爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

川崎大師周辺の散策

2024-09-16 16:21:04 | 日記

川崎大師周辺の散策
JR川崎駅で下車し京急大師線に乗車するため京急川崎駅に向かう、連絡
通路など便利な駅が多いがスムーズに乗り換えられない。JR川崎駅の北口が少しは便利なようです、後でわかったことですが・・・  
京急大師線は、京浜急行電鉄の創業路線である。    

《京浜急行・大師線》
京急川崎                         開業は、1899(M32)年1月に開業   
  ↓                                    当時の社名は、大師電気鉄道と言われた。
港町                                川崎大師の参拝客輸送を目的
  ↓                                   現在の 路線距離 4.5Km
鈴木町
  ↓
川崎大師
  ↓                   
東門前
  ↓
大師橋
  ↓
小島新田

京急川崎駅を出ると次が港町(みなとちょう)である。ホームに♬「美空ひばり・港町(みなとまち)十三番地」歌詞・メロディーがあった。♬「港町十三番地」は、美空ひばりの故郷である神奈川県横浜市と川崎市が舞台である。「港町」とは所属の日本コロンビアの本社・工場が川崎市港町にあったからと言われている。港町13番地は実際にあったが当初は9番地であったようで歌曲の後呂の良さから十三番地にされた。
駅間が近いせいか目的地である大師河原水防センター(大師河原干潟館)の最寄り駅である「東門前駅」に着く。歩いているとインドの仏教寺院?のような建物が現れる。広い駐車場があり、入口に「川崎大師 交通安全祈祷殿」とあった、車の交通安全祈祷場所のようです。

入口脇に「富士製鋼株式会社発祥の地」の碑あった。この会社は、大正7年(1917)に起業した会社で、昭和9年の製鉄大合同で日本製鉄に吸収され、以後、富士製鉄、新日本製鉄と変遷し最終的には「日鉄建材(株)」となっている。川崎市は、多くの工場が立地しているが、経済情勢により、この地区ではメルシャン・コマツ・いすゞ・日鉄建材など大企業が移転して、商業ビルや住宅地となっている。

大師河原水防センターは、川崎大師交通安全祈祷殿の裏手にあたる。
一級河川多摩川が流れ、対岸は東京都大田区蒲田で右手にモダンな大師橋が架かっている。広々とした河川敷にヘリポートがあり、さらに先に古い水門がある。「新日本製鉄水門」と言うそうで、祈祷殿入口の碑にあった「富士製鋼株式会社」(当時の社名・新日鉄)の敷地内にあった水門でバージ(はしけ)の荷役か待機場所と利用していたのでしょうか?、水門としての利用は長くはなかったようで、昇降する鉄扉は撤去され、水門の中にはボートが係留されてましたが、水防関係の監視船のようです。

大師河原水防センター(大師河原干潟館)に入る。1階部分が見学場所となります。干潟館の「だいし水辺の楽校」は、子ども達の自然体験教室で環境教育の場となり子ども達に人気の場所のようです。千葉県の干潟に比べ規模が小さいかと思ってましたが多摩川河口の干潟は、東京湾最大の河口干潟なそうです。館内の水槽には「カニ」「ハゼ」「シジミ」「小魚」などが見られるようです。その他、貝殻・木の実・カモ類が展示しています。

大師河原水防センター(大師河原干潟館)を出て、大師線の反対側にある川崎大師に向かう。「川崎大師・仲見世」額があり参道には飴・ダルマなどのお店が約30店舗が並ぶ。「とんとこ飴」が有名である、威勢の良い掛け声や飴をトントン切る動作を楽しみにしていたが、実演はしていなかた、いつ実演するのだろう?

参道の突き当りが山門で、表と裏に4体の仏像がある。山門を通った先に本堂がある、ここが川崎大師という通称で知られる、真言宗智山派の大本山「平間寺(へいけんじ)」である。1128年(大治3年)建立の初詣全国ランキング上位の人気のお寺である。平間寺は、平間兼乗が海中へ網を投げ入れたところ、弘法大師の木像を引き揚げた。兼乗は木像を洗い清め、花を捧げて供養し近くに小堂を構えた。諸国遊化の途中に訪れた高野山の尊賢上人は、弘法大師の木像にまつわる話を聞き兼乗と力をあわせ、1128年(大治3年)に平間寺を建立した。仏像が網にかかるところは、なにやら浅草寺と似たような平間寺(川崎大師)です。

大師線に戻り、、川崎大師駅から隣の鈴木町駅で下車する。目的の「川崎河港水門」は、ここから遠くはないようですが、鈴木町駅改札から右手に行きたいが、そこは「味の素(株)」の川崎事業所社屋がありました。ここの「鈴木町」の地名は、創業者・鈴木三郎助に由来するようです。そのため「味の素(株)」の社屋を遠回りし「川崎河港水門」へ。

この水門は、多摩川から川崎市内を縦断する運河を造ることが計画され、多摩川改修工事1918年(大正7年)の一環として、運河と多摩川を仕切る水門として、1928年(昭和3年)に竣工した。建設費用については「味の素(株)」が寄付金として負担している。現在も水門付近は、味の素の管理地となっている。この建設計画は完成はしたが、社会情勢の変化により運河建設改革は中止となり、運河は水門近くの船溜まりと水門自体が残った。ミニ凱旋門のような水門は、上部に川崎市の市章と当時の川崎の名産であった梨・ブドウ・桃などの装飾がある。1998年(平成10年)に国の登録有形文化財に登録された。

次に川崎宿の見学計画も考えていたが、9月に入っての猛暑が続き、熱中症を考え終了とした。


【参考資料】
・ウイキペディア
・発祥の地コレクション
・水路をゆく、第二運河
・たびらい
・平間寺(川崎大師)
・Google Earth

コメント
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