爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

八潮市の和井田家住宅を見学

2016-09-19 20:48:31 | 日記
和井田家住宅の公開は、月1回の5時間程度の公開で未公開の月もあるため年数回と言うことになる。私も7月に訪れたが公開日でないため2回目の訪問となった。
訪れたときに、見学者がもう一人おり、一緒に和井田氏に説明して頂いた。
和井田家は、江戸時代初期に大阪から当地に移り住んだと言い伝えられています。当地は、現在、八潮市大字八條という地名で、この八條という地名から古代から中世の土地区画制度の条里制の地名であると言われ、この地が古くから開墾が行われた一帯であることがわかる。
和井田家は、世襲名主や八條領35か村の寄場組合大惣代も勤めた家柄でもある。
住居というと、寄棟造茅葺の長屋門、同じ寄棟造茅葺の主屋が屋敷林の中にあり、それらが国の重要文化財に指定されている。和井田家のスゴイ所は、セットでの指定である、多くの古民家が移築や部分的に改築されることが多いが、和井田家は原風景の中にあり昔の雰囲気を味わえる。(関東では珍しいとの事である)
★長屋門★
創建当時に復元したとの事で、武者窓の撤去、土台を撤去し、柱を基礎立ちに、漆喰仕上げの外壁を中塗り仕上げに復元した。深い軒先をつくるため船をひっくり返したような
「せがい造り」の工法を用いた格式のある長屋門である。




★主屋★
座敷がL字型に配置された鍵座敷型と呼ばれる形式で、江戸時代の東日本の豪農で多く見られたようで、和井田家は式台や便所なども奥座敷側に設置され、接客の場が形成された。大戸口から土間に入ると、天井の桁・梁が二重梁、周囲のの側柱は手釜削り、南面には格子が張り出した「出格子戸」、柱材には良質な栂材を用いるなど凝った建物になっている。何度か増改築を繰り返した、式台の改築や、和井田の「田」から座敷を4部屋にするなどにしたようである。





★庭と構堀★
屋敷林に囲まれた和井田家には、中世の居舘の特徴でもある構堀、洪水に備えるため屋敷内に盛り土の高台である水塚や、稲荷が現存する。



昔の生活や風景に思いをはせる事ができる、見ごたえのある古民家であった。もう一つ古民家に立ち寄る予定だったが時間の関係で中川沿いに帰る事にしたが、途中、草加市に入り神社があったので立ち寄る、女体神社とあった。説明書きには、草加市内において古くから豊田氏が開発し、信仰心が厚い豊田氏が筑波山女体神社の分霊をこの地に祀ったと言われる。社殿の左手に碑があり見ると、草加市出身で作家の豊田三郎氏の「青年時代」の一節が刻印され、この一帯の田園風景が伝わる一節であった。蛇足だが2004年に亡くなられた作家の森村桂氏は、娘にあたる。

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江戸更紗染め体験

2016-09-15 09:55:04 | 日記
「日帰り散歩の会」特別例会の案内が幹事のMさんから届く。去年11月の散歩(義母一周忌で欠席)で企画され大好評で再度企画された。定員が10名との事で、足の怪我、目の調子が悪くどうなのか心配してたが、当日は治っているだろうと参加を決意。
集合場所に1時集合のため早めの昼食をとり向かう、皆揃った所で、スカイツリーライン・半蔵門線・都営新宿線と乗り継ぎ江東区の大島駅に到着。
体験させていただく染物工房の「美弥好」さんは、「退職者の会」の会員であるSさんの実家で、現在、お兄様が跡を継いおり、江東区の登録無形文化財保持者でもある、NHKなど多くのマスコミにも取り上げられた伝統工芸の貴重な体験のできる工房でもある。
Sさんの昔は、こうだった等の話を聞きながら「美弥好」の工房に入る。昔ながらの工房である、下はコンクリートではなく土でる、天井からは長い平板が何枚も吊る下がっている、昔、こんな板が我が家にもあった、照明は今は見ない裸電球がぶら下がり、雑然とした内部である。(ごめんなさい)作業場は、昔ながらの環境であり、これが伝統工芸の「江戸更紗」を生むんだとあらためて感心する。



♦江戸更紗memo♦
更紗は、インド起源の木綿地の文様染め製品でジャワ・ペルシャ・シャムも影響を受けている。日本には、室町時代以降中国貿易によってもたらされた、日本では、鍋島・天草・長崎・堺・京・江戸更紗が有名。日本独特の技法は、型紙を布面にあて刷毛で染料を塗り込むものである。
「さらさ」の語源は諸説があるようであるが、江戸時代後期に現在の「更紗」が定着したようである。

参加者10名の目の前には、布が板の上に貼られている。今日は、これを作りますと言ったのが安藤広重の「東海道五十三次 江戸・日本橋」である。型紙二十数枚を鹿刷毛で刷り込むとのことである。型紙である渋紙(貼り重ねた和紙に柿渋を塗ったもの)を手にとり口で水を吹きかける、乾かないようにそうするとのことであるが霧吹き器では上手くいかないらしい。一枚一枚見本を見せてくれるが、皆、どの部分が刷れているのかわからない渋紙が多い。カットしている部分に刷毛で塗りつぶすという単純なものではない、力の入れ加減、横・縦・斜め、回して塗る、スピードなど職人の技の世界である。
一番大変なのが布と渋紙の位置合わせである、20数枚の型紙が一枚でもずれると失敗である。隅の2カ所に目立たない極小さく刷られた穴(星と言うらしい)に2枚目以降合わせるが何回も合わせ確認していた、それが作品の枚数分続く。
江戸更紗は分業化されている、絵師、彫り師、摺師の三者分業制である。古い型紙を見せていただいたが、もう彫る人がいないそうで貴重な型紙でよくこんな細かい図案を彫ると一同感心する。






やっとの事で「東海道五十三次 江戸・日本橋」が完成し、額に入れて飾っておかなくてはと・・・。


現代は、シルクスクリーンなど簡易プリントが主流であるが、体験させていただいた「美弥好」さんによると、現在は趣味で購入される方で、昔のような日常的な使用はないとの言葉が印象的である。味のある良い物が無くなってきた。
今回、「美弥好」には大変お世話になりました、お一人で10人を手取足取り教えていただきました。


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