爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

竹の塚でディナー

2015-06-27 15:03:53 | 日記

前の職場の方から食事のお誘い。事前に何か良いか聞かれたが何回か一緒に食事をした時は洋食が多かったので肉になった。
このお店、ランチタイムが5時まであり混んでいるそうですが、夜は空席があった。
コース料理には、チーズフォンデュがあったが苦手なチーズを避け、ハンバーグを選択、どうも無難なコースを選んでしまう。

  年をとったせいか、コース料理も前菜で満足してしまう。単品の方がいいのかな・・・昔、近所の洋食屋さんに通ったが懐かしくなった。

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どうなる 河川の漂流ゴミ

2015-06-24 18:49:52 | 日記

 夜半の雷と雨はひどかった。今日、住まいに近い1級河川に様子を見に行ったが、台風の時ほどの水位ではなかったが、漂流ゴミは多かった。この河川の漂流ゴミについては、増水するたびに流れ着く先の処理や経費が気になる。3.11東日本大震災での漂着ゴミの

多さには驚きであったし(原因は津波であるが)、近年の異常気象の中で大きな問題となっている鉄砲水災害や増水による漂流物は大きな問題である。109水系のダム・堰でのゴミは約5万トンと言われている。下流の方になると流木等は少ないが、ペットボトル・発泡スチロール・低木は多い。このため莫大な予算を費やしている。国土交通省では、「啓発活動の推進」を取り組みの柱に上げているが、これにつきるのか?

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紫陽花の鎌倉を散策 ー「退職者の会」日帰り散歩ー

2015-06-22 07:16:51 | 日記
出がけに妻から何処へ行くのと言われ、鎌倉と答えると、「また行くの」と言われ今回は紫陽花を見に行く・・・確かに1月21日に行ったばかりであった。梅雨空であるが夜半の豪雨で降ることはないかと・・・?
JR鎌倉駅で乗り換えて江ノ電の極楽寺駅へ、今日が平日かと思わせるような江ノ電の電車は大混雑。最初は、駅名にもなっている極楽寺へ、真言律宗で1259年の創建である。山門が茅葺きで趣があり、「日本昔ばなし」に出てくるようである。往事は、医療福祉施設役割をになっており大寺院であったが、度々、火災等により現在にいたっている。五輪塔・木造釈迦如来立像は国の重文になっているが建築物は古くはない。

極楽寺の近くにあるお寺が「成就院」であるが、一部参道工事・紫陽花株の植え替えのため見る事は出来なかったが、山の中腹にある成就院の参道からの海の眺めは素晴らしい。しかし、紫陽花を楽しみに上がってきた年配の観光客は、工事のお知らせを上でなく下に表示しないんだと怒っていた。

向かい側に「南無虚空蔵菩薩」と書いたのぼり旗がたった寺院があった、星井寺と言うらしい、階段したには「星の井」呼ばれる井戸があった。鎌倉は飲料水恵まれなく、このような井戸が10カ所(鎌倉十井)あった。「行基」がこの井戸を覗いた所、虚空蔵菩薩の姿が見えたため、虚空蔵菩薩を彫り御堂を建てて安置したと伝えられています。のぼり旗がないと通り過ぎるお寺です。

成就院の下が「切通し」となっている、NHKのTV番組の「ブラタモリ」でも紹介された。鎌倉の地は自然の要塞であり、鎌倉幕府はそした所に幕府を開いた、日本では珍しい城塞都市である。城塞都市でも交易は必要であり最小限の道を造成するため山を掘削した、それが切通しであり、鎌倉の場合は切通し幅は現在と比して相当狭い。鎌倉七口といい鎌倉市内には切通しが七カ所の古道がある。

切通しを通り、景正弓立ての松のある御霊神社に立ち寄る、神社の前を江ノ電が通っており「紫陽花と江ノ電」の撮り鉄のベストポイントのようで私も仲間に入ったがベストショットは撮れなかった。

 御霊小路を通り「花の寺」と呼ばれる長谷寺へ、長谷寺へ行く通りから混雑、拝観料300円を支払い、「拝観券」と紫陽花の整理券を受け取り境内へ、紫陽花の散策路に入るのに相当の待ち時間があるため本堂の十一面観世音菩薩像を見学、金ぴかで大きい、こんな大きい立像は見たことはない、荘厳な感じでしばしたたずむ。まだ散策の順番が回ってこないので、皆、見晴台付近で休憩。ここからの由比ヶ浜海岸の景色は格別である、梅雨空でなけれ良い写真が撮れる。やっとの事で順番がきて散策路に入るが行列である、山の中腹に植物観賞用の散策路を造っているが、高低差の中の紫陽花や遠くに目をやると海が見える、この構図は他の所では見られない。皆、写真をパチパチ、列が止まってしまう。(混雑するわけを納得)
境内にある海光庵にて食事を取るが、ここでも並んだ。






次は高徳院(大仏)を予定していたが、幹事のMさんがカットをとの提案に皆、長谷寺での大混雑で大仏も混みそうなので納得。
長谷駅に行く途中に収玄寺に立ち寄る、江戸時代後期に日蓮の信者であった鎌倉時代の武士四条頼基(四条金吾)の邸宅跡に創建された。境内には、東郷平八郎の揮毫の碑が建っている。

