爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

駅ハイ・・千葉  ~古代のロマンを秘めた「大賀ハス」~

2019-06-23 11:30:57 | 日記

TVで古代ハスの「大賀ハス」を放映していたが、「駅からハイキング」のコースに入っていたため参加する。また、今回の駅ハイには入っていない千葉市稲毛区にある古民家2棟も見学の個人コースに入れた。

 千葉駅にある「千葉市観光情報センター」にて受付を済ませる。「大賀ハス」は千葉公園にあり、コース案内図によると駅から近い所にあるようだ。道路沿いに「大賀ハスまつり」ののぼり旗がありわかりやすい。駅近に広い公園があるのも珍しい、公園の入口に「鉄道第一連隊演習所跡」の碑がありましたので、この広さはうなずけます。戦後、戦災復興計画により野球場・競輪場・プール・体育館などの都市公園として整備されました。春の桜、夏の大賀ハス・秋の紅葉とボート遊びなど、綿打池(わたうちいけ)は自然観賞池となっています。今回の「大賀ハス」は、1951(昭26)年に大賀一郎博士たちが千葉市検見川の東京大学検見川厚生農場(現在・運動場)の泥炭層を掘り下げ地下約5.5mからハスの実を発掘し1952年に千葉公園に分根され、それが発芽し現在にいたります。1993(平5)に千葉市が政令指定都市に移行したことを記念し「市の花」に制定しました。

予定のコースをカットして「千葉神社」へ。 平安時代の末に千葉の町の礎を築き、戦国時代まで現在の千葉市一帯を支配した千葉氏の保護を受けてきた神社である。 朱塗りの神社で京都の神社を思わせる、日本で唯一、上下に拝殿を有する重層社殿である。

千葉神社から猪鼻公園・千葉城を目指す。途中、コースにも入っている「千葉市美術館」の重厚な建物があった。1927(昭2)年に建てられた旧川崎銀行千葉支店でこの建て方はネオ・ルネスサンス様式とのことで、千葉空襲で焼け残った歴史的建造物である。

大和橋を渡り猪鼻公園に。 入口の所に「お茶の水」の碑があった。昔、源頼朝公を居城・猪鼻山に迎えた際にここの水をさし上げた所、深く之を賞味したと伝わっている。公園内には神社や戦争の慰霊碑があり、先に千葉城が見える。勉強不足で千葉市にお城があるとは思わなかった。 お城の中は、郷土博物館となっており5階は千葉市内を見渡せる展望階となっている。

猪鼻公園からのコースを残念ながらカットし千葉中央駅から京成千葉線にて稲毛駅に向かう、沿線の景色が海に近いと思わせる松が見える。稲毛区は文人に愛され別荘地として古くから栄え千葉大学をはじめとする高等教育機関が多く、千葉市行政区6区の中では人口密度が一番高い。区全体が下総台地にあり海にも近く起伏も多い。京成稲毛駅から海岸方面を目指して下る、千葉街道に出て左折し「千葉市ゆかり家・いなげ」に。この家、あの中国清朝で映画にもなった「ラストエンペラー」愛新覚羅溥儀の実の弟で溥傑と妻・浩が半年程この家に居を構え新婚生活を送りました。元々は、保養施設として建てられた一つで、東京市神田区・鈴木家(水飴商)が購入したもので大正2年建築(推定)で全体として改造が少なく大正時代初期の建築を伝えています。主屋は棟がL字型で入母屋の破風が見られます、腰付障子、飾り欄間、格子天井など随所に凝られています。洋間は、離れとともに増築されたとみられています。 愛新覚羅溥傑は、稲毛にあった陸軍歩兵学校に在籍していた昭和12年にこの家から通っていた。 この建物は、武見家の所有となり最終的に千葉市が取得したものです。

※愛新覚羅溥傑・浩夫妻は、戦後、激動の生涯を送りました、戦後、収容所生活・拘禁、長女慧生の心中事件など波乱の人生でしたが。晩年は夫婦で日中親善に尽力し生涯を終えました。この家での6か月間はお二人にとって平穏な生活を送られたのでしょう。

