爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

港区立港郷土資料館と増上寺を散策

2017-03-03 15:13:06 | 日記
カメラの修理品を受け取ったついでに、行ったことがない増上寺に行くことに。カメラの修理代の高額なのに落ち込みながら都営地下鉄で「三田駅」に降りる。増上寺に行く前に、郷土資料館に立ち寄るが、郷土資料館は、三田図書館の4階にあり正式な名称は「港区立港郷土資料館」と言う。伊皿子貝塚遺跡(縄文後期)の断面、出土品を始め古代から近代まで展示されている。ワンフロアーだけの資料館であるが、あまり大きくても食傷気味になってしまう事を考えるとこれも良し。(中には珍しいものもあった)


増上寺には歩いて行くが、途中、寄り道をする。田町駅前を通り三菱自動車(株)本社裏には「御穂鹿嶋神社」があった。この神社は、御穂神社と鹿嶋神社が合体したもので、それぞれ由緒があった。ビルの裏にひっそりと線路の方に社殿が向いていた、なかなか気が付かない神社である。さらに日本電気(株)本社の敷地内には「薩摩屋敷跡」の碑があった。三田は、江戸時代には多くの大名屋敷があって、NECの場所は、薩摩藩上屋敷の一部に建てられた、薩摩藩の屋敷は中、下屋敷含めて江戸市中に6カ所あったそうだ。
芝公園に入ると芝東照宮があった、元来は増上寺内の社殿であった、日光、久能山、上野とともに四大東照宮の一つである。


増上寺の山門は工事中であった。この門は、「三解脱門」(別名:三門)で人間の「とんよく」、「いかり」、「ぐち」の三悪を解脱する境地をあらわしている、増上寺で江戸時代初期の面影を残す建造物で重要文化財に指定されている。徳川家康の菩提寺となったわけは、家康が江戸入府の折りたまたま増上寺の前を通りかかり、源誉存応上人と対面したのが菩提寺となった言われと伝えられている。




都心でこんな広いところがあるのか・・・今は芝公園となって公園として管理されているが、元々、芝公園は増上寺の境内であった。

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