爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

三重県の「しゃご馬」

2013-05-27 17:14:55 | 日記
恐ろしい形相で髪を振り乱して腰に付けたかご馬と共に観客まで突進してくる姿は、秋田県の「なまはげ」に似て、津市民の方は、幼い頃の思い出として残っているようである。
「津まつり」で披露される「しゃご馬」は、起源は古く2代藩主藤堂高次の奨励により「八幡神宮祭礼」として始まったらしい、何と粋な藩主である。「しゃぐ馬」は「シャグマ」に由来すると考えられ、赤く染めたヤクの毛でかつらを作ってかぶるもので、室町時代の書物にも「赤熊」「緒熊(シャグマ)」の字が見られるとの事である。江戸時代には、衣装が騎馬武者の姿であったようであるが、いまでは、陣羽織の軽装となり馬も竹とFRPとなっているようだ。
昨今、「ゆるキャラ」流行りであるが、三重県四日市の「ゆるキャラ」は、写真の「こにゅうどう」で四日市の市制100周年のマスコットキャラクターである。
「こにゅうどう」がある事は、「大入道」もあり、そちらの方は、身の丈4.5m、首の長さが2.7mで日本で一番大きいからくり人形である。「こにゅうどう」は、首は伸び無いが長い舌を触ると願い事がかなうと言われているそうである、知っていれば触ったのに残念。
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トルコ軍楽隊 メフテル

2013-05-20 20:31:24 | 日記
ショッピングを兼ねてショッピングセンターでトルコ軍楽隊「メフテル」を見る。

「メフテル」とは、オスマン帝国、トルコ共和国でおこなわれてきた伝統的な軍楽の意味で、世界最古の軍楽隊として8世紀の文献には登場しているようで、オスマントルコ帝国時代に始まった。士気向上や威嚇のために、軍楽隊を連れて戦争に赴き、平時には宮廷などの儀礼に用いた。ヨーロッパに知れ渡り、モーツアルト、ベートーヴェンの「トルコ行進曲」は、意識して作曲されたと言われている。
ズルナ(チャルメラのうようなけたたましいラッパ)ダウル(太鼓の一種)の特徴的なメロディーは、自軍を奮い立たせ、敵を威圧するのに十分であり、最古の軍楽隊である事もうなずける。
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ナターシャ・グジー コンサート

2013-05-19 15:27:18 | 日記
友人の誘いにより、ナターシャ・グジーコンサートに・・・
ナターシャさんは、チェルノブイリ原発から3.5Kmの所に居住し被曝、避難生活を転々としキエフ市に移住し、ウクライナの民族楽器バンドウーラに魅せられ音楽学校に学び、音楽活動を始めたとの事。水晶のような歌声、哀愁をおびた民族楽器、ナターシャさんの透き通るような美しさで、観客が「美しい世界」に引き込まれる。まさに、俗世間に毒された私にとっては、心が洗われた。コンサートの中にナターシャさんの被曝・避難の体験の語りが入る、淡々と話し観客の心に響く。1部での民族衣装が素敵でした、刺繍入りのロングスカート(?)刺繍入りのブラウス、袖口・首周りの刺繍は、邪気が入らないようにとの願いがあるそうである。多くの方に63弦(?)あるバンドウーラの素晴らしい音色、ナターシャさんの優しい歌声を聞いてもらいたい。
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東京市日本橋区呉服橋3丁目1番4

2013-05-18 17:14:13 | 日記
この住所は、母が結婚する前の住所である。私の母は、末っ子で(男一人、女の子三人)、よく日本橋から神田明神のお祭りに遊びに行き、小さい母は、遊び帰りに姉におぶってもらって帰ってきた事を聞いた事がある。私は叔父さん・叔母さんには小さい時から世話になり、一人一人思い出が残る叔父・叔母であった。仲のよかった叔父・叔母そして母の生まれ育った場所が知りたくて調べてみた。東京市日本橋区は、当然、戦前の住所表記であり変わっている。明治の頃は、外壕があり、呉服橋、鍛冶橋があった、太平洋戦争で昭和20年6月に空襲があり母方の家は喪失したと思われる、戦後23年に東京駅拡張工事により外壕が埋められ(外堀通り)た。
現在の呉服橋付近
昭和3年に日本橋区呉服橋1丁目とういう表示になり、昭和22年に中央区成立時に日本橋呉服橋1丁目となった。昭和29年に再編され現在は八重洲1丁目となった。これにより西が「丸の内」東が「八重洲」となった。このように埋め立て、2度の火災、住居表示の再編で八重洲側は昔の面影がなくなった。東京駅の八重洲側はビルができ、通り名で推測するようりなかった。

この辺?なのか、まったくわからない。

少し古い建物や小さな通りもあり、かろうじて昔の面影があるが、今後、ますます開発されるのでは。

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「組合大会」と「退職者の会総会」

2013-05-16 23:09:05 | 日記
「退職者の会総会」と「組合大会」に出席した、組合の方は、本来、3月31日で退会したのであるが、役員をしていたため報告の関係で出席した。出席人数を見て愕然とした、「組合の大会」が、「退職者の会」の半分以下だった。私の採用された時代は、大量採用でそれなりに組合の加入率も良く活気があった、個性的な人の集まりであった。いつの頃からなのか、何が原因で弱体化したのだろう、いままで組合が築いてきた事が崩れてきている。退職した仲間でよく話すのが、2度と勤めたくない、今、勤めている人、新採用は、偉い・大変だと話す、今、職場は成果主義、軍隊のような上意下達の組織になってしまった。こんな環境で良い仕事が出来るのであろうか・・・
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