一度、雛人形のビラミッド状に飾る「びっくりひな祭り」を見てみたいと思っていたが、たまたまJR東日本の「駅ハイ」の企画があり、参加した。鴻巣市というと「運転免許センター」と「人形」の町のイメージであるが、その鴻巣市も「市制施行70周年」とのことで、今回の「駅からハイキング」も記念企画となっている。

□鴻巣市の概要□
埼玉県中央部に位置する市で人口は約11.6千人。
西部を「荒川」*1、南東部から中央部にかけて「元荒川」が、北東部を「見沼代用水」が流れ、中央部は大宮台地に位置する。市の標高が約10mから25mと歩いていても標高差が気にならない。市内の直下には中央構造線に関連した綾瀬川断層があります。
鴻巣市は、江戸時代に整備された中山道7番目の宿場町(日本橋から数えて)*2として栄え発展し、現在は東京から約50km圏内で住宅衛星都市となっている。産業は、稲作や花卉栽培*3が盛んであり、江戸時代からの続く「ひな人形」(鴻巣雛)の産地である。鴻巣市の地名の由来は、諸説あるようですが、かつてこの地に无邪志国(むさしのくに)の国府が置かれたことから、「国府の州」が「こうのす」と転じ、後に「こうのとり伝説」から「鴻巣」の字を当てるようになったと伝えられています。
*1ー川幅日本一
*2ー鴻巣宿は、元々、隣の北本市に位置していたが、江戸幕府の宿駅整備に伴い、それまでの鴻巣宿より北の、市宿新田に移設された。
*3-ポピーの栽培面積が日本一
§鴻巣市の日本一§
①日本一長い水管橋(全長1100.95m)
②日本一高いピラミットひな檀(31段で7m)
③川幅日本一(荒川 2,537m)
④1分あたりの尺玉以上の花火打上数(1分間平均約75.5発)
⑤ポピーの栽培面積日本一、面積12.5haで東京ドーム2.5個
⑥プリムラ⑦サルビア⑧マリーゴールドの出荷量日本一(2006年度)
JR大宮駅で高崎線に乗り換え、「鴻巣駅」で下車する。今回の企画、鴻巣市の中心街を巡って5km、所要時間約2時間30分となっており、高齢者向けのコースとなっている。それでも、コースの一部をカットしてしまった。

(1)勝願寺鎌倉時代創建の古刹、関東十八檀林*4の一つであり徳川家の庇護を受けて栄えた寺院です。今でも徳川家の家紋「三つ葉葵」を見ることができます。本堂と仁王門は明治15年(1882)の火災により焼失後に再建されたもの。惣門に「栴檀林」の額がかけられている。「宿泊のため訪れた加賀藩前田家一行が「下馬札」を見落として寺僧が追い返した」とか「槍を立てたまま通行しようとしたため、寺僧が槍を取り上げた」という逸話が残されている。
境内には、徳川家家臣で本多忠勝の娘で、真田信之の正室である小松姫の墓石や伊奈忠治夫妻と伊奈忠次夫妻*5の4基の宝篋印塔(ほうきょういんとう)があります。伊奈一族の治水・大改修は、江戸水運の土台を築くとともに河川の付け替えや水田地帯の開発を行い、現在の東京の基盤を作りました。
*4ー檀林とは栴檀林(せんだんりん)の略語で、僧侶の集まりを栴檀の林にたとえた寺院の尊称で仏教の学問所を意味し、多い時で600から800人ほどの学僧が学びます。
*5-400年ほど前に、伊奈備前守忠次が埼玉県伊奈町に陣屋を構えたことから、伊奈氏の功績から伊奈町と命名した。




お寺を出て、「ひなの里通り」を南に進み旧中山道に入り北に進み「広田屋人形」店と鴻巣市産業観光館「ひなの里」を見学する。
(2)広田屋人形
広田屋は、人形のふるさと鴻巣で一番大きなお店です。250坪の広い展示場にたくさんのお人形を展示。
スタッフさんのお話では、少子化や住居の関係でコンパクトな雛飾りの需要が多く、飾り台が収納ケースになるものに人気があるようです。
(2)広田屋人形
広田屋は、人形のふるさと鴻巣で一番大きなお店です。250坪の広い展示場にたくさんのお人形を展示。
スタッフさんのお話では、少子化や住居の関係でコンパクトな雛飾りの需要が多く、飾り台が収納ケースになるものに人気があるようです。


