市川市を訪れるのは3度目になる。(ブログ*1で紹介済みなので参考に)今回は、JR東日本の「駅からハイキング」によるもので総武線本八幡駅集合・出発である。
*1・市川市の博物館他2020.8.29/中山法華経寺他2018.9.25
♦市川市の紹介♦
人口50万で千葉県内では千葉市、船橋市、松戸市に次ぐ都市である。都心から10~20Km圏内で西側は東京都江戸川区と接し立地の良さから東京のベットタウンとして発展している、歴史的な町としての一面、文教都市、著名な作家が居住していたことから「文化都市」と言われている。市川駅・本八幡駅周辺は、超高層マンションや商業施設が充実している。特にJR本八幡駅・京成八幡駅・地下鉄など3路線が利用でき人気の住宅地となっている。市川市の由来は、東葛飾郡市川町、八幡町、中山町、国分村が合併し市川市」が発足した。県内では千葉市、銚子市についで3番目の市制施行である。
かつては湿地帯で、江戸時代には塩田が作られ大量の塩が生産され、行徳の塩は有名だった。塩田も明治維新頃までで農耕地に転換された。
「駅からハイキング」は、本八幡駅で受付を済ませ、江戸川方面(行徳)に向かってハイキング。
♢コース♢
①一本松・延命地蔵尊
享保12年(1727)、椎名茂右衛門により通行の安全と辻斬りや追い剥ぎなどの災難にあわれた人の供養として建立されました。元は道標として千葉街道と行徳街道の交わる八幡の四つ角にありましたが、昭和60年に稲荷木(とうかぎ)に移転しました。一本松は、慶長年間に伊奈備前守忠次が徳川家康の命によって、上総道の改修にあたったさい、新たに八幡と行徳を結ぶ八幡新道を造って、その分岐点に松を植えたのが一本松の由来だが排気ガスの影響で枯れ昭和48年(1973)に伐採されました。
コースを進み突き当りが江戸川である土手沿いに歩き、行徳橋を渡る行徳橋は約404mで歩道幅が広く気持ちがいい。大正8年(1919)に大規模な江戸川放水路*2が造られ、行徳地区が東西に分断された。途中、「行徳可動堰」があり、海水の遡上を防いでいる。土手を降りて進むと「妙好寺」がある。
*2洪水を防ぐため大正8年(1919)に完成、現在は放水路を江戸川本流と元の流れを旧江戸川と呼んでいます。放水路で分断された地域を行徳橋が架けられました、更に昭和18年(1943)に江戸川水閘門が昭和32年(1957)に行徳可動堰が設けられました。
②妙好寺
永禄8年(1565)篠田雅楽助清久の支援により創建されました。山門(木造切妻茅葺)の建築様式・文様が江戸時代中期の特色を示しています。市川市内には多くの寺社がありますが、江戸時代のものが少なく、この門は、当時の建築様式を残し貴重なものです。
③春日神社
創建年代は不詳ですが、境内の灯籠に寛文10年(1671)とあることからそれ以前の創建と考えられています。
④徳願寺
もとは埼玉県にあった勝願寺の末寺でしたが、徳川家康の帰依により、徳川の「徳」と勝願寺の「願」をとって「徳願寺」と名が改められました。山門(市指定有形文化財)は江戸時代の安永4年(1775)建築。江戸時代の彫師による本格的な彫刻が施されています。剣豪・宮本武蔵の達磨絵や書、円山応挙作といわれる幽霊画など、寺宝も多く所蔵している。
⑤妙応寺
約450年前の永禄2年(1559)に創建された、中山法華経寺の末寺、七福神を勧進し一ヶ所で七福神参りができる。
⑥本行徳神明社
行徳街道沿いに神明(豊受)神社があります。行徳で一番由緒ある神社です。行徳の地名と行徳千軒寺百軒という町の起こりを伝える歴史ある神社である。また、「行徳町道路原標」も境内に置かれています。かつて「行徳さま」と呼ばれた山伏金海法印*3が、伊勢神宮を勧請して建てたのが始まりといわれる神社。3年に一度開催され、総重量500Kgにもおよぶ神輿で有名な「五ケ町祭礼」はこの神社の大祭です。
