爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

醤油の街、野田市散策

2017-04-30 19:50:07 | 日記
キッコーマンの工場見学のため千葉県野田市に到着する、駅は小さいが駅からキッコーマンの大きい貯蔵タンクが目立つ。


見学工場は駅から3分の所にある、途中、キッコーマンの古い建物やタンクローリー車が通りキッコーマン一色の街である。
工場見学(もの知りしょうゆ館)は、1日6回あり、私は朝早い9時のコースは私一人であった。ビデオ上映から始まり、原料処理、製麹(しょうゆ麹を作る)、発酵・熟成、圧搾、火入れ・詰めとなりますが近代的な工場で製造過程は窓からの見学でほとんどがパネル展示、ビデオとなります。昔ながらの製造は見ることはできませんが、野田工場では隣りに御用蔵がある、ここは宮内庁に納める醤油の醸造所で伝統的な醸造技術が見られる。同じ敷地内2か所を見学すると良い。館内には売店、カフェ等があり小学生から大人まで学ぶことができる。
♦なぜ野田が醤油で有名に?♦
  醤油づくりが始まったのは江戸時代のこと。気候に恵まれた土地と水運(江戸川と利  根川)により原料である大豆、小麦、塩などが入手しやすく、販路も江戸まで半日で  運ぶことなど、地の利が良かった。





工場見学が終わり、上花輪歴史館に向かう。この歴史館は、管理が「公益財団法人 高梨本家」おこなっている。高梨氏は、キッコーマンの創業家の一つであり、野田の最も古いしょうゆ醸造家で屋敷、庭、醸造資料を保存公開をおこなっている。江戸時代は上花輪村の名主でもあり醸造を家業としていた事から財力があり、屋敷全体、内部調度品が揃っており、見ごたえのある建築物となっている。
江戸時代の建築物は、門長屋でその他、母屋(書院造り、数奇屋造り)は昭和初期の建築物となっている。和風・洋風が混在しているが違和感がない。





野田市の野田地区にはいくつかの古建築物が残されている。下町の通りには興風会館(昭和4年)がある、講堂、集会室として利用されているが当時は県庁に次ぐ建築物でロマネスクを加味した近世復興式の建物との事である。
さらに歩いていくと旧野田商誘銀行(現在「千秋社」)がある、大正15年完成した建物で醤油醸造家たちが創設した銀行で「醤油」をもじって「商誘」とした。



野田市郷土博物館の途中に「茂木本家美術館」があったので立ち寄る。この美術館も醤油に関係しており、野田醤油創業の一人で茂木12代当主が収集したものである。美術館のマークは、醤油商標を図案化したものである。葛飾北斎・安藤廣重・写楽・横山大観・片岡球子・梅原龍三郎などが展示されている、広い庭の散策、カフェ、売店など、この規模の都市としては充実した美術館である。(原則予約制)



朝早くから散策している割には時間が相当経過してしまった。あと、2カ所見学予定が野田市郷土博物館だけで終わりそうである。
野田市郷土博物館と市民会館は隣接している。博物館は千葉県では初めての登録博物館で、1階では企画展として鉄道模型の展示・実演がおこなわれて、2階では常設展として野田と醤油の歴史が展示されている。
隣の市民会館は、大正13年頃建てられた醤油醸造家である茂木佐平治氏の邸宅でキッコーマンの所有をへて野田市に寄贈され市民会館として活用しています、最近ではTVやドラマのロケ地、将棋タイトル戦の会場に利用され、母屋と茶室は国登録文化財、庭は国登録記念物に指定されている。一般的に市民会館というと鉄筋コンクリートの建物をイメージしますが、何と贅沢な利用である。100円から部屋の貸し出ししています。内部、庭など見学もでき大正期の建築としては重要な建物であり、上花輪歴史館(高梨本家)と同じように随所に当主のこだわりが見られます。





野田市の散策コースを考えて回りましたが、丁寧な説明等や興味をそそる展示など計画通りにはいかないものです。

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第7回 東部地区文化財担当者巡回展(東部地区の交通)in 宮代町郷土資料館

