副題として~狩猟を通して見る東北の山人たち~となっていた。講師は、作家・カメラマンの田中康弘氏で、田中氏は山人たちが話す怪奇譚を集め「山怪(さんかい)」という本を出版、田中氏が30年以上マタギに接してきた、マタギの世界を語っている。
パート1 「山怪」のはじまりと阿仁マタギ
山の怪奇譚「山怪」とはなにか?本のタイトルのために作った造語です、秋田県阿仁町で出会った人達との付き合いの中で経験した山の不思議なことをまとめた本です。狐の話というのは多い(光が出る、家に帰ろうとするがなかなか着かない、夜店が出ていた等)、不思議なことは狐によるものと。地元の人は山に行くときに狐に化かされないように、手を打つ、ニンニクを持って行くとかした、阿仁では狸の話もある、狐・狸は妖怪のたぐいであるが、狸の話は狐とは違う、狸は物まねがうまいという(木を切る音、倒木の音など)不思議な出来事をたくさん聞いてきたが、これは何なのだろう?これはひょっとしたら山の中では、あるかもしれない。そして集めたのが先ほどの本です。こうした面白い経験をした地域が秋田県北秋田市阿仁地区という所です。
カメラマンとして取材していた時(30年前)に、「マタギの鍛冶屋」に会った人の話を聞き「マタギの鍛冶屋」という名称が面白くて会うべきだと思い、阿仁の「マタギの鍛冶屋」西根正剛に会いました。叉鬼山刀(マタギナガサ・フクロナガサ)を作っている方で、槍にもなる刃物で特殊な刃物を作っている、西根さんは話が面白く話がうまい方で、マタギにとって一日40Kmは日帰りの距離(山の中である)、マタギの方にキノコ採りやウサギ狩りにもついていった、すごく魅力的であった。身はボロボロだったが面白かった。マタギは山からの授かりものを得るため必死になって山歩きをする危険もあるし肉体的にも辛い、でも、それを超えるだけの喜びが山にあった。
最後まで残ったのか熊だった、マタギが狙う最大の獲物は熊。熊狩りは一般の人は連れててもらえない、猟友会に頼んでもだめだった。西根さんの仲間内の方に頼んで連れてってもらった。雪が降っていることが大事、足跡がわかる。マタギのやることは猟だけでない川でもいろんなことをやる、魚を獲るんですね、真冬の魚の漁「ジャガク」といって半凍結した川の中に雪を放り込んで踏み固めて魚を追い込む漁法。これが山里のタンパク源。
私が山怪的なイメージを抱くようになったのは宴会だった。山に行ってキノコを採る、ウサギ、熊狩りをする、何があっても深夜まで宴会をする。また、同じ話をするがこないだより面白くなっている話が変わったわけではなく話が育つと表現するんですが、前後関係、話の繋ぎ、言葉のはしばしを整理するだけで聞きやすくなる、面白さを増す原因だったのでは。その中で山の不思議な話などが人数が少なくなったりなどすると出てくる馬鹿話の連続である、不思議な話が見た人、見てない人がいる、全員見たならそれで終わるがこうした不思議な話は全国各地山で暮らす人にはあるような経験談ではないだろうかと思った。それがマタギの里から生まれた。
パート2 マタギの実態とブランド力
マタギについて詳しく話したいと思う。マタギは山猟師なんですね、所が「山猟師=マタギ」ではない、マタギはどういう人を言うか、北は下北半島(畑集落)南は長野県と新潟県の県境の秋山郷まで、ここにいる人が全員マタギかというとそうでもない。
なぜ、マタギの集落が点々としているかと言うと、阿仁(秋田県)には、根子(ねっこ)、打当(うっとう)、比立内(ひたちない)がある、一番北にあるのが根子集落です。ここがマタギ発祥の地と言われている。この3つの集落から移住した人がいる、その人達が住みついて熊狩りの作法を伝えた所をマタギの集落と言った。秋山郷は、縄文時代から住みつき猟師もいた、その人達はマタギとは秋田から来た人と言っているが秋山郷ではマタギの里と看板を掲げている、ここの人は阿仁から伝わった槍を持っている人がいる。秋山郷は米の出来ない貧しい所、「米=お金」ですから。「あんぼ」を主食にしていた「栃ノ実」を粉末にして、こねて野菜の切り端、山から獲ってきたウサギとか川魚を混ぜたりして団子にして「おやき」みたいな物ですが、これを囲炉裏の灰の中に入れて熱を通して食べた、これが朝昼晩そうだったと言う。昔はそれしかないそれが自然環境の厳しい所、栃ノ木を大事にした。阿仁の場合はどうだったか、実は栃をあまり食べてない、田んぼがあったみたいです。畑集落、秋山郷と阿仁は、食生活が違っている。共通しているのは雪です、雪のない所にマタギは存在しない、マタギは雪とともに生きる人、生かせる人、活用できる人、これがマタギである。
マタギの資格はありません、よくあるのは巻物があるそれが一つの証明と言われる事もある。「山立ち根本の巻物」巻物はさほど意味がない日本中にカワラ巻物はいっぱいあるがマタギの家には全部ある。