「千葉市ゆかりの家・いなげ」から至近の所に「千葉市民ギャラリー・いなげ」がある。旧神谷伝兵衛別荘です、神谷氏は「日本のワイン王」と言われています、8歳で酒造家を志し、17歳で酒造づくりを学ぶため横浜に渡りました。浅草で日本初の洋酒バーを開店し、成功をおさめました。それが現在でも営業している電気ブランで有名な「神谷バー」です。この別荘は、病気療養のため造らせたもので、当時としては珍しい鉄筋コンクリートとなっており貴重な史跡です。残念ながら耐震工事のため写真に収めることができませんでした。「市民ギャラリー・いなげ」もそれなりに雰囲気のある建物でした。

「駅からハイキング」を立ち寄り先をだいぶカットしましたので。機会があれば、また、訪れてみたい千葉市でした。

【その他のPhoto】 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原宿ミニ散歩 ー太田記念美術館・東郷神社・明治神宮ー

2019-06-20 19:23:31 | 日記

太田記念美術館は原宿駅近くある。6月1日~6月26日の企画展で「江戸の凸凹 ー高低差を歩くー」をテーマに高低差に焦点をあてて、浮世絵で江戸の町をめぐるに興味があり出向く。その周辺にある「東郷神社」「明治神宮」も併せて散歩コースに入れてメトロ「明治神宮前駅」に着く。


太田記念美術館に向かっているつもりが「東郷神社」に到着する?!スマホのナビをまだ使いこなせない・・・。参道には数多くの東郷神社のぼり旗が、旗の上の方には四角に黄・黒・赤・青色に色分けしている印があった、これが「Z旗」の印である。
「興国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層、奮励努力セヨ」旗艦「三笠」に掲げられた信号旗である、A~Zまで信号旗があり最後の旗であるためZ旗だそうな。この神社、言わずと知れた元帥海軍大将東郷平八郎を祭神とした神社である。陸軍が乃木神社、海軍が東郷神社であり靖国神社とともに軍事色の強い神社でもある。東郷神社は鎮座祭を昭和15年5月27日に行われたが、この日は、日本海海戦の完勝日、当時の海軍記念日でもあった。社殿等は戦災で消失し現在はコンクリート造りになっている。東郷記念館を併設し多角経営している東郷神社でもある。

東郷神社を出て、太田記念美術館に入る。通りに面していないため分かりにくい場所にありました。浮世絵に特化した美術館で、東邦生命保険相互会社会長を歴任した実業家の太田清蔵氏のコレクションを基礎に昭和55年(1980)に開館した美術館。今回の「江戸の凸凹 ー高低差を歩くー」は、東京スリバチ学会会長の皆川典久氏が関わりあっているのにも興味があった。高低差のある浮世絵作品を集め東京の10の主要エリアにわけ地形図・現代写真・浮世絵の対比が面白い。江戸時代は現在ほど埋め立てが進んでいないため、浮世絵の作品の中に高低差が多く描かれていた。浮世絵もこうした観点から鑑賞するのも浮世絵の鑑賞の仕方も変わってくる。

 

JR原宿駅の裏に当たる明治神宮へ。参道が急に外国人観光客が多くなってきた、一度はお参りに来たことがあると思うが記憶にない。参道の途中に『「明治神宮御苑」花菖蒲』
の入口が、前にTVで明治神宮の自然と植物について取り上げていたが、お参りだけではと思い立ち寄ることにした。都心で自然が残っている所が多くはないが、花菖蒲田、つつじや、清正井、隔雲亭(休息所)など四季折々が楽しめます。この神宮御苑は、江戸時代は、熊本藩主加藤家下屋敷の庭園、その後彦根藩主井伊家に移り、明治維新後は皇室の御料地となりました。武蔵野の里山の面影をとどめています。

 

梅雨に入っての散策、歩数的にはさほど多くはないのですが、人混みでチョット疲れました。

 

【その他のPhoto】

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤羽駅付近を散策

2019-06-05 11:47:10 | 日記

住みたい駅として人気ある駅、赤羽である。また、「センベロ」という新語にふさわしい街でもある。生活する上で交通の便が良い、物価が安いと、言うことがないディープな赤羽でもある。