*3戦国時代、土地の開発と人々の教化に努めた金海法印という山伏が、「徳」が高く、「行」が正しかったため、人々から「行徳さま」と呼ばれていたことに由来する、とも言われています。
⑦妙覚寺
妙覚寺は、中山法華経寺の末寺であり日蓮上人の像を本尊としています。境内に「キリシタン灯籠」の矢印があり行って見ることに。東京都にあるお寺でこのような灯籠がありましたが、千葉県では初めてで妙覚寺だけかもしれません。この灯籠は、上の部分を修復していますとの和尚さんの話でした。灯籠の中央下部に舟形の窪み彫りがあり、中にマントを着た神父が靴をはいた姿で彫刻されていました。また、その隣には鳥居と祠があり神仏習合の「神と仏は一体」の宗教思想を知ることができます。墓石のある一角にキリスト教と神社があるのは極めて珍しい妙覚寺です。
⑧馬頭観世音
馬頭観音は、多くの地域に存在しますが、ここの馬頭観音は、飛脚問屋、馬喰、馬の飼い主を束ねていたの人の寄進のようで、商売繁盛、無病息災の祈願したものと思われる。
⑨田中邸
行徳街道沿いには歴史的建造物がいくつか残っています。元行徳町長の「田中邸」もその一つです。明治10年に建築され、伝統的な外観をそのまま残し、一部内部をリホームし現在も住まわれております。もう一つ歴史的建造物に、船で来ても、陸路できても立ち寄らない人はいないと言われた繁盛店「笹屋うどん」があります。
1854年に建てられ屋号の「笹屋」については、源頼朝が源氏の家紋にちなんで名づけたという伝説もあります。江戸から明治にかけては広く県外にまで知られた、行徳の名所となりました。
「田中邸」の脇を通り、旧江戸川にある「常夜灯公園」に向かう。
⑩常夜灯
公園内ある常夜灯*4は、文化9年(1812)に江戸日本橋西河岸と蔵屋敷、成田山にお参りする講中の人々が航路安全を祈願して建てたものです。江戸と行徳を行き交う船の運航が始まったのは、寛永9年(1632)で航路の独占権を得た本行徳村は、この地に河岸を設置し、船は毎日明け六ツ(午前6時)から暮れ六ツ(午後6時)まで運航されました。この船は一般に「行徳船(ぎょうとくぶね)」と呼ばれ、江戸川を下り、新川・小名木川を経由して、日本橋小網町まで、約12.6Kmを就航していました。
*4昭和45年に旧江戸川堤防拡張工事のため、移動し現在の地に免振装置施し設置した。
⑪ふれあい伝承館
旧浅子神輿店店舗兼主屋と休憩所から成り、神輿をはじめとする行徳の歴史や文化を紹介し、地域の魅力を発信する施設となっています。近世中期から近代にかけて製塩と船運で栄え、寺社の町でもある行徳において、神輿造りは地場産業でした。旧浅子神輿店ではその中の一つです。昭和4年(1929)上棟の建物は重厚な瓦屋根の切妻造二階建ての店舗と平屋建ての居住部からなります。室町時代からと言われる神輿造りの歴史とあわせて評価され、平成22年(2010)に国の有形文化財に登録されました。行徳の文化を語る上で貴重な歴史的建造物となっています。
ゴールは、行徳神輿ミュージアムになっておりましたが、寄り道したりコースを間違えたりでカットしました。歩行距離8.5Kmとなっておりましたが、10Km以上歩いた感じでした。寺社・仏閣・旧家など歴史街並みに歩き、新たな市川市にふれることができました。
《参考資料》
□JR東日本・JR本八幡駅
□ウイキペディア
□にっぽん旅行記
□市立市川考古博物館/市立市川歴史博物館
□猫の足あと
□市川市観光協会
□中山・下総・散歩道
□BS朝日「百年名家」
□行徳まちづくり協議会
□市川市行徳ふれあい伝承館
□市川市
<その他のPhoto>
寺町通りなどコースに該当しない寺社・仏閣
マンション進出のなかでも、歴史を感じさせる建築物がまだ多く見られます。一つ一つの建物にも歴史があり、生活があります・・・それを感じさせる市川市です。