マタギが熊を追う最大の理由は「熊の胆(くまのい)」である、いわゆる胆のうですが、干したものが「熊の胆」、奥多摩では昔は年間30頭獲っていた、奥多摩では自家消費との事、「熊の胆」は「金」と同じ価値がある。マタギは一生懸命獲って売り歩く、売ることで山里にお金が入ってくる、経済と密接に結びついていた、これが熊だった。昔は胆のうだけでなく骨も血液も肝臓、脳ミソも、ありとあらゆる物を薬としたんです、今でも地元の人は持っている。昔は、医療が発達してないので草根木皮、漢方しかない漢方の材料としては「熊の胆」は有効であった。一般的に内臓系に効くと言われているが、地元に聞くと何にでも効く万能薬と言っている、重要な薬であったことに間違いない。
それと毛皮の価値があった、毛皮猟師みたいな人もいた、ウサギ、テン、タヌキ、タヌキは毛皮としては価値が高かった、いまでは世界的に使用しなくなったが、昔は、日本の最高級の毛皮は、タヌキだった。ヨーロッパでは、「たぬき」と書いてあったそうで、すごい人気だったそうです。熊はそういう扱いはしないが、敷き皮、剥製にして飾るのがメインでした。昔は、旅館、民宿、お金のある人の玄関に飾った、それが非常に人気があって高く売れた、上質のものだと50万で売れたと言われている、これも冬眠明けの熊なんです。冬眠中も毛が伸びて、歩かないので綺麗に伸びる、爪も綺麗に伸びる、そのため冬眠明けの熊の毛は高かった、熊というのは換金性が高かった。
どうやって分けたのか?肉は地産地消です、そこで獲ったものはそこで食べるしかない、昔は、冷蔵冷凍庫の技術がないので串にさして焼いて食べるとか、一番多いのは鍋、均等に分ける、いつも来ている人、来れなかった人の分も分ける、これを「マタギ勘定」といっている。肉というのは体の1/3位、部位によって分ける、マタギ勘定というのは全国的なようです。
金と同じ価値があると言われた「熊の胆」は、均等に分けられないので入札に掛ける。落札した人が加工して売る、狩猟というのは平等なんです。こうしていろんな薬を売り歩いていた。そうした中でも「熊の胆」が一番の儲ける道具だった。
マタギの特殊性を知るために、他者との比較をすると、阿仁はチョット違うなと、特殊性に気付き始める、阿仁マタギが面白い所は、自分の獲ってきた熊を金に変えるすべをおぼえたこと、全国各地に猟師がいっぱいいるが、そういう所はあまりない。有名なのは丹波篠山の猟師ですが、イノシシを獲って関西圏に出す、冬場大阪で食べられる「ぼたん鍋」は丹波が一番とブランドになっている、その他の地区ではなかった、阿仁では自分達が獲ってきた物を加工し銭に換えることが出来た、なぜかというのは阿仁鉱山だと思っている、今はないが鉱山にはたくさんの人が集まって来る、働く人の宿であったり飯し屋があったり、準備する人も来る鉱山技師も来る多種多様の人が集まってくる、一番大きいのはそこに経済が生まれる、金の流れが生まれる、米を買えば金が動く味噌を買えば金が動くその中にマタギの獲るような肉とか毛皮も入ったのでは、それは銭に換わる事がわかった。結構、早い段階で、やる方にとっては意欲が高まる、肉も出すことも出来るが冷凍冷蔵のない昔は加工して薬にした、薬を求める人が多かったのでは、その時、阿仁のマタギが作った薬が重宝された。早い段階で、狩猟、加工は、マタギの特殊性です。さらに売薬という商売があります売薬は阿仁を越えて他の地区まで売りに行く。雪国の出稼ぎが売薬が一つの出稼ぎであった。大阪や東京まで行っていたと言われている。売薬業は他にもいろいろあるが、マタギの薬売りの看板を持っていた。「熊の胆」は、俺が獲ったというセールス効果はあった、自分達の宣伝をしていた。マタギの特殊性はセルフブランディング、自分達で自分達の価値が分かって前面に押し出した、それが商売と結びついた。
また、口コミ・メディアの発達で全国区になった。吉村昭さんの「羆嵐(くまあらし)」という小説も大きかった、軍隊が出ても仕留められなかったのが一人の嫌われ猟師が仕留める。この物語が人の心に入り込んだ、このあとマンガ・TV・映画がほとんどラストは大熊との決闘になってしまうが、そんなマタギは一人もいない。ほとんどの熊は冬眠している、「羆嵐」の影響かと思われる。
パート3 山の不思議 語りが伝えるもの
山怪の話をしたいと思います。阿仁、東北地方では、狐・狸に関する話が多い。
山の中の不思議な出来事にどうして狐や狸がやらかしたと考えられたか、やはり身近な動物であった、集落の周辺によく出る動物であった、人間になじみが深い、山の中で不思議なことがあった時、狐・狸のせいにする、と都合がいい。不思議な事を狐・狸のせいにすると後の尾を引かない。不思議なままだと近づけなくなってしまうので狐・狸の悪戯にする。熊は身近な存在でない、身近な狐・狸に罪をなすり付ける、それで自分達は安心する、そうだったと思います。理解不能な事は狐のせいにする。
