「基本指圧」に憧れて ― 村岡曜子のブログ

我が国固有の指圧を広く浸透させ、社会の保健と福祉の増進に寄与したい。

私見“丁稚奉公こそ道を究めるための修行”

2008年07月06日 | 雑感
  日本古来の修行の1つに、「丁稚奉公(でっちぼうこう)」という制度があります。今でも付き人や、角界の褌(ふんどし)かつぎなど、色々な分野でこのシステムは、生きているようです。 
  若者達が未来に夢をつなぎ、歯をくいしばって頑張る姿が目に浮かびます。つくづく貴いことだと思います。  

  この丁稚奉公ですが、朝から晩まで掃除、洗濯、その他いろんな雑事こなしながら、仕事で使える身体が創られていくのです。その過程で、身体のでき具合に応じて師匠の技を我がものにしていく、という日本人があみ出した独特の修行法です。 
  私はもういい歳ですから、今更でっち奉公を経験したいと思っても無理な話ですが、考えるととても残念です。  

  今の住所に治療室を移して、この夏でまる3年になります。この間毎朝、和箒で21畳半の掃き掃除を続けてきました。仕事で大事な役目を果たす畳を、大切にすることも目的のひとつですが、本当の目的は丁稚奉公の一端を体験してみたいと考えたからです。 
  始めた頃は半分も掃かないうちに、腰が痛くて「うーっ」とひとりで唸(うな)りながら、腰を伸ばしてはまた掃き掃除を続けるありさまでした。大家さんのマチ子さんが、ある時これを手伝ってくれたのですが、「これって腰にくるわねー」と痛そうにしていたことがあります。 
  和箒で掃き掃除をすると、ほとんどの人が腰に痛みを感じるようです。しかしこれが仕事として、どうしてもやらなければならないとなると、どうやら身体の方が自然に工夫をするようになってくる、ということが分かりました。  
  お陰で最近はすっかり身体が使えるようになり、箒での掃き掃除なら、いくら広くても身体に無理がかかることなくできる自信がつきました。 

  仕事で身体を使いながら、“使える身体を創る”ということが実感できたのです。これがつかめたことは、スッゴク嬉しいことでした。掃き掃除が実に楽しいものになりました。毎日毎日“やる気”でこれと向き合えるのです。  
  
  この感覚を掴みたいと思って、続けていた箒での掃き掃除仕事です。目的の感覚がハッキリとしてきたので、この仕事をお掃除ロボットに任せ、今度は畳の乾拭き仕事にチャレンジしようと考えました。しかし残念ながら、思ったほどロボットがあてにならないことが判明しました。 
  仕方がないので、取り合えず掴めた感覚に感謝しながら、今まで通りしばらく掃き掃除を続けて行こうと思っています。本当なら、朝から晩までそんな修行で身体を創り、技の修得にむかうのだと身をもって知ることができ、古の日本人の知恵の深さをかいま見た気がして、大変感慨深いものを感じています。
  
  今の時代にこんなことを考えているのは変でしょうか? でも本当は、もっと若い時からこれを知っていたらよかった、と私は本気で思っています。 
  私は伝えたいと思います。若い方で、もし本気で立ち向かう気迫があるなら、何の道でも丁稚奉公こそが一番確実な修行であることを。おばさんの私見ですが、ご参考までに!

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