※ひな人形と共にギネスに登録された日本一の大玉が陳列されていました。
(3)鴻巣市産業観光館(ひなの里)
鴻巣市人形町に開設し、伝統工芸であるひな人形や赤物の展示、中心産業の花卉栽培や川幅グルメなどの特産品の紹介及び販売、観光案内などを行っています。「鴻巣びっくりひな祭り」期間中は明治期築造の蔵にて、鴻巣びなとつるし雛を展示しています。施設は、江戸時代から続く老舗人形店の資料館が閉店のため寄贈したもので、明治時代の蔵は埼玉県の景観重要建造物に指定されています。
鴻巣宿の時代から農間期の農民の余技でこしらえてきて、天正年間に京都伏見の人形師が移り住んで豪華な衣装で着飾った古代雛が作られるようになり、人形産地として知られ、「鴻巣雛」あるいは「鴻巣人形」と言われる400年の歴史を持つ伝統工芸品となっている。近代関東三大ひな市(鴻巣、越谷、江戸十軒店)の一つに数えられている。埼玉県は、ひな人形の出荷額が日本一の県。江戸時代に日光街道や中山道の宿場町として栄えたことに加え、豊富な水源があったこと桐などの材料に恵まれていた。
※ひな祭りの由来 ひな人形の起源は、中国の「上巳節」という3月初旬の節句と言われ、季節の節目に悪いことが起こらないように、厄払いの行事が、平安時代中頃にもともと紙人形を作って海や川に人形を流し、身のけがれをおはらいする行事からきているといわれてます。江戸時代になると幕府により5つの節句が制定され「端午の節句」や「桃の節句」には男の子や女の子の成長を祝うようになり、流すものから飾るものへと変化しました。職人の手により、人形作りの技術も発展し、ひな人形も美しく精巧なものへと変わりました。


鴻巣市人形町に開設し、伝統工芸であるひな人形や赤物の展示、中心産業の花卉栽培や川幅グルメなどの特産品の紹介及び販売、観光案内などを行っています。「鴻巣びっくりひな祭り」期間中は明治期築造の蔵にて、鴻巣びなとつるし雛を展示しています。施設は、江戸時代から続く老舗人形店の資料館が閉店のため寄贈したもので、明治時代の蔵は埼玉県の景観重要建造物に指定されています。
鴻巣宿の時代から農間期の農民の余技でこしらえてきて、天正年間に京都伏見の人形師が移り住んで豪華な衣装で着飾った古代雛が作られるようになり、人形産地として知られ、「鴻巣雛」あるいは「鴻巣人形」と言われる400年の歴史を持つ伝統工芸品となっている。近代関東三大ひな市(鴻巣、越谷、江戸十軒店)の一つに数えられている。埼玉県は、ひな人形の出荷額が日本一の県。江戸時代に日光街道や中山道の宿場町として栄えたことに加え、豊富な水源があったこと桐などの材料に恵まれていた。
※ひな祭りの由来 ひな人形の起源は、中国の「上巳節」という3月初旬の節句と言われ、季節の節目に悪いことが起こらないように、厄払いの行事が、平安時代中頃にもともと紙人形を作って海や川に人形を流し、身のけがれをおはらいする行事からきているといわれてます。江戸時代になると幕府により5つの節句が制定され「端午の節句」や「桃の節句」には男の子や女の子の成長を祝うようになり、流すものから飾るものへと変化しました。職人の手により、人形作りの技術も発展し、ひな人形も美しく精巧なものへと変わりました。




さらに旧中山道を北に歩き、鴻巣宿本陣跡・法要寺・鴻神社に立ち寄る。
(4)鴻巣宿本陣跡
本陣跡と言っても他の宿場町と同様に「碑」が建っているだけで、周りを見ても想像がつかない、碑がなければ通り過ぎる。ここに、1843(天保14)年には人口2274人、戸数566軒であったと記録が残っています。