マタギには「語り」の文化がある、今みたいにスマホを持って歩いてない。TV・電気がない、人とのコミュニケーションツールは何かというと面と向かって話すことしかない。
その語りが山怪に変化していくか話したい。語りの大元は何かというと山での経験ですよね。あれは何だったんだと言う、山での不思議な出来事が種なんです。種は種のままだと芽を出さない。そこに水を与え肥料を与えるのは何かというと「語る」ということなんです。人と語ることで、この小さい種が「芽吹く」んです。そこでどうなるかと言うと、「話」が育つんです。話し言葉は、曖昧なことがあっても脳が補うんです、そうすることにより話は聞き易くなる。聞き易くなるというのは重要なんです、語りというのは聞くものでもあります、上手く「聞く」事が出来ないと「話」が育たない、上手く聞くことが出来るためには手を加えなければならない、編集ですよね、それを私は、語りの重要なことだと思います。語り手がいて聞き手がいて育つんですね。育つ重要なポイントは闇だと思っています、暗くすることにより一点に集中する。メインは囲炉裏端です、その場が重要だった、そこでいろんな出来事を延々と語る、そこで段々話が育っていく、話と話がくっついて壮大な話になっていく、それが地元の民話であったり昔話になっていくんだろうと思ったんです。雪の多い所で話を聞くとわかる、東北で集めた山怪の話も重要な所は雪なんです。今は話をする場もないが、まだ命脈を少し保っているのを感じます。
最後に山怪を取り巻く環境、現状を話したい。山での暮らしぶりが変わった、日常、山に入って生きるための糧を得てきた状況はほとんどありません。山に入るのは森林組合の人とか、材木系の仕事の人です。
山には日常的には入らなくなりました。山菜・キノコを獲る人も減ってる、お年寄が山の奥に入るのが難しくなりました、山の体験をする人の減少は語る人の減少にもなります。家庭の問題もあります、核家族化や一人で住んでいる人もいる、子どもはゲームをするなど都心の子どもと変わらない。山でも川でも入る子どもはいない、年寄りが子どもに昔の話をしても喜ばない。語る環境がない、山に入る環境がない、子どもがいない、いても語る状況が今はない。そうした中でも山に行く方は少なからずいて、そうした方々は私はいまだにいろんな経験をしていると思います。山怪で重要なことは、セルフブランディングと言ったが、もう一つ加わるのはアイデンティティなんです、自分達が山に行って自分達の能力を使って獲物を得て、自分達の知恵で加工して販売して行くというのはマタギの里のアイデンティティとしてはものすごく重要な事、自分達は何者か誰なのかという事を確認する大切な材料。山怪的なものも、アイデンティティの上ではすごく重要なんです。自分達がいつもいる山、、遊んでいる川、そしてそこで暮らしている集落の人達、その生活、長い歴史、その中と山怪が結びついている、はがすことが出来ない。地域の力を知らず知らずに身体に持っていたからマタギになれた。山怪の話は生活と密接に結びついている生きる知恵と表裏一体なんです、同じものなんです。現場で生きていくことが希薄になれば何処かに勤めに行く時代である。山があって自分になれた、川があるからここの住人になんだというアイデンティティが出来上がっていれば、出ていくことはやもえないが、忘れないと思う。山に入る人はゼロにはならない、山仕事はゼロにはならない、という事は何らかの体験をする人は少なくともいますからやはりその人達がいるかぎりは私は集めて行きたいと思います、それが出来るのはあと何年か、これからも一生懸命やりたいと思う。
※画像については、講師・田中氏と「マタギの里観光開発株式会社」によるものでオンライン講座の資料となっています。
【その他のPhoto】
講師の田中氏は、カメラマンだけあって素晴らしい写真が紹介されました。
講座の中心となった秋田県北秋田市は、親戚もおり私にとっては親しみのある所である。北秋田市は、平成の大合併(2005.H17)により鷹巣・合川・森吉・阿仁町の4町で市制施行した。秋田県の10%を占める行政面積であるがほとんどが山林である。
昔は不便な所だと思っていたが、1989年(H元年)に秋田内陸縦貫鉄道開業により田沢湖線角館駅(秋田新幹線停車駅)と奥羽本線鷹巣駅が繋がり便利になり、さらに北秋田市鷹巣地区に1998年(H10)大館能代空港が開港した。
講座のマタギについては、阿仁地区の熊猟師であることは知っており、35年前に映画「イタズ 熊」田村高廣・桜田淳子出演を鑑賞しマタギの生活については理解しているつもりであるが、本講座でさらに深めることができた。
北秋田市の主な見どころ:「世界一の大太鼓の里」「マタギ資料館」「太平湖」「阿仁異人館・伝承館」「浜辺の歌 音楽館(作曲家:成田為三)」「県立北欧の杜公園」「伊勢堂岱遺跡(国史跡)」「くまくま園」「秘境の宿 打当温泉マタギの湯」