赤羽という地名の由来は、土器に使われる赤土(赤埴・あかはに)が多いことから付けらた、また、赤土の崖線をこの辺ではハキ・ハケといい、赤土の露出した崖を「赤バッケ」とも呼ばれたという説がある。

北区では主要駅からの観光コースを数コース明示していたので、今回は自分の体力を考えてピックアップして散策した。 京浜東北線の赤羽駅で下車し西口から線路沿いに北に向かう。5分ぐらい歩いた所に急坂が見えてきた、新幹線が見える神社はここか?。近づくと「八幡神社」の看板と右手に参道?らしき道が続き階段と上に鳥居があったので上がる。この神社、赤羽八幡として知られ、赤羽村、下村、袋村、岩淵宿、稲付村の総鎮守で伝説によれば延暦3年(784)に征夷大将軍坂上田村麻呂が東夷征伐で陣を張り、八幡三神を勧請し武運長久を祈ったと言われる。 武蔵野台地の東北端に位置し、下を見れば赤羽駅から出てきた電車がこの神社の前で左右に分かれる。何とも不思議な場所にある神社である。これも新幹線建設によるもので、鉄道好きにはたまらない場所かもしれません。

駅に戻り「赤羽自然観察公園」に向かう。目的は園内に移築されている「ふるさと農家体験館」である。北区指定有形文化財「旧松澤家住宅」が展示されている。赤羽駅から道路は緩やかな上り坂となっているが廻りの住宅地は高台の上にもあり、スリバチ状の地形で地形マニアは聖地であるらしい。等高線を見ればおもしろい地形なのだろう。

※高齢化社会の中、高台に住むのは何かと大変だと思う。バス停の時刻表示を見ると本数が多い、赤羽は東京の北の玄関口の役割もあるが、バスの便なくして高台には住めない。地方のバス路線の減便・廃止を思うと恵まれている面もある。

 

「赤羽自然観察公園」は、元自衛隊十条駐屯地として使用されていた土地の一部を整備した公園です。スリバチ状の地形から湧水の保全・活用するため、従来の公園ではなく「自然とのふれあい」を目指し、本来生息する植物を植栽し放置を前提とした植生管理されている公園です。この公園の一角に「北区ふるさと農家体験館」があります。体験館の名のとおり江戸時代の建築、昔の暮らし、行事を体験します。江戸後期の古民家で、田の字型の間取りで、附書院、箱棟(はこむね)と言われる棟の上にやぐらを組み瓦屋根を載せる棟形式の一つである。北区では珍しい古民家の保存である。

また、駅に戻る途中に小さい赤い鳥居が見えたので立ち寄る、通りの裏手にあり赤い鳥居がなければ見落とす場所でもある。亀ヶ池弁財天とある、元々ここにあったものではなく、これから行く静勝寺の鎮守として安置されていたものを勧請して祀ったものらしい。小さい池の水源は赤羽自然観察公園が水源で池には亀ヶ池の名のとおり亀がいっぱいいる。

静勝寺(じょうしょうじ)に入る。上り階段の入口に「都旧跡 稲付城」とある、説明板によれば武将・太田道灌が砦として使用したといわれる稲付城で、道灌の死後、静勝寺となった。城は寺の敷地から南にかけての丘陵一帯とされています。

東口に出て、「カトリック赤羽教会」の建物を見学に行く。空襲で消失した旧日本製麻(現・帝国繊維株式会社)工場跡地にアメリカからの寄付金により購入し、修道院、聖堂、幼稚園が建設された。1951年には、象徴でもある尖り屋根の聖堂が完成した。正式名称である「被昇天の聖母カトリック赤羽教会」の名にふさわしい建物であり、心が静まる場所でもある。

神社、お寺、教会とそれぞれ異なるが、心が洗われますね、まさに聖地です。

 

【その他のPhoto】

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6・2オール埼玉総行動

2019-06-03 14:54:26 | 日記

6月2日にオール埼玉総行動実行委員会主催による集会があり、私たち「退職者の会」も参加しました。

今年は参議院選挙の年でもあり、立憲主義を取り戻す!、戦争させない!、9条こわすな!で野党統一を願うばかりである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする