爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

植木の街、川口市安行で桜を満喫

2017-03-15 15:32:29 | 日記
Y君より突然の電話が、Y君とは勤務先の市が違っていたがお互い研究会・サークルで一緒でお世話になった。お互いに近況を話す中、安行で会おうとなった。武蔵野線東川口駅で待ち合わせてY君の車で散策を。川口市安行は、今では、埼玉高速鉄道が通り交通の便が良くなったが、都内の散策のように数カ所は回れない。その点、車は便利である、Y君が安行に行く前に、さいたま市岩槻のお寺の樹木を見に行こうということになり、さいたま市岩槻区の光秀寺に入る。この樹木は、さいたま市の天然記念物となっており、さいたま市のホームページによると、高さ18m、幹まわり5.7m、根まわり8m、本堂の北東に位置し、明治18年に寺が全焼し、榧(かや)の木も類焼し、上部を焼失し、根元にも大きな空洞があるが枯れてはいないで樹勢はあるとのことである。幹に刻まれたシワは、独特の風格を出している。榧の木は、大きくなるまで300年かかる成長の遅い木であり(普通の木の3~4倍かかる)。榧の木は、現在では貴重な樹木であり、あまり見ることがない、よく碁盤や将棋盤として利用されている。(植物は強い・・・)



今来た道を戻り、川口市安行の密蔵院の駐車場に入る。このお寺の隣の学校にOさんが再雇用されているとのことで久々に会う、退職すると会うことがまったくないが、若き現職時代がよみがえってくる。
参道は桜が咲いて、お花見の人が多かった。早咲き桜は、「河津桜」しか知らないが、Y君は「安行桜」と言っていた。ソメイヨシノを改良したものと言われ、小ぶりでソメイヨシノより色が濃いのが特徴です。





次に案内してくれたのが興禅院である。植木の街、安行のお寺はみな植木やお花など植栽が行き届いている。興禅院は、安行桜もあるが花と紅葉で有名なお寺である。彼岸花・シャクナゲ・菖蒲がど一年中楽しめるお寺でもある。境内の弁財天、十三仏への散策路は自然を満喫できる。



一番珍しいのが「抱かれ地蔵」である、どういうお地蔵なのか興味があり、その場所に行ってみたが分からない。後でY君に案内してもらったら、スタジイという巨木の根の所にあった。「抱かれ地蔵」というのは、根に抱かれたお地蔵さまでした・・・古さを感じさせます。


道路を隔てた前の「埼玉県花と緑の振興センター」に寄る、このセンターは、植木・果樹苗木などの生産出荷の指導、盆栽等の輸出振興、緑化にたいする知識の向上等に関する業務をしており、園内には2000種類以上の植物を展示し、無料開放している。植物には名札が付いており、お花好きには知らない花との出会いがあるかもしれない。


遅い昼食を「退職者の会」の会員でもあるTさんの「喫茶 一偶」(安行東中学校そば)で食事をとる、住居を改築しての営業とのこと、趣味の陶芸作品を器に利用しこだわりのおもてなし、また、会員のKさんも野菜を持って見えて新鮮野菜を提供しているようだ。現職の時は、こんな事はしなかったと言ってたが、この起業精神たいしたものである。営業は無理をしない17時まで、長く続けるこつかもしれない。


Y君のお陰で歩いてはこんなに見られない所を訪ねることができ、懐かしい知人に会うこともできた。曇り空の一日で写真日和でないのが残念。

【その他のPhoto】


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やはり地図もデジタルだね!!

2017-03-12 11:29:47 | 日記
2月に申し込んでいた「荒川流域の地形的な特徴と治水・利水」-デジタル標高地形図を題材にー講演を聞く。地図には多くの情報が盛り込まれているが、数十年前は5万分の1の地形図から2万5千分の1になり、さらに詳細な情報がと思っていたが、いまやデジタル標高地形図で今まで表記されなかった事が分かってきた。航空レーザ測量により5mメッシュにより標高データをカラー化し直観的に起伏が把握でき地図による活用範囲が広がった。
講演は、「埼玉県立川の博物館」羽田武朗学芸員の荒川の流路の変遷、特徴、地形をデジタル地形図からどう読み取るか講演された。今後、地形図の見方が変わる内容でした・・・
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変わっている公苑

2017-03-12 11:22:50 | 日記
先月、東京都水道歴史館を訪れたとき案内図に本郷給水所公苑の表記されていたが、今月の講演の時に早めに来て立ち寄る。

先月来たときに公苑らしきものが見当たらなかったかったので、歴史館の案内図を見たが、給水施設の上に公苑があった。水道局が明治25年に給水所を建設、明治31年に配水池が造られ、戦後、拡張工事などが終了した際、文京区が公苑としての使用許可を得て一般公開した。通りから階段を上がると庭園が目の前に現れる、しばらくすると、ここが給水施設上とは思えなくなるから不思議である。和風庭園、洋風庭園、武蔵野の雑木林、小川などが配置されている。公園の片隅には「石碑」など神田上水遺構復元施設がある。御茶ノ水駅から歩いて来ると緑が少なく、都会にはこういった公苑も必要である。




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港区立港郷土資料館と増上寺を散策

2017-03-03 15:13:06 | 日記
カメラの修理品を受け取ったついでに、行ったことがない増上寺に行くことに。カメラの修理代の高額なのに落ち込みながら都営地下鉄で「三田駅」に降りる。増上寺に行く前に、郷土資料館に立ち寄るが、郷土資料館は、三田図書館の4階にあり正式な名称は「港区立港郷土資料館」と言う。伊皿子貝塚遺跡(縄文後期)の断面、出土品を始め古代から近代まで展示されている。ワンフロアーだけの資料館であるが、あまり大きくても食傷気味になってしまう事を考えるとこれも良し。(中には珍しいものもあった)


増上寺には歩いて行くが、途中、寄り道をする。田町駅前を通り三菱自動車(株)本社裏には「御穂鹿嶋神社」があった。この神社は、御穂神社と鹿嶋神社が合体したもので、それぞれ由緒があった。ビルの裏にひっそりと線路の方に社殿が向いていた、なかなか気が付かない神社である。さらに日本電気(株)本社の敷地内には「薩摩屋敷跡」の碑があった。三田は、江戸時代には多くの大名屋敷があって、NECの場所は、薩摩藩上屋敷の一部に建てられた、薩摩藩の屋敷は中、下屋敷含めて江戸市中に6カ所あったそうだ。
芝公園に入ると芝東照宮があった、元来は増上寺内の社殿であった、日光、久能山、上野とともに四大東照宮の一つである。


増上寺の山門は工事中であった。この門は、「三解脱門」(別名:三門)で人間の「とんよく」、「いかり」、「ぐち」の三悪を解脱する境地をあらわしている、増上寺で江戸時代初期の面影を残す建造物で重要文化財に指定されている。徳川家康の菩提寺となったわけは、家康が江戸入府の折りたまたま増上寺の前を通りかかり、源誉存応上人と対面したのが菩提寺となった言われと伝えられている。




都心でこんな広いところがあるのか・・・今は芝公園となって公園として管理されているが、元々、芝公園は増上寺の境内であった。

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