(5)法要寺
加賀藩前田家が参勤交代の際の宿所としたことから、前田家と同じ梅鉢紋が使用される室町時代創建の寺院。鴻巣市の指定文化財となっている庚申塔をはじめ、彰義隊士関弥太郎などの墓があります。
※加賀藩前田家の宿所は、当初、勝願寺であったが宿泊を拒否され法要寺となった。前田家は、それに感謝し堂の改築費用を出し、前田家の家紋を使えるようになった。


(6)鴻神社
鴻巣宿にあった氷川社・熊野社・雷電社を明治6年(1873)に合祀、その後、明治35年(1902)に日枝社・東照宮・大花稲荷社・八幡社を合祀して、現在の鴻神社と改め現在地に移転した。合祀した氷川社は、鴻巣郷総鎮守として広く崇敬をあつめた古社、また、「鴻巣」の地名の由来の一つ、こうのとり伝説の由来となっている。
鴻神社の樹齢500年以上と言われる「夫婦銀杏」は夫婦円満・子宝にご利益があると言われています。訪れた日は、着飾った子どもと両親がお参りしてましたが、2月と3月の午(うま)の日に行っている「初午祭」なのでしょうか。


いよいよコース最後は、「鴻巣 びっくり ひな祭り」メイン会場です。この企画のメインでもあります。「エルミこうのす」というショッピングモールの吹き抜けを利用した。高さ約7m、31段のピラミッドのひな檀」(2012年に1807体の人形が飾られた)はまさに日本一、このピラミッド型の飾りも20周年迎えマスコミにも取り上げられたこともあり込み合っていました。



(4)鴻巣宿本陣跡
本陣跡と言っても他の宿場町と同様に「碑」が建っているだけで、周りを見ても想像がつかない、碑がなければ通り過ぎる。ここに、1843(天保14)年には人口2274人、戸数566軒であったと記録が残っています。

(5)法要寺
加賀藩前田家が参勤交代の際の宿所としたことから、前田家と同じ梅鉢紋が使用される室町時代創建の寺院。鴻巣市の指定文化財となっている庚申塔をはじめ、彰義隊士関弥太郎などの墓があります。
※加賀藩前田家の宿所は、当初、勝願寺であったが宿泊を拒否され法要寺となった。前田家は、それに感謝し堂の改築費用を出し、前田家の家紋を使えるようになった。


(6)鴻神社
鴻巣宿にあった氷川社・熊野社・雷電社を明治6年(1873)に合祀、その後、明治35年(1902)に日枝社・東照宮・大花稲荷社・八幡社を合祀して、現在の鴻神社と改め現在地に移転した。合祀した氷川社は、鴻巣郷総鎮守として広く崇敬をあつめた古社、また、「鴻巣」の地名の由来の一つ、こうのとり伝説の由来となっている。
鴻神社の樹齢500年以上と言われる「夫婦銀杏」は夫婦円満・子宝にご利益があると言われています。訪れた日は、着飾った子どもと両親がお参りしてましたが、2月と3月の午(うま)の日に行っている「初午祭」なのでしょうか。


いよいよコース最後は、「鴻巣 びっくり ひな祭り」メイン会場です。この企画のメインでもあります。「エルミこうのす」というショッピングモールの吹き抜けを利用した。高さ約7m、31段のピラミッドのひな檀」(2012年に1807体の人形が飾られた)はまさに日本一、このピラミッド型の飾りも20周年迎えマスコミにも取り上げられたこともあり込み合っていました。



【参考資料】
・「駅からハイキング」配布資料
・ウイキペデア
・鴻巣市役所
・鴻巣市観光協会
・埼玉新聞
・荒川上流河川事務所
・勝願寺
・法要寺
・広田屋人形
・鴻巣市産業観光館「ひなの里」
・エルミこうのす
・にほんご日和
《その他のPhoto》
・「駅からハイキング」配布資料
・ウイキペデア
・鴻巣市役所
・鴻巣市観光協会
・埼玉新聞
・荒川上流河川事務所
・勝願寺
・法要寺
・広田屋人形
・鴻巣市産業観光館「ひなの里」
・エルミこうのす
・にほんご日和
《その他のPhoto》



城下町と同じように宿場町も古い商家が残っていることが多いが、鴻巣市も残っているほうです。


