかし自力排便ができることで、生活上のさまざまなことが好転することは確かです。実際、寿命すらかなり違ってくるはずです。  

  基本指圧を通して、たまにこのような奇跡ともいうべき治療効果を体験することがあります。(興味のある方は、ブログ左下方に電子書籍の欄があります。ダウンロードしてみてください。)

  これを生み出す原動力はいったいなに?  鈴木林三先生に聞いてみました。
 「生命力だよ」 なるほど「圧せば命の泉湧く」か。圧すことで、その人に具わる生命力を呼び起こすお手伝いをしているわけなのです。生命力があればこそ、受け手と術者が強い信頼で向き合えるのだと納得できました。  

  7月4日は参加費1,500円(ランチ付き)で、興味のある方はどなたでも参加できます。東京国際フォーラム(東京・千代田区丸の内、最寄り駅「有楽町駅」ほか多数)の7階・Dホールに直接おこしください。ちなみに藤原先生の報告は、10時から10分間ほどです。
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