爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

憲政記念館付近の散策

2018-04-18 21:26:17 | 日記

憲政記念館は、子ども達の国会議事堂の社会科見学に付随して訪れる事が多い。憲政記念館は、1970年(昭45)に議会開設80年を記念し1972年(昭47)に会館した。元々は、戦後 1960年(昭35)に憲政の功労者である尾崎行雄を記念し尾崎行雄記念館が建設されその後衆議院に寄贈され、これを拡大し憲政記念館となりました。
国会議事堂より憲政等を学ぶのにはこちらの方が勉強になる印象を受けた。

憲政記念館は、緑の多い公園内にあるがこの公園は「国会前庭」(こっかいぜんてい)と言い、国会正門にのびる道路の左右に分かれて南側には和風庭園、北側には洋風庭園となっている。南側は、江戸時代は九鬼氏の屋敷、明治時代は有栖川宮邸をへて回遊式庭園となった。北側の洋風庭園は、江戸時代の加藤清正の屋敷から彦根藩井伊氏の上屋敷、のちに参謀本部・陸軍省となり現在にいたった。なお、井伊大老はこの屋敷から内堀沿いの桜田門付近で「桜田門外の変」に遭った。洋風庭園の中心には三権分立を象徴すると言われる時計の塔、尾崎行雄氏の記念碑がある。

もう一つ珍しいのが「日本水準原点」があることである。測量に関わることは現在は「国土地理院」が所管するが戦前は国家機密扱いで陸軍省参謀本部陸地測量部であった、そのため参謀本部があったこの場所に「日本水準原点」が設置された。台地上にあり地盤沈下の影響を受けにくく、標庫の基礎は地下十数メートルの安定地層に築いており狂いが生じにくいとされている。東京湾の平均海面(0m)から標高は、当時24.5000mとされたが、関東大震災、東日本大震災により2回改定され、現在は24.3900mと改定された。日本水準原点は、日本水準原点標庫の中に格納されているが、その標庫は小さく変わった建築物だが、ローマ風神殿建築で明治期の数少ない近代洋風建築である。

国会議事堂前にこんな素晴らしい公園があるとは思わなかった、国会には来ることはないが近くに来たときは立ち寄りたい「国会前庭」であった。
帰りは桜田門、二重橋を見て東京駅へ、二重橋を見るのは何十年ぶりだろうお堀の所にミニ交番?がプレートには「警視庁丸の内警察署祝田町見張所」とある、ここは皇宮警察の管轄ではなく丸の内警察署のようだ、町名としての祝田町は現在はない。ミニ交番?は他の場所でも展示しているのを見たことがあるが同じように小さかった。

皇居は、人気の観光スポットであるが、皇居の回りを多くの外国人がジョギングしているのには驚いた。

【その他のPhoto】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国会前で大規模集会

2018-04-15 20:28:57 | 日記

4月14日に森友学園の国有地取引問題、加計学園学部新設問題、財務省の公文書改竄に対する集会がおこなわれた。小生も参加したが歩道を埋め尽くし多くの方が現政権の今後に不安を感じ、さらに改憲の動きなど民主主義の崩壊に危機感を持った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

城と人形の町岩槻を巡る散歩

2018-04-11 21:37:57 | 日記

4月の退職者の会・日帰り散歩は、人形の町・岩槻である。
東武スカイツリーライン・東武アーバンパークラインを乗り継いで岩槻駅に到着する。この路線のカタカナ名は、愛称とのことであるが、参加者からは伊勢崎線・野田線の方が良い、カタカナにすれば良いというもんではないと・・・。
岩槻は、平成17年(1954)にさいたま市と岩槻市が合併し岩槻区となったが。古い話だが岩槻市当時とは駅前、市内が変わったなと感じた。
早速に駅前の東玉・人形の博物館に入館する。4階のフロアーが博物館となっており、江戸時代から昭和初期のひな人形、五月人形他が展示されている。東玉は江戸時代嘉永5年(1852)創業の老舗である。日本人特有の信仰心から人形に願いが込められ、人形職人の手により芸術的な工芸品まで高められた。

駅前通りから右手の「日光御成道」の市宿通りに入る。通りには、ここが日光御成道と思わせるような古い商家や蔵が点在する。

 

歩いていると窓がアーチ状の戦前の建築物であろうと思われる建物に入る。現在、岩槻郷土資料館として使用されているが昭和5年に建てられた旧岩槻警察署庁舎(国・有形文化財)です。アールデコ風のアーチ窓・丸柱は合理的な建物の中で特異な装飾を施している。展示は、貝塚など大昔の暮らし、岩槻のあゆみ、くらしの道具などが展示されている。

