爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

南越谷阿波踊り

2018-08-26 08:08:11 | 日記

徳島、高円寺(東京都杉並区)、南越谷(埼玉県越谷市)の阿波踊りを「日本三大阿波踊り」と言うが。南越谷阿波踊りは34回となった、今や埼玉県東部地区では最大のお祭りとして定着した。79連程の参加団体があり、本場徳島からも招待で参加する。
当日(25・26日)は、交通規制され混雑するので、前夜祭を見に行った。

阿波踊りと言うとニュースでの車道を流して踊る認識しかないが、舞台用の阿波踊りもあり、ストップモーション、フォーメーションの工夫ありで楽しめる。最後には「阿波踊り教室」もあり、ちびっ子たちが楽しそうに参加していた。

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今年も地区労ビアパーティー

2018-08-25 20:38:05 | 日記

恒例の「地区労ビアパーティー」がおこなわれた。

いつもながらの多趣味な皆さんの舞台披露や各団体の出店あり。

今年の猛暑を吹き飛ばせたかな??

 

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Tokyo Metro News 2018⑦の和光市に

2018-08-20 15:58:33 | 日記

「石原さとみ」さんの東京メトロのTVCMで放映されている和光市を訪れる。
私が埼玉県に転居したのが昭和48年で、その3年前に和光市となった。それ以前は大和町と言っており、当時、大和町から和光市に市制施行したという印象があった。市制施行の際、神奈川県に大和市が既にあったため一般公募し「和光市」とした。「和光市40年のあゆみ」よると平和・栄光・前進を象徴し明るく住みよい街に躍進するようにという願いが込められている。
和光市は東京区部に隣接し戦後ベットタウン化している市である。埼玉県の統計によると、和光市は、「人口5歳以下の割合」県内5位、「一人暮らしの割合」1位、「賃貸の割合」2位と、家賃が安いため人気のエリアで学生・社会人の割合が多く県内では平均年齢(39.6歳)が一番若い(2010年度)。都内へのアクセスが良く(池袋まで13分)、横浜中華街へは乗り換えなしである。
和光市駅に降り「新倉ふるさと民家園」(旧冨岡家住宅)に向かう。平成18年に開園したこの民家園は、東京外郭環状道路の立ち退きにより解体部材一式が冨岡氏より寄贈されたもので埼玉県でも最古の部類にはいる民家である。
和光市は初めて降りて歩くが東京のように坂道の多い所である、下り坂から茅葺きの屋根が見えてきた、入口には「潜り門」があった。きれいに整備されている古民家である。

入口となっている土間より入る、間取りは一般的な田の字型の四間である、土間そばの「板の間」が広く囲炉裏が「板の間」真ん中ではなく土間側にあった、日常の接待とともに土間からでも使用できる利点がある。もう一つ素人の私にも気がついた点が「大黒柱」が見あたらない事である。「大黒柱」は江戸中期から出始めたとのことで建築当時はなく古さがわかる。また、各部屋から天井の梁が見える、天井によくある排煙口がなく、囲炉裏やカマドの煙など各部屋に回ったのだろうに煙くはなかのだろうか。もう一つ不思議なのは、見学の入口は土間になっているがパンフレットの間取りには5畳の座敷の玄関があった、どう見ても縁側という感じだった。「玄関」という言葉は鎌倉時代の古文書に載っているようで、宗教的な言葉であったようで、それだけ格式があったのでしょう。玄関が造られたのは江戸時代末期頃からでそれ以前は造られていなかったようで、旧冨岡家住宅は、それだけ古い民家であることがわかります。

この民家園は、いろんな企画されているようで民家見学だけでない昔の事を知る提供の場となっている。

次にもう一カ所パンフレットに掲載されている「神瀧山清龍寺不動院」に向かう。民家園からは駅の反対側となる、歩いていると高低差が多いのが分かる和光市駅の標高が30mなのに、清龍寺付近は19mである。和光市は武蔵野台地東端上にあり浸食が進み複雑な地形を形成している。
この辺が清龍寺かと思ったら、鳥居があり熊野神社とあった。間違ったと思ったら隣に清龍寺があった、まさに神仏習合である。熊野神社は、創建年代は不明ですが中世には存立していたと言われています。江戸時代には白子村の鎮守として栄えてました。

境内には富士塚がありました、周りが住宅、マンションがあるなか緑が多く、湧水もありパワースポット的なエリアである。

清龍寺は、熊野神社の脇の階段をを上がった所にある。平安時代からの歴史のあるお寺で、徳川家とも縁があり、伊賀忍者の修行道場、乃木将軍が滝行したなど盛りだくさんである。

熊野神社は、富士塚であったが、こちらは富士山の溶岩で造った「開運利益 洞窟めぐり」である。ゴツゴツした溶岩を上って行くと鉄扉の入口があり、とってもすれ違い出来る洞窟ではなく、長い洞窟だとも思えない。入口にある電灯スイッチを入れ中に入る溶岩の壁にお稲荷様が祀られています。どう続いているのか不安の中歩いていると出口の明るい光が、長い距離ではないが何とも不思議な感覚である。滝行する場所の見学は、修行中のため残念ながら見学できませんでした。こんな場所で滝行が出来るとは武蔵野台地の湧水の量はすごい、ちょうどこの辺が粘土質層の上に乗っている礫層部分なのだろう。和光市はこのような湧水場所が多くある。

久々の散歩と高低差で足の負担が大きく帰る事に、ここからだと東京板橋区の成増駅の方が近いようだが和光市駅に向かう。
和光市駅の駅前に二つの碑がありました。一つは「作詞家 清水かつら」の「みどり そよ風」、「靴が鳴る」、「しかられて」の碑で作詞した清水かつら氏は、東京生まれですが関東大震災の後、現在の和光市(当時、白子村・新倉村)に転居し和光市で生涯を送りました。もう一つは、当地にある「理化学研究所」の「ニホニウム合成・発見記念碑」である、森田博士を中心とするグループがアジアの国で初めて新しい元素を発見し「元素周期表に日本初の名前を書き込む」という偉業の碑である。

今回は、久々の「爺の社会科見学」であった。連日の猛暑で「危険な暑さ」と言われては・・・冬眠ではなく家で夏眠(?)状態。お盆も過ぎやっと秋の気配が・・・。

 

 

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