5月の「退職者の会」例会は、つつじで有名な「つつじが岡公園」を中心に、館林の歴史を散策する日帰り散歩が企画されました。つつじ祭りは、4月10日から5月10日の期間ですが、開花が遅れているようなので混雑をさけるための散歩です。 館林の訪問については個人的には2回目であるが、初めての場所もありブログが重複しないようにしたいと思います。なお、前回の館林市散策2016.8.9UPも参考にして頂きたい。
東武伊勢崎線館林駅で下車、駅前に碑があった。茂林寺の分福茶釜の狸 像と「巨人軍初Vの原点(分福球場)」とあった。昭和11年9月5日から巨人軍の秋季キャンプを行った球場で、当時、練習の厳しさから「地獄のキャンプ」と言われた。同年、公式戦初優勝した歴史的な球場である。現在は、関東学園に売却されている。
駅前からは、観光コースである「歴史の小径」を散歩する。商家、神社等を中心に見学する、奥さんが館林市の出身のUさんがこの近くに正田美智子(上皇后)の実家があるとのことでコースを逸れて見学。 昼食となり名物の「館林うどん」を食す。「三大うどん」には名は入らないが館林に来たら「うどん」であり、天皇陛下もお買い上げになったという「舘林うどん」に。
昼食後、竹生島神社と館林城跡に入る。舘林城は石垣ではない土塁と掘りのお城である平城である、別名、尾曳城という。館林は、利根川をおさえることができ、東北方面の要所で、徳川家も重きを置いている館林である。お城は、明治7年に焼失したが土塁が保存、土橋門が復元されている。
向井千秋記念子ども科学館、田山花袋記念文学館、館林市第二資料館に到着する、こんなに集中して見学できるのはあまりない。今回、館林市出身の宇宙飛行士向井氏の科学館に入館する。宇宙だけでなく子ども向けの科学全般を学ぶ施設である、こういう充実した施設はあまり見たことがない。向井千秋氏のメッセージ「私たちの周りには不思議なことがいっぱいです。不思議探検隊のみなさん、この科学館でどんどん新しいことを学んでください!」とあった。
科学館の側に「八幡宮」がある。ここは、館林城の中心、本丸があった場所。この八幡宮は、江戸時代には武家の守り神として、また、城の守護神として館林城の「八幡廓(はちまんくるわ)」に奉られ、城主の崇拝を受けてきた。明治に入り廃藩とともに尾曳稲荷神社に合祀されたが、この地に進出した上毛モスリン(株)により現在の地に移された。
この場所から数分の所に尾曳稲荷神社がある。看板には「館林市の守護神 尾曳稲荷神社」とある。館林城築城の際、城郭の鬼門(北東)建立したため神社建築としては珍しい西向きの社殿となっているそうです。「狐の尾曳伝説」の謂われをもつ稲荷神社でもある。
裏手には「つつじが岡」公園がある。尾曳橋を渡り「つつじが岡」公園に入る。 公園のパンフレットには「世界にほこる 日本一ツツジの名園」とあった。大きく出たなと思ったが実際行くとそうだろうな・・・と思ってしまう、室町時代にはすでに植生した地域であり、現在、100余品種1万株の「つつじ」で、お祭りの期間は15万人の人出で賑わう。つつじ祭りの日程から5日程過ぎたがまだまだ「つつじ」の景観を味わえる、公園内は、保育園・幼稚園・小学校・中学校などが協力してお花が飾られていた。大きな沼、渡船乗り場もあり楽しめる公園である。
館林は、この季節、多くの家庭でバラなどお花がいっぱいである。ヨーロッパ的な潤いを感じる街であった。
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