長谷駅から鎌倉駅に向かうが、乗れるのかと思うほどの大混雑である。
鎌倉駅からは以前に回った事がある本覚寺(刀工・伝岡崎五郎正宗の墓)、抄本寺と回るが抄本寺では静けさに一同感動、いままでが観光客でいっぱいだったのが嘘みたい・・・


 これで今日の散策予定は終了ですが、萩寺(宝戒寺)に寄りましょうとのことになり、鎌倉八幡宮の近くの宝戒寺に向かう、途中、「親鸞上人辻説法跡」という所がありました。昔、この地域は武家屋敷と商家の境になっており人通りが多く、説法には丁度いい場所だったようです。

宝戒寺は、抄本寺と同じように静かであった。萩の寺と言われているので秋には混雑するかもしれないが、もちろん萩は多いが紫陽花など他の花がないわけではない。この時期の緑は植物の息吹を感じさせくれる。

今回の散歩は、紫陽花の時期で鎌倉が混み合ったせいか時間がかかった。しかし、紫陽花の美しさや、喧噪から離れた静寂の中のお寺のよさも味わった。

【その他のPhoto】
紫陽花も色々な種類があるんですネ、通りの店先や住居の庭でも多くの紫陽花を観賞できました。うっとうしいこの時期、私たちの目をやすませてくれます。

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みりん・小林一茶・近藤勇の街 流山市

2015-06-08 15:41:05 | 日記
図書館で借りた本の中に流山市の散歩コースが掲載されていたので、近い事もあり行くことにした。しかしJR南流山駅は「つくばエックスプレス」で乗り継ぐ時以外下車した事がない。地図を片手に流鉄「鰭ヶ崎」駅付近の東福寺へ、弘法大師が814年に開山といわれ、由緒あるお寺である。この地の地名である「鰭ヶ崎」は弘法大師が仏像を彫っていると海龍があらわれ「背鰭」の先を残した事から「鰭ヶ崎」と名付けられました。通りから東福寺に入ると左手に庚申塚、正面には階段があり、上がった所に仁王門、両側に金剛力士おり、本堂の方に進むと左に鐘楼、右手に小さい門がありますが門の上に彫り物があり、これが左甚五郎の「目つぶしの鴨」と言うそうです。近所の田圃が度々荒らされ、彫った鴨の足に泥がついているのを見つけ目に釘を打った所、荒らさなくなったという話ですが、確かに彫った鴨の目がちょっと変でした。次の赤城神社には徒歩でなく電車で行くことにしました。

赤城神社は次の平和台駅の住宅街の林の中にあり、山門には大きいしめ縄が飾られていました。小さい山門に「大しめ縄」がぶら下がっている光景は違和感がありますが、流山市の無形民族文化財に指定されています。赤城神社の由来は、群馬県の赤城山の土が大洪水ここまで流れてきたため赤城神社と命名。また、この地は山が流れ着いた地のため流山と言ったそうです・・・どうなんでしょうか?
隣のお寺の光明院は、赤城神社の別当寺で、小林一茶に関わる句碑が多くありました。小林一茶は、度々、俳人仲間の秋元双樹を訪ね親交を深めていました、一茶は家庭的には不遇で一人一茶と言われており、双樹との親交の時が充実した人生でだったと思われます。

一茶と双樹に関わる記念館が光明院の先にありました。秋元家の子孫が住んでいた家を流山市が買い取り、「一茶双樹記念館」としました。施設は、本家(展示・みせ)/一茶庵/双樹亭からなり、一茶庵と双樹亭は一般に貸し出しされている、前の庭が素晴らしいので今では味わえない雰囲気を味わえます。


秋元双樹の名前は俳号で本名は秋元三左衛門と言い、味醂醸造(天晴味醂)を始めた人で、のちの味醂の2大ブランドの一つだ。秋元家の味醂の醸造は平成19年で閉鎖したが、もう一つの堀切紋次郎の「万上みりん」はキッコーマンと経営が変遷した。「みりん」は、現在は各家庭の調味料としてありますが、昔は飲用されていたそうです。
流山市の「小林一茶」、「みりん」ときて最後の史跡が近藤勇陣屋跡である。陣屋そのものが残っているわけでなく、あくまでも陣屋「跡」である。官軍に追われて敗走し、立て直すために流山に移動、光明院などに分宿していたが官軍の先鋒隊に捕まり、近藤勇は連行された板橋で処刑された。流山が近藤勇と土方歳三の最後の別れの地とともに、新撰組の解体の地でもある。

最後、博物館に行きがてら商家が多く残っていたので見て回った、商家の点在する地域は江戸川により近い、旧流山街道ぞいに点在していた、流山が舟運で繁栄した街で、交通の要衝でもあった。

流山市立博物館は、図書館と併設である。2階の一角が博物館で旧石器時代から現代、新撰組、みりん等が展示され歴史的にも古い流山市である事がわかる。

自宅から近い割には遠回りなどしてしまった事もあり2万歩を超えてました。疲れた!!

【その他のPhoto】



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5.31オール埼玉総行動

2015-06-01 15:24:57 | 日記
集団的自衛権行使が閣議決定され国会で審議されているが、国会審議をTVで見ていると双方の歯車が合わないためイライラする。総理の答弁を聞いていると、こういう言い方もあるんだと感心してはいけないが感心する、いままでの総理でこんな不誠実な答弁は無かったように思うが、国民を馬鹿にしている。
「退職者の会」も「憲法9条を守る・戦争をさせない」と言う「5.31オール埼玉総行動」への参加を呼びかけたところ多くの会員が集まった。


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