爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

第6回 「退職者の会」総会

2014-05-24 13:47:54 | 日記
組合の「退職者の会」の総会が行われた。時代の趨勢なのか本家の組合加入より退職者の加入の方が数で上回り元気である。開会あいさつに続いて議事に入る、会費の徴収が今回の主議題である。今までの組合の援助で運営されてきたが、今年度より2000円会費で運営される事になった。役員承認では、この私が加わる事になった、組合の会計担当執行委員の経験からと思われるが、頼られるうちが花と受けてしまった、役に立つのか?
総会の後は「懇親会」に移る、今回から個人の出し物が企画された、太鼓・狂言・歌・ファッションショーありと、美女?(老女ではありません)演芸軍団の大活躍、女性は生き生き元気である。最後には各自の近況報告をし懐かしさ一杯の総会であった。2次会にも多くの老老(若)男女が出席し皆が「こんな時代だが平等な社会を目指そう」と盛り上がった。/font>

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年1回のCT検査

2014-05-22 23:42:39 | 日記
今日は大学病院でCT検査・採血・採尿をおこなう。医師の診察がないのでゆっくりと病院へ。CT検査だけは時間指定のため最初はCTルームへ、ここは予定時間が確実なのですぐ済むが、問題は採血である。採血ルームで受診票を入れると100人待ちである、とりあえず採尿ルームへ、先客がいたがその先客がカップを手に持って孤軍奮闘、私が済んでもまだカップを手に持っていた。私も経験があった、年を取ると出るときは何回も行くが、出ないとなると雀の涙もでない・・・笑えない・・・。採血まで時間がありそうなので1階のスターバックスでコーヒーを飲む。レシートを渡される時に「本日中のコーヒーの注文は割引があります」と、病院なんかで2度もコーヒーなんか飲みたくない。いよいよ採血の番号を呼ばれブースに入る、いつも担当者が私の血管が細いのか採血に苦労しているが今回はすんなり7本もの採血がとれた。採血が終わり会計に行こうと歩いていたら血が手まで流れ出た、いままでこんな事はなかったが、いつも担当の方が「5分間押さえてください」との話があったが言うことを聞かないと・・・
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母が姉と遊びに行った神田明神

2014-05-16 08:44:06 | 日記
 亡くなった母と登代子叔母さん、静子伯母さんの3人から子どもの頃の話を聞くことが無かったが、唯一、3人姉妹で呉服橋から神田明神に遊びに行った話を登代子叔母さんから聞いていた事がある。母が明治末期の生まれだから大正時代の話だろう、往復5kmの道のりで帰りは結局、登代子叔母さんにおんぶされて帰ってきた。母は記憶には無いらしいが、登代子叔母さんは、よほど大変だったのだろう私に話してくれた。
今では歩こうとは思わないが、今回、跡をたどってみた。

現在の地図と大正時代の地図を参考にしたが、道路そのものは大きな変わった所は無い、外堀通り・本郷通りを行くことに、呉服橋を通り常盤橋、右に日本銀行、竜閑橋、鎌倉橋、神田橋で右折する、

しばらく歩くと「お茶の水駅」が見えてくる。左手に「ニコライ堂」のド-ム屋根が見える、ニコライ堂は通称でロシア人修道司祭ニコライにちなんでいる、正式には「東京復活大聖堂」という、日本で初の本格的なビザンティン様式で最大の教会建築と言われる。1891年に竣工、高台に建築したため、独特の景観であった。「御茶ノ水駅」脇の「聖橋」を渡り右手の湯島聖堂に立ち寄る。この「聖橋」は、震災復興事業の橋梁で、ニコライ堂と湯島聖堂を結ぶ事から「聖橋」と名付けられた。
湯島聖堂は、5代将軍綱吉に建てられた聖堂で、本来は「孔子廟」である。もともとは林羅山が私邸内に建てたもので、林家の学問所も当地に移転している。学問所があった関係で「日本の学校教育発祥の地」ともなっている。

裏手になるのが目的地「神田明神」だ。 正式名称は「神田神社」で神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神である。歴史は古く730年に武蔵国豊島郡芝崎村に入植した出雲系の氏族が大己貴命を祖神として祀ったのが始まりと言われる。「神田明神」の神田祭は、日枝神社(山王祭)・富岡八幡宮(深川祭)と並んで江戸三大祭りと言われる。この3ヶ所とも日本橋地域を氏子に持っている。子ども3人であっちのお祭り、こっちのお祭りと、娯楽の少ない時代に出かけたのだろう。江戸三大祭りについては「御輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様」と謳われた。神田祭は当時は山車で有名だったが路面電車、電柱での支障、震災、戦災で山車の焼失などで現在の御輿が主となった。子どもにとっては、御輿より山車の方が面白いかもしれない。
お参りした日は、表千家の献茶式(崇敬の心をもって神仏や御霊にお茶をお供えする儀式)が行われ、大きいテントが設置されていた。

神田明神を下ると秋葉原の電気街である、古地図に母の学校が表記されていたので万世橋方面に、かつての万世橋駅が外は「レトロ」中は「モダン」に変貌。

さらに神田川下り「和泉橋」に、この辺に「日本橋高等女学校」あったが、もちろん今は無い。馬喰町に日本橋女学館中学・高等学校があるが、そこに移転したのか?戦争末期に陸軍戸山学校が日本橋高等女学校へ移転し終戦を向かえたようだ。

秋葉原付近は、交通の便が昔から良く古い建物もあるがオフィス街も多く都心の一等地で、それだけ戦後の移り変わりがあったのだろう。
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豪徳寺、松陰神社の日帰り散歩

2014-05-12 12:42:25 | 日記
 5月の日帰り散歩は、世田谷「豪徳寺」方面を散策。
 北千住駅からメトロ千代田線の代々木上原経由で豪徳寺駅に着く、昔では考えられない便利さである、これも相互乗り入れの恩恵である。「豪徳寺駅」で下車すると、「招き猫」のお出迎えである。TVで「豪徳寺」は招き猫の発祥の地という紹介があった。領内を見廻り中の彦根藩井伊直孝が突然の雷雨に遭い、猫に門内に招き入れられ落雷を免れたことから、井伊家の菩提寺となったと伝えられ、豪徳寺は井伊家の菩提寺と招き猫で有名なお寺である。もともと豪徳寺一帯は、吉良一族が治めており豪徳寺は伯母を弔うため創建し前進を「弘徳院」と言った。吉良家一族の菩提寺は近隣に「勝光院」がある。

井伊家の墓石は、他の墓石とは区分けされ、菩提寺とは「こうなんだ」と思わせる広さであるが、歴代の方々を祀られているわけでない。東京都指定史跡である井伊直弼墓が奥まった所に祀られている。

招き猫は、何処に祀られているのかと思ったら、「招猫殿」の脇に並べられていた、シンプルな猫で大きいのから小さいのまでびっしり並べられている。
東急世田谷線宮の下駅付近に、吉良家の創建したと言われる「世田谷八幡宮」がある。
 境内に入ると、右手に弁天池があり、厳島神社の赤いのぼりが立てられていた。さらに奥には、円形の見物席も備わっ相撲の土俵がある、江戸時代には「江戸三大相撲」の一つと言われるほど有名だったそうで、秋季例大祭には、奉納相撲が行われる。

 松陰神社に向かう途中に「世田谷城址公園」がある。世田谷で唯一の歴史公園で、吉良氏が南北朝の頃、関東管領の足利氏から戦の手柄により世田谷領を拝領し築城した所である。その後、豊臣秀吉の小田原城攻めにより敗れた北条氏と親戚関係にあった吉良氏も運命を共にし廃城となった。全体像をイメージするのは困難であるが、空堀、土塁が昔の僅かに残る。

公園から区役所、国士舘大学の方に歩いて行くと松陰神社がある。松陰神社は、安政の大獄で刑死した吉田松陰を祀る神社で、幕末の高杉晋作らが小塚原(刑場)にあった松陰の墓を現在の地に改葬、明治になって社が創建された。「松陰神社」の名の上に「府社」とあるのは神社社格を表したものである。松陰の50年祭には伊藤博文や山縣有朋らの名前を刻んだ26基の燈籠が寄進され並んでいる。

境内には松下村塾の模造した建物もあり、吉田松陰の幕末に果たした役割の大きさを今に伝える。

 帰りは東急世田谷線の路面電車で三軒茶屋へ、

この電車、都電荒川線とともに都内で残っている路面電車である。全線5kmで駅区間1kmの世田谷線である。私が学生時代は、玉電と言って渋谷~三軒茶屋~二子玉川も走っていたが、交通量が多くなり、東急バスにそして地下鉄となった。元々はジャリ運搬用の電車だったらしい。唯一、三軒茶屋からの支線の世田谷線のみとなった。私自身、世田谷線は初乗車である、昔は緑色で古いイメージであったが、現在はカラフルでヨーロッパの路面電車のようである。
 三軒茶屋に着き、幹事のMさんが近くに目青不動があるので、お参りしましょうとの事で最勝寺へ。五色不動の一つで、前に目黄不動にお参りしたが、御堂が暗く色を感じ取ることできない。

 帰りも相互乗り入れで、三軒茶屋からも埼玉へは乗り換えなしで行ける、往復とも相互乗り入れの恩恵を受けた日帰り散歩であった。
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日帰り天然温泉で久々の懇親会

2014-05-03 15:46:53 | 日記
約15年前に職場で一緒だた仲間4人で西新井にある「大師の湯」で飲み会を。退職者2人と再雇用勤務と現職の4人である、約2年ぶりの飲み会である。「大師の湯」は、駅から至近でビルの3階にありビルの中にはスポーツジムもある、駅に近い割には、ゆったり入浴でき、塩分を含む自噴する源泉である、私の住んでいる所にある「スーパー銭湯」も自噴であり、日本中1500mぐらい掘削すると出るのであろうか?。6時にロビーに集合し、早速お風呂に入る、お風呂の中ではお互いの近況報告。お風呂を上がってビールで乾杯、職場が一緒の時はこんな事は無かった。話題は病気の話が中心になるが、お互いに話せる場がある事は幸せである。
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