2017-04-21 11:51:20 | 日記
新聞の文化欄に掲載されていた展示会を見学に宮代町郷土資料館に。


宮代町というと「東武動物公園」のある町というイメージ、いわゆる企業城下町である。私の田舎も企業城下町で良い面もあるが、これで良いのか・・・という面もある。
宮代町は、埼玉県東部中央に位置し南北に縦長の町でその南北を東武伊勢崎線と大落古利根川がある。大落古利根川は、一級河川で利根川水系中川支流でなんと流路距離が26.7Kmの短さであるが、古くは本流でもあった。人口3.3万人(県内46/63)、面積15.96㎢(県内61/63)平成の大合併で隣の春日部市と合併の話があったが頓挫し、南埼玉郡の唯一の町である。
※宮代町の由来は、百間村の総鎮守「姫宮神社」の宮と、須賀村の総鎮守「身代神社」の代を合わせて宮代としたという話である。

姫宮駅西口より向かうが、駅からの街路樹である「ハナミズキ」が綺麗である、百間小学校を通り過ぎると直ぐ目的の「宮代町郷土資料館」があった。


門を入ると縄文住居、古民家(2棟)、裏手に「ふれ愛センターみやしろ」があり広場が「西原自然の森」となっており、緑が和ませてくれる、ここ一帯が文化・学習施設となっており、町の規模としてこんな充実した施設はない。(公共施設が充実しているように思える)
まずは目的の巡回展に、受け付けてに来館(無料)の受付を済ませる、常設展は写真OKとの事(登録後)広くは無いが素人が見学するには十分。宮代町に遺跡や出土品が多くあるとは思わなかった。恵まれた水利環境、入り江、平坦な土地など先人たちの工夫などで縄文時代まで遡ることが出来る歴史的な宮代町なのだろう。
企画展である「東部地区の交通」は、陸上、水運のパネル展示と共に時刻表・料金表、路線図、昔の写真などが明治時代からの資料が展示されている。こうした巡回企画展示は市町村が保管している所蔵品の少ないボリュームを考えると良い方法である。




郷土資料館を出ると目の前にあるのが町指定文化財「旧加藤家住宅(移築)」(1813年前後の建物か)である。
面積約240平方メートル(約72坪)の大きな民家で、四間取りで田の字配置の座敷で名主と思われるが江戸時代の生活・建築がわかる貴重な建築物である。




隣りに「縄文時代復元住居」があった、ここ一帯が発掘された縄文住居で十数軒あったとのことである。当時は、台地の周辺まで海が広がっていたか・・・。


奥には、明治時代に建てられた町指定文化財「旧斎藤家住宅」が母屋、蔵、物置(米蔵)がある、母屋は、日本建築特徴でもある四間取りで、さらに六畳の奥座敷があった、周囲は屋敷林に囲まれていてそれが現在の「西原自然の森」となっている。
一般的な農家住宅ではなく、間取りからも江戸時代から続く村の名主的な役割を担った家柄であったのだろう。
同じ敷地内には、町指定文化財「旧進修館」がある、隣の百閒小学校の前身である進修学校で明治5年の学制発布で町内に建てられた四つの学校の一つです。この建物は、明治44年の建築で明治時代の学校建築の特徴が出ています。




新聞に掲載されていた企画展見学のつもりが古民家なども見学でき、古代や近世のロマンに触れる事ができた。
帰りは「西原自然の森」で緑を満喫して帰路に。


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近所の土手の桜も綺麗に

2017-04-06 20:28:21 | 日記

散歩コースである極近所の桜も綺麗に咲き、土手にシートを引いてお花見しているグループもあります。
桜の写真は難しく、全体が白っぽくなります。この写真を今年の桜写真のベストショットとします?