さらに西に向かうと岩槻大師の総門が見えてくる奈良時代末期に創建された真言宗の古刹である。境内には鉢植えが花棚に何鉢も並べられ花好きの住職なのだろうと皆感心した、本堂地下に戒壇巡りの四国八十八カ所のお砂踏みがある、短時間で四国八十八カ所を回ったと、同じということでお参りすることに。お遍路用の白衣が配布される、背中には「南無大師遍照金剛」と文字が入ってます。お参りを済ませ、御堂下の拝殿へ進みます、カーテンの中は漆黒の世界である、こんな事は日常生活にはない、壁伝いと言うものの不安感がある。途中、薄暗い照明の中に仏像が並んでいる、いよいよ、八十八カ所巡りである。1番札所から88番札所までの札所のそれぞれの砂の袋が踏んでお参りするようになる。1番から砂を踏み「南無大師遍照金剛」と唱えて行く自分の年齢の札所は念入りに・・・壁には大師像や経文が貼られており異空間である。これにて終了し本堂でさらに合掌する。本堂の大きい柱に「不動明王御真言 なうまくさまんだばざらだん せんだまかろしゃだ そわたやうんたらたかんまん」と書いた紙が貼られていた。何とも意味不明であるが、サンスクリット語のマントラと言われるもので、唱えることにより不動明王に帰依すると言われている、言葉に霊がありお参りすることで私たちを守ってくれる。

市宿通りで食事を済ませて、「時の鐘」に向かう。
駅前の大通りに戻り東の方向に歩いて行く、川越市の「時の鐘」は通りに面していたが、岩槻は住宅街の奥まった所にあった。時の鐘は、寛文11年(1671)に岩槻城主阿部氏によりもので城内・城下に時刻を知らせた。時の鐘の側には見事なイチョウの木があるが、明治29年に植えられた樹木である。広場は見事に「やまぶき」の花が咲いていたが、やまぶきの花は、岩槻区の花で岩槻ゆかりの太田道灌の「やまぶき伝説」からきている。

この後、太田諏訪神社、浄源寺、梅照院と回り岩槻城址公園に入る。

岩槻城址公園は、太田道真と子の道灌が築城したと伝えられる。自然林に囲まれ起伏の多い公園内は、岩槻城の土塁が今も残されています。園内の菖蒲池には朱塗りの八ッ橋が掛けられており、岩槻区民の憩いの公園となっている。

この日は、気温が高く歩いているうちに皆さん薄着に。それよりも慣れない暑さで体力を消耗し疲労感が・・・。帰りは岩槻駅までバスに乗って帰路に。ご苦労様でした。 

【その他のPhoto】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

都内でお花見三昧

2018-04-01 13:01:23 | 日記

友人のC君から都内の桜めぐりのツアーがあるとのお誘いで集合場所の東京駅へ。
送られてきた「案内書」によれば
        ①皇居「乾通り」特別公開
        ②「高輪桜まつり」
        ③「目黒川桜のトンネル散策」
        ④隅田川お花見クルーズ
のバスツアーである。ツアー代金は「おにぎりセット付き」で5980円でとある。
チケットの手配をしてくれたC君は桜の開花状況、天気を心配したようだが、満開と好天に恵まれた。友人ともこの金額では雨が降っても文句は言えないと・・・
最初の「乾通り」のお花見は集合場所から徒歩で。皇居とあって警察官の人数がすごい、手荷物等の検査も2カ所でチェックする。やっとのことで坂下門から乾門 までの特別公開の桜の見学である。特別公開は、平成26年に天皇陛下の傘寿を記念して公開された750mのコースである。普段通れないこともあり平日でもすごい混み合っているが、警察官・宮内庁職員の有無を言わせない丁寧な?誘導で写真を撮りながら乾門に着く。皇居の桜の花見では相当時間を割いていたがこれは混雑状況を考慮したのだろう、おかげで千鳥ヶ淵の桜も見ることができた。

 


 

 北の丸公園で食事をすませてバスに乗車。次の「高輪桜まつり」に向かう、品川の御殿山に近い所の町内の桜まつりかと思ったらプリンスホテル内の日本庭園の桜のお花見だった。この時期、日本庭園内の17種210本の桜をレストラン・庭園桟敷席等から楽しむというプリンスホテルの企画行事である。30分ほど庭園を散策しバスに乗車。

 

今人気の目黒川桜の散策である。
TVで度々報道され桜の名所でランクインしている川とあって若い人を中心に人出は相当なもんである、中目黒駅を中心に交通アクセスが良いことも人気に拍車をかけている。両川岸の桜と出店が続く。目黒川は世田谷区を起点とし目黒区、品川区そして東京湾に注ぐ8Kmの2級河川である。暗渠の部分も多いが4kmの川沿いに800本の桜がある。洪水対策なのか歩道と川底の高低差があり河川敷の桜とは趣が違う。

中目黒をあとに日の出桟橋に向かう。団体なので慌ただしく浅草行きに乗船する。水上バスは何回か乗船したが座れないのは初めてである。隅田川沿いの桜を船からお花見である。日本人は桜に関しては特別な思いがあるのだろうが、人、人でグッタリである。それにしても東京は桜の多い街である。解散の浅草に着いてホットし一杯やって帰ろうと・・・ 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする