「基本指圧」に憧れて ― 村岡曜子のブログ

我が国固有の指圧を広く浸透させ、社会の保健と福祉の増進に寄与したい。

空幕長論文を検証。正論が罰せられる国ではいけない(下)

2008年11月10日 | 分類なし
(前回のつづき)
■論文
⑤「今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある」

◆私の考え 
  アジアの国で、「耐えがたい苦しみを与えられた」などと言っているのは中国と南北コリアだけです。しかも、これらは「ためにする」発言なのです。 
  例えば韓国と同様の立場におかれ、後には韓国より不利に扱われたのが台湾ですが、台湾では日本に対する感謝の声の方がはるかに多いのが事実です。私は台湾へ行って街に出たとき、韓国のときほどの排日的な雰囲気は感じませんでした。
  夫が話していました。以前彼が勤めていた会社の経営者が言っていたそうです。兵学校当時の同窓会に、台湾人の元帝国陸軍将校が出席するそうですが、「もうちちょっと日本が頑張ってくれたらよかったのに」とよく口にするというのです。それだけ日本の統治を喜んでいたということです。  

  例えばイギリスのインド統治と、日本の韓国統治を簡単に比べてみましょう。  

  日本は韓国に無数の小・中・高等学校を作り、ほとんど字を読めなかった国民の、識字率を大幅に上げました。大学も設置しました、国立大学ですよ。当時の京城帝国大学(現在のソウル大学)などがそうです。 
  イギリスがインドに作った学校は、インド統治の役人、綿花会社の幹部の子弟のための学校だけ。現地の人達のための学校は1校も作りませんでした。  
  日本は韓国に長大な鉄道を敷きました。現在も利用しているのがかなりあるということです。 
  イギリスが敷設した鉄道は、インドで栽培させた綿花を港まで運ぶ鉄道だけです。

  そのほか日本は韓国に発電所を作り、農業施策に力を入れるなど、国力の向上に真剣に取り組んできました。韓国政府はそれらを一切発表せず、ただ憎しみだけを煽る。日本の力で清国から独立させてもらいながら、ロシアが強いのではないかと見ると、アジアの安定も考えずロシアに擦り寄る、この節操のなさが思い出されます。 
  いずれにしても、「多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価している」ことを認識する必要があるのです。

■論文
⑥「日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多い(中略)日本軍の軍紀が他国に比較して如何(いか)に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だったなどというのはまさに濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)である。(後略)」

◆私の考え 
  ここでは私の考えと言うより、渡部昇一・上智大学名誉教授の著書の中から抜粋させていただきたい。義和団事件の顛末(てんまつ)です。

 「清朝の政府は、北清事変によって、またもや大型の生麦事件みたいなものを起こしたのである。各国公使館にいた人々は、本当に生命の危険に曝(さら)されていた。北京周辺の直隷地方(河北省)に集まった清国正規兵と義和団は、10万に達すると思われていた」

 「各国とも本国が遠く離れていて救援軍は間に合わない。各国はその救援を日本に求めたのである。(略)ヨーロッパやアメリカが、日本の救援をほんとうに必要として、それを望んでいるのだということを明確にしてもらった後に、ようやく日本は1個師団2万1000の兵を直隷地方に派遣した」

 「真夏の猛暑の候、きわめて苛酷な条件の下で、日本軍は北京に向かって進撃し、その後の作戦行動においても見事な役割を果たした。(略)そこで、日本軍の行動は高い軍事的名声を確立することになったのである。(略)ひとたび軍を出すや、その軍律は厳正にして、つねに連合軍の先頭に立って力戦敢闘し、列国を感嘆せしめた。しかも、戦争が終わると、さっさと引き揚げ、外交交渉にも妥協的だった」  

  戦地では、ロシア軍などは見境なく略奪や強姦をしたといいます。しかし日本軍の軍紀は厳正にして勇猛果敢。その働きに強い感銘を受けたイギリスは、義和団事件講和の翌年、日本と対等の「日英同盟」を結ぶに至りました。「栄光ある孤高」と言われたイギリスが、いまだ白人社会に認知されていなかった、黄色人種国家の日本と対等の条件でで同盟を結んだ。これは世界の驚きであり、その直接原因が北清事変における日本帝国陸軍の軍律と勇敢さであったのです。 
  この一事が、⑥に対する私の思いです。

★『村山談話』とは何か★  
  今ひとつ、「侵略と植民地支配を謝罪した『村山談話』をはじめとする政府見解に逸脱する」ということについて一考します。

 「村山談話」とは、1995年8月15日に「村山富市首相(当時)が発表した談話。「(略)植民地支配と侵略によってアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた。痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明する」というもの。首相談話は閣議決定事項であるため、その後の内閣も拘束するというものです。  

  このときの自民党総裁は河野洋平。野に下っていた自民党は何とか政権を回復しようと、自社さ(自民党、社会党、新党さきがけ)連立政権を組んだときでした。こんな中で村山首相は謝罪談話を発表しただけではなく、謝罪外交に取り組んだのです。 
  社会主義イデオロギーにかぶれた人を首相に担ぐと、どのようなことになるか分かるはずではないですか。しかも自民党の総裁が、河野洋平という中国に洗脳されたような人物です。  

  そもそも世界の国は、自国に芥子(けし)粒ほどの言い分でもあるならそれを大声で主張し、死んでも謝罪などはしません。日本の北方領土を力で奪って、返そうともしないロシア。アメリカ大陸を侵略して、ネイティブ・アメリカン(アメリカ・インディアン)を駆逐、ついに自国にしてしまったアメリカなどを見ると分かります。 
  しかし村山内閣は、言われもしないのに謝って回ったのです。河野洋平が出した慰安婦談話などとともに、今後長らく日本の手かせ首かせになることでしょう。  

  談話はあくまでも(当時の)政府の歴史見解です。史実を検証したものではなく、村山氏の個人意見に過ぎません。総理大臣といえども、一国の歴史を改ざんして発言することなど、許されるはずはないのです。本当ならこれを機会に、村山談話を取り消す閣議決定をしなければならなかったのです。  

  今政府がやるべきことは、歴史についての自由闊達な論議を行い、村山談話を見直すことではないでしょうか。もういい加減に、自虐史観に浸るのはやめましょう。改めて言います、正論を述べて罰せられるような世の中であって絶対にいけないのです。(終わり)

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