 

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吉宗が植えた桜の飛鳥山~古河庭園を巡る散歩

2017-04-06 17:44:43 | 日記
昨日、東京の桜が満開宣言され楽しみな「退職者の会」日帰り散歩である。
東武スカイツリーライン、常磐線、京浜東北線と飛鳥山公園のある王子駅に到着、ホームから見える公園というのはなかなか無いと思う。

明治6年に日本で最初に指定された公園の一つ。公園内には飛鳥山博物館、紙の博物館、渋沢史料館の文化施設、子どもの遊戯施設もあり公園としては充実している。飛鳥山を桜の名所にしたのは徳川将軍吉宗で、享保の改革の一つの施策で、行楽の地とするため桜の名所とした。財政再建での倹約令、増税、また当時は、火事等が多く政情不安対策の面もあったのでしょ、江戸時代には飛鳥山の他に浅草、御殿山に設けた。吉宗の改革が今なお平成の時代にも生きているように思えます。



飛鳥山公園を出て「名主の滝公園」向かう、位置的には王子駅から東十条駅の中間あたりでしょうか、江戸時代の王子村名主・畑野孫八の邸宅後で公園の名前はこれから付けられた。王子周辺は滝が多かったようで、昔は「王子七滝」と呼ばれていて、残っているのは名主の滝のみとなっている。所有が何人かの手に渡り戦災で消失し東京都の公園から北区に移管され現在にいたっている。回遊式の庭園で現在は地下水をポンプにて汲み上げているが訪れた時は4つの滝の内2つのみ流れ落ちていた。当時の庭園とは変わっているだろうが、名主の財力と権限がいかに大きいか驚かされる。



王子稲荷神社付近で昼食を済ませて神社参道の坂道を上がる、相当勾配があり我々がダラダラと上がっていると後ろから中年女性が自転車でスイスイと上がってくる、思わず皆「エー」と顔を見合わせたが「電動自転車です!」と、納得、ここの住民は電動自転車が多いような感じがする。
王子稲荷神社は、関東稲荷社の総社という格式を持ち、かつては境内に狐が住んでいた。落語にもなっているが王子稲荷には、「狐伝説」があり大晦日に稲荷の使いである狐が身支度を整えて初詣に訪れるという言い伝えが残る。12月31日に「王子 狐の行列」として装束稲荷から王子稲荷神社まで「かかり火年越し」の行事が行われている。



王子稲荷神社から熊野信仰の拠点でもある「王子神社」に。境内には「関神社」があり、全国でも珍しい「髪」の神様で、理容・美容の上達に神徳があると言われる、「髪の祖神」の立て札があったので、薄毛に悩む高齢者は思わず参拝をしたが、従事者の技能の上達でした・・・


王子神社の脇の小道を下った所が、「音無親水公園」である。桜が見事で入学式の親子だろうか橋の上で記念写真を撮っていた。石神井川の旧流路(昭和30年代の河川改修で変更)に整備された公園で北区付近で音無川と呼ばれ古くから景勝地として知られていました。ミニ渓谷的で涼しげな純和風公園です。


音無親水公園を出て旧古河庭園方面に向かう。本郷通を歩いていると「一里塚」表示がみえ、道路の中央部分に土盛りをし木が植えられている塚があった。江戸時代に一里塚の建設指示があり、街道に建設されたが、明治時代以降は、都電、車などの交通事情から撤去され都内では初めて見た。
「一里塚」の近くに「七社神社」の石の鳥居があった、参道を行くとこじんまりした神社が見えてくる。七柱の神様を祀っているため七社神社と付けられた。神楽殿、神明宮など
綺麗な神社である、「歯固めの石」、願掛公孫樹、旧男爵古河家寄進の「孔子孟子像」など珍しいものもある。



旧古河庭園は、バラで有名な庭園であるが、邸宅と庭園の調和がどの季節に訪ねても素晴らしい。訪れたのは2度目であるが、台地にあるシックな建物、中ほどの洋風庭園、低地の池など回遊式庭園で上手く武蔵野の地形を利用し、大正初期の庭園では貴重な庭園である。


旧古河庭園からJR上中里駅に向かう途中、平塚神社に立ち寄る源義家、義綱、義光が祀られ神社である。入口に和菓子屋さんがあり、「浅見光彦シリーズ」「おかしな刑事」などに登場する有名な和菓子屋さんとの事である、全国の浅見光彦ファンが訪れるそうです、当日、残念ながらお休みの日でした。


良い天気に恵まれ、江戸から続くお花見スポットを満喫する今日の散歩でした。

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