爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

映画 「31年目の夫婦げんか」

2014-03-29 12:27:18 | 日記
31年目というと私たち夫婦より少し下なのか興味があり映画に、内容は、夫婦の絆を取り戻したい妻が、夫婦でセラピーを受け愛を取り戻すまでの過程の映画である。きわどい会話とコミカルな愛をためしあおうとするシーンに、思わず吹き出しそうになる自分をこらえ、日本とアメリカでは「愛」「性」がオープンで違うんだなと感じた。「性」はともかくとして、これからの短い人生「愛」「夫婦の絆」が感じられる生活を送りたいと思うのは万国共通であろう。
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退職者の会 日帰り散歩「大手門から皇居・東京駅を巡る散歩」

2014-03-28 21:00:12 | 日記
東京は25日に開花宣言をしたが、あいにくの雨の「日帰り散歩」、大手町から傘をさしての散歩となった。
 大手門は、江戸城の正門で戦国武将・藤堂高虎によって完成(近世城郭名築城家で知られ特徴は石垣を高く積み上げ堀の設計である)。江戸城の修復により現在の枡形形式の城門になったと言われています。いまは、皇居東御苑として開放している、受付で入苑カードを受け取り園内に入る、脅かされるのが大きな石垣である。見学者皆が、この石垣どうやって運び積み上げた?・・・それと、石垣が隙間が少なく綺麗に積み上がっている。入苑すると目にはいるのが「番所」と言われるものだ。「番所」とは、警備の詰め所のことで江戸城には、「同心番所」「百人番所」「大番所」が残っている。城の奥にしたがって位の上の武士が詰めていた。番所を通り、本丸跡へ、ここにはまったく面影がない「忠臣蔵」で有名な刃傷松の廊下跡がある、江戸城では2番目に長い廊下であるがどいった配置であったのか跡に立っても想像できない。いつも案内してくれるMさんの話では、刃傷事件は3月14日で、散歩の時期を3月中にこだわったとの事。

 東南角に富士見櫓がある、海や富士山を眺められ、天守閣が明暦大火で焼失ままのため本丸の貴重な遺構となっている。本丸の方に行くと石室があります、抜け穴、金蔵とか話が出ますが、大奥御納戸の脇と言うことで、非常時の大奥用の調度品を納めた所と考えられている。散歩しているといろいろな植栽が心を和ましてくれる、花好きの方が「これは○○」「あれは○○」と話すが覚えられない。覚えられるのが不思議である・・・
 天守閣のあったところは、展望台のようになっているが、回りの高層ビル群のためやはり面影がない。

 雨が続くため予定(田安門・千鳥ヶ淵・半蔵門・桜田門はカット)を切り上げ、三の丸尚蔵感館の有栖川宮家伝来の京焼を見学して終了。
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ライブハウス「ケントス」へ

2014-03-26 19:26:22 | 日記
久しぶりの誘いで六本木ケントスへ、はがきの通知が10回となっていたが2ヶ月に1回の割合か、欠席しなかったので皆勤賞もの、火曜日だが遅い時間帯になるにしたがって席が埋まっていく、6人の参加で3ステージまでいる。ボーカルではユキエちゃんの他に新人のショーコちゃんが1ステージを歌った。帰りは11時半過ぎとなったが、たまにはストレス解消にいいか・・・
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「春分の日」の浅草散策

2014-03-23 21:00:24 | 日記
秋分の日」・「お彼岸」・「仏事」の構図が若い頃は理解出来なかった。この年になると、何かしら「しきたり」に従うようになり、浅草へ。お寺より、ぶらぶら散策が目的でもあるが・・・東京は、神社仏閣が多いが、この浅草はひときわ多く、仏具屋さんが多いのが物語っているのでは。この一帯は、「明暦の大火」でお寺が集められたと言われている、時の幕府の寺院の管理政策があったのだろう。
お寺で「しきみ」と線香を買い求める、この宗派(真宗大谷派)は「しきみ」という葉でのお参りなので経済的には助かる。(近年、色花が多くなった)お墓参りが終わり、「伊能忠敬」のお墓があるという源空寺へ、東本願寺を左手に見て、合羽橋の通りへ。この通りだけは、客層が違う飲食業に関わっている雰囲気の方が多い。この地は、大正時代に数件の道具商から現在にいたる有名な道具街である。道具街を通り過ぎ、住所表記では浅草ではなく東上野にある源空寺に到着、境内に入ると本堂と左手に鐘楼が、この鐘楼は徳川家光が寄進したと言われる。境内をうろうろするが墓石がない、お寺を間違えたのかと思い脇から出ると、道を隔てた所に「源空寺墓地」とあった。入ると時代を感じる墓石が幾つか並んでる。「伊能忠敬」と隣には師匠でもある「高橋至時」の墓が並んでる、2人は「日本地図の父母」言われている、「伊能忠敬」は、遺言で師である「高橋至時」の傍らに葬るようにとの事。墓石には、業績がびっしり刻印されている、彼の偉大さと師を思う気持ちが表れていた。また、高橋至時の長男でもある「高橋景保」の墓石もあった。「高橋景保」は、忠敬の実測した「大日本沿海輿地図」を完成させた人で、シーボルト事件(シーボルトに返礼として大日本沿海輿地図の縮図送る)で獄死したが、彼がいなければ「伊能忠敬」の偉業がなかた。もう二人、有名人の墓石があった、侠客「幡随院長兵衛」(元祖侠客?)と谷文晁(画家)である、一つのお寺でこれだけ有名人の墓石があるのも珍しい。

次に行くお寺は、誓教寺である、「浅草通り」渡ると寺があった、ここは「富岳三十六景」の葛飾北斎である、山谷堀で亡くなりここに祀られている。30回の改名、93回の引越し、狂人とまで言われ、北斎の奇行は映画にもなった、墓石には「画狂人卍墓」と刻印されていた。

以外に早くお寺を回れたので、隅田川公園を通り言問橋の方を散策、言問橋は、震災復興事業で建設された端で、三大ゲルバー橋(桁と継ぎ目からなる構造)の一つと言われたが、3月10日の東京大空襲では悲劇の橋となってしまつた。橋を渡ろうとした避難の人が橋の上で身動きがとれなくなり言問橋は人が燃えて真っ赤だったと言われている。

もうチョット足を延ばし今戸神社へ、途中、山谷堀を通る、かつては水路で吉原まで通じていたが埋め立てられ公園となった、付近には都立浅草高校があるが、この校舎は珍しくR建築?である、かつて神奈川県で円形校舎を見学したが(教室が扇型)、そこまで円形ではないが学校としては珍しい。

今戸神社は、「招き猫発祥の地」「沖田総司の終焉の地」「縁結びの神」で有名な神社で、訪れた時は、女性が多かった、願いの絵馬は他の神社では見られない丸い物で、縁と円の語呂を掛け合わせたものである。

続いて訪ねたのが待乳山聖天である。読み方が分からなかったが「まつちやましょうでん」と言う、本殿に向かう左側に大根が売られていた、お供え物である。右手には、唯一、江戸時代の物が残る築地塀が残る。人力車の車夫がカップルに説明しているのを聞くと、夫婦和合の神様である事をSEX秘仏をからめて説明してた。大根と巾着はこの神社のシンボルで大根は体内の毒と煩悩を自らを洗い清め、巾着は商売繁盛の願いが込められています。東京では一番低い自然の山との事です、江戸時代には、見晴らしが良く眺望の名所であった。しかし国土地理院の地形図には山名表示はない。

帰り道、言問通りに出て旧猿若町へ、この一帯は江戸時代に中村座・市村座・河原崎座の猿若三座があった所である。歌舞伎が一大娯楽となり風紀の乱れに規制統制を強めてきたが、老中・水野忠邦は「天保の改革」で廃止予定だったが、遠山左衛門尉影元(遠山金さん)の「庶民の娯楽を奪うことは人身の安定に役立たない」の助言で日本橋周辺から猿若町に集められた。いまは、まったく昔の面影はない。

東京ラプソディーという歌があるが、♪楽し都、恋の都、夢のパラダイスよ花の東京♪を聞くと銀座と浅草を思う、♪明けてもくれても歌う、ジャズの浅草ゆけば・・・♪まさに庶民の娯楽の街である、江戸時代から栄えた浅草歓楽街もTVにより様変わり。昔のような「粋」な事がないだろうが、近年、浅草がサンバカーニバルやスカイツリーで賑わいをとりもどしつつある。
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新大久保はコリア・タウン

2014-03-02 20:14:45 | 日記
前職場の会食グループの誘いで、新大久保・新宿での会食。新大久保駅12時待ち合わせ、土曜日なのか改札口は待ち合わせでいっぱい、ほとんどが女性である。かつて三遊亭圓歌がこの駅に勤めていて、駅ネタでも有名であるが。

この地、百人町は伊賀組百人鉄砲隊の屋敷があったことに由来するが、昭和初期まで文人、研究者、音楽家がすんでいたが、戦後、日雇い労働者、在日朝鮮人が住みつき1950年代には朝鮮戦争等でさらに流入、1970年代頃から韓国料理など少数ながら点在していたが、自由化でさらに流入しコリア・タウンと呼ばれる一角を築いた。現在は、何か?・・違和感のある駅付近である。食事に行く途中、韓国コスメに立ち寄る、日本のデパートの化粧品売り場とは異なり、一見して安売り・アウトレットと分かる配置、陳列である。私は興味が無く座って待っていたが、女性には人気がある。

食事は、「おんどる」という韓国料理店である。お店の前は予約の人でいっぱい、幹事のIさんが早めに来て予約してくれたので、すんなりと席に。メニューを見ても分からないのでIさんにすべておまかせ。退職前によく行っていた焼肉屋さんとは違って、本格的な韓国料理のお店の印象をうけました。

会食後は、新大久保を散策、韓国系スーパーには実演、試食販売が多い、キムチも色んな種類、日本の太巻きのような物など・・・店内は買い物客で混み合う。若いAさんが「イケメン通り」に行ってみたいとの話で物見遊山で闊歩するが、人通りは多いがAさんの期待にはチョット添う通りでなかったようだ。
一休みで入ったの韓流カフェ「コーヒープリンス点」2~4階まであり、フロアーごとにイケメンが、店内はほとんどが女性客である。ハーフセルフのお店で、案内と運んでくれるだけで何故と思うが、女性は韓流イケメンと同じフロアーにいるだけでいいのか??

5時近くになり、早い夕食のため新宿の「ル・ビストロ・資生堂」へ、久々のフルコースである、年金生活の身では、度々、このようなディナーはできない。

 昼・夜と豪華に過ごした一日だっが、帰って妻に話したら、一年で1回だネと嫌味を言われてしまった。
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