10月31日、テレビに臨時ニュースのテロップが流れ、翌11月1日の朝刊各紙には 「航空幕僚長を更迭」 「過去の戦争めぐる論文 政府見解を逸脱」 「政府見解に反する論文、『侵略はぬれぎぬ』」 など、1面の大見出しが目に入ってきました。
更迭が決まったのは田母神(たもがみ)俊雄・航空幕僚長。航空自衛隊のトップで空将です。田母神氏は、全国でホテル事業などを展開する「アパグループ」の「真の近現代史観」懸賞論文に『日本は侵略国家であったのか』と題して応募、最優秀賞(懸賞金300万円)を受賞しました。
浜田靖一・防衛相は31日夜に緊急記者会見をして、「政府見解と明らかに異なる意見で、極めて不適切。空幕長という職にとどまることは望ましくない」(東京新聞 2008.11.1)と述べて、更迭を表明したということです。
さらに11月4日の毎日新聞朝刊では、防衛省は航空幕僚長から航空幕僚監部付に更迭された田母神空将を、3日付で定年退職とする人事を発表した、と報道しました。
これら一連の記事を読んだとき、私は「正論を述べて罰せられるような世の中であってはいけない」と思うと同時に、「こんな大事なことを黙っていては、それを是認したことになってしまうのではないか」と感じたのです。そこで、たとえ世間への影響力はなくても、自分の唯一の“意見発表の場”でもあるこのブログで、思うところの1分でも述べさせて頂きたいと考えました。
そうは言っても、今改めて資料を繙(ひもと)く、というよりは探し出す時間がありませんので、多くは私の記憶だけを頼りに書くことになります。
したがって文脈も荒っぽくなるでしょうし、十分意を尽くした文章にならないのではないかと心に引っかかっていますが、その点はご容赦をお願いいたします。しかし言わんとすることは私の信念でもありますし、今後もし機会がありましたら、この問題に興味がある方とお話しすることに吝(やぶさか)ではありません。
はたして、田母神空幕長が応募した論文とはどんなものだったのでしょう。毎日新聞(2008.11.1)に「空幕長論文<要旨>」が掲載されていますが、要旨といってもかなり長文です。もう少し短くして、便宜上6つの段落に分けて引用、それぞれについて私の考えを述べてみます。(○数字も私が付したものです)
今回「更迭」の原因は、次の2点に集約されるではないかと思われます。
●1つは「日本は侵略国家なのに、濡れ衣だと言った。侵略国家だと認めないのはけしからん」ということ。
●今1つは「侵略と植民地支配を謝罪した『村山談話』をはじめとする政府見解に逸脱する」ということではないでしょうか。
★田母神論文を検証★
それでは田母神論文について、私が分けた段落に沿って述べてみます。
■論文
①「アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とはいわない。2国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない」
◆私の考え
まず日韓併合に至った経緯を述べてみます。
日清戦争(1894~1895)に勝利したことにより、日本は朝鮮(旧韓国=現在の南北朝鮮を併せた地域)の宗主国であった清国から、朝鮮の独立を取り付けました。朝鮮は独立して大韓帝国を名乗り、朝鮮国王は韓国皇帝と称したのです。
ところが日清講和条約の締結直後に、三国干渉が始まりました。ロシア、フランス、ドイツが、清国から得た日本の領土を返還させようとしたのです。当時の日本はその圧力を撥ね退けるだけの力はなく、やむなく返還に応じたのですが、そのあと、日本が返還した土地をロシアが奪い、フランス、ドイツは清国の他の領土を剥ぎ取って植民地にしました。
日清戦争に勝ったはずの日本が、ロシアなどの言うがままになるのを見て、韓国は日本に独立させてもらった恩恵を忘れ、ロシアに擦り寄りました。まさに「事大(じだい)主義・韓国」の面目躍如です。事大主義とは自主性を欠き、勢力の強大なものにつき従って自分の存立を維持する卑怯なやり方です。
この韓国の事大主義は、何も私だけが言っているのではありません。韓国の第5~9代大統領に就任した朴正煕(パク・チョンヒ)自身が発言しているのですから、何よりも説得力があるというものです。次に引用してみます。
「わが5千年の歴史は(中略)多くの場合、敵と内通したり浮動したりする連中が見受けられたのであった。自らを弱者とみなし、他を強大視する卑怯で事大的な思想、この宿弊、この悪い遺産を拒否し抜本せずには自主や発展は期待することはできないであろう」(「我々は今何をなすべきか」朴正煕選集②)(下線は私が引きました)
やがて日本は日露戦争に引き込まれます。これは朝鮮半島へ南下してきたロシアを排除する戦いであり、わが国と韓国の命運が懸かっていたのです。半島へのロシアの席巻を放置したら、次は日本を目指すのは自明の理です。
しかし韓国は反日を標榜し、ロシアの進駐を容認しました。そればかりではありません。1個師団どころかわずか1連隊も日本のために派遣しません。日本を手助けするどころか、あくまで反日姿勢を貫いたのです。
当時のロシアは世界最大の陸軍と、イギリスに次ぐ大海軍を持つ、巨大な軍事大国でした。こんなロシアとの全面戦争は、正気の沙汰とは思えません。全世界は日本の敗戦を当然のことと考えました。韓国も日本が負けると踏んでいたのでしょう。ところが結果は日本の完勝、完膚なきまでにロシアを降したのでした。
こんな状況ですから、日露戦争後、韓国は日本の植民地にされても当時の国際常識からいって当然だったのです。しかし日本はそうはしませんでした、伊藤博文が韓国の植民地化に反対していたからです。
ところがあろうことに、韓国の安重根が伊藤博文を暗殺してしまいました。もし敗戦直後、日本人の誰かがマッカーサーを暗殺したらどうだったでしょう。似たようなことを韓国はやってしまったのです。
日本はもちろん、当然韓国でも伊藤博文の暗殺は大問題になり、韓国中が日本の報復に恐々としていました。このような中で、日韓双方からの意見具申があり、韓国の併合が進んだのです。
韓国にも「日韓合邦」を願って尽力した人たちが大勢いました。その1つに李容九(イヨング)を会長とする一進会があります。日韓の同盟によってロシアの南下を防ぐために結成されたのがこの会で、日本の内田良平や竹田範之(日本の国家主義者)と提携し、日韓合邦の請願書を提出しました。
日本はロシアのみならず、ドイツ、フランス、イタリアの意見を聞いたのですが、反対はありませんでした。中でも日本が最重視したアメリカ、イギリスは諸手を挙げての賛成でした。東亜の安定を確保したということで、英米の主要新聞はこぞって日韓併合を歓迎しました。かくて1910年、日韓併合条約は世界に認められる中で締結されたのです。
これは国家間の条約です。後になって「一方的に締結させられた」などと言っては、自らの卑劣さを暴露するだけです。
論文で「アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とはいわない。2国間で合意された条約に基づいているからである。……」 と記述しているのはこのことです。
長くなりますのでその余は割愛しますが、田母神論文の①の部分が正しいことがはっきりします。(つづく)
更迭が決まったのは田母神(たもがみ)俊雄・航空幕僚長。航空自衛隊のトップで空将です。田母神氏は、全国でホテル事業などを展開する「アパグループ」の「真の近現代史観」懸賞論文に『日本は侵略国家であったのか』と題して応募、最優秀賞(懸賞金300万円)を受賞しました。
浜田靖一・防衛相は31日夜に緊急記者会見をして、「政府見解と明らかに異なる意見で、極めて不適切。空幕長という職にとどまることは望ましくない」(東京新聞 2008.11.1)と述べて、更迭を表明したということです。
さらに11月4日の毎日新聞朝刊では、防衛省は航空幕僚長から航空幕僚監部付に更迭された田母神空将を、3日付で定年退職とする人事を発表した、と報道しました。
これら一連の記事を読んだとき、私は「正論を述べて罰せられるような世の中であってはいけない」と思うと同時に、「こんな大事なことを黙っていては、それを是認したことになってしまうのではないか」と感じたのです。そこで、たとえ世間への影響力はなくても、自分の唯一の“意見発表の場”でもあるこのブログで、思うところの1分でも述べさせて頂きたいと考えました。
そうは言っても、今改めて資料を繙(ひもと)く、というよりは探し出す時間がありませんので、多くは私の記憶だけを頼りに書くことになります。
したがって文脈も荒っぽくなるでしょうし、十分意を尽くした文章にならないのではないかと心に引っかかっていますが、その点はご容赦をお願いいたします。しかし言わんとすることは私の信念でもありますし、今後もし機会がありましたら、この問題に興味がある方とお話しすることに吝(やぶさか)ではありません。
はたして、田母神空幕長が応募した論文とはどんなものだったのでしょう。毎日新聞(2008.11.1)に「空幕長論文<要旨>」が掲載されていますが、要旨といってもかなり長文です。もう少し短くして、便宜上6つの段落に分けて引用、それぞれについて私の考えを述べてみます。(○数字も私が付したものです)
今回「更迭」の原因は、次の2点に集約されるではないかと思われます。
●1つは「日本は侵略国家なのに、濡れ衣だと言った。侵略国家だと認めないのはけしからん」ということ。
●今1つは「侵略と植民地支配を謝罪した『村山談話』をはじめとする政府見解に逸脱する」ということではないでしょうか。
★田母神論文を検証★
それでは田母神論文について、私が分けた段落に沿って述べてみます。
■論文
①「アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とはいわない。2国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない」
◆私の考え
まず日韓併合に至った経緯を述べてみます。
日清戦争(1894~1895)に勝利したことにより、日本は朝鮮(旧韓国=現在の南北朝鮮を併せた地域)の宗主国であった清国から、朝鮮の独立を取り付けました。朝鮮は独立して大韓帝国を名乗り、朝鮮国王は韓国皇帝と称したのです。
ところが日清講和条約の締結直後に、三国干渉が始まりました。ロシア、フランス、ドイツが、清国から得た日本の領土を返還させようとしたのです。当時の日本はその圧力を撥ね退けるだけの力はなく、やむなく返還に応じたのですが、そのあと、日本が返還した土地をロシアが奪い、フランス、ドイツは清国の他の領土を剥ぎ取って植民地にしました。
日清戦争に勝ったはずの日本が、ロシアなどの言うがままになるのを見て、韓国は日本に独立させてもらった恩恵を忘れ、ロシアに擦り寄りました。まさに「事大(じだい)主義・韓国」の面目躍如です。事大主義とは自主性を欠き、勢力の強大なものにつき従って自分の存立を維持する卑怯なやり方です。
この韓国の事大主義は、何も私だけが言っているのではありません。韓国の第5~9代大統領に就任した朴正煕(パク・チョンヒ)自身が発言しているのですから、何よりも説得力があるというものです。次に引用してみます。
「わが5千年の歴史は(中略)多くの場合、敵と内通したり浮動したりする連中が見受けられたのであった。自らを弱者とみなし、他を強大視する卑怯で事大的な思想、この宿弊、この悪い遺産を拒否し抜本せずには自主や発展は期待することはできないであろう」(「我々は今何をなすべきか」朴正煕選集②)(下線は私が引きました)
やがて日本は日露戦争に引き込まれます。これは朝鮮半島へ南下してきたロシアを排除する戦いであり、わが国と韓国の命運が懸かっていたのです。半島へのロシアの席巻を放置したら、次は日本を目指すのは自明の理です。
しかし韓国は反日を標榜し、ロシアの進駐を容認しました。そればかりではありません。1個師団どころかわずか1連隊も日本のために派遣しません。日本を手助けするどころか、あくまで反日姿勢を貫いたのです。
当時のロシアは世界最大の陸軍と、イギリスに次ぐ大海軍を持つ、巨大な軍事大国でした。こんなロシアとの全面戦争は、正気の沙汰とは思えません。全世界は日本の敗戦を当然のことと考えました。韓国も日本が負けると踏んでいたのでしょう。ところが結果は日本の完勝、完膚なきまでにロシアを降したのでした。
こんな状況ですから、日露戦争後、韓国は日本の植民地にされても当時の国際常識からいって当然だったのです。しかし日本はそうはしませんでした、伊藤博文が韓国の植民地化に反対していたからです。
ところがあろうことに、韓国の安重根が伊藤博文を暗殺してしまいました。もし敗戦直後、日本人の誰かがマッカーサーを暗殺したらどうだったでしょう。似たようなことを韓国はやってしまったのです。
日本はもちろん、当然韓国でも伊藤博文の暗殺は大問題になり、韓国中が日本の報復に恐々としていました。このような中で、日韓双方からの意見具申があり、韓国の併合が進んだのです。
韓国にも「日韓合邦」を願って尽力した人たちが大勢いました。その1つに李容九(イヨング)を会長とする一進会があります。日韓の同盟によってロシアの南下を防ぐために結成されたのがこの会で、日本の内田良平や竹田範之(日本の国家主義者)と提携し、日韓合邦の請願書を提出しました。
日本はロシアのみならず、ドイツ、フランス、イタリアの意見を聞いたのですが、反対はありませんでした。中でも日本が最重視したアメリカ、イギリスは諸手を挙げての賛成でした。東亜の安定を確保したということで、英米の主要新聞はこぞって日韓併合を歓迎しました。かくて1910年、日韓併合条約は世界に認められる中で締結されたのです。
これは国家間の条約です。後になって「一方的に締結させられた」などと言っては、自らの卑劣さを暴露するだけです。
論文で「アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とはいわない。2国間で合意された条約に基づいているからである。……」 と記述しているのはこのことです。
長くなりますのでその余は割愛しますが、田母神論文の①の部分が正しいことがはっきりします。(つづく)