爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

郷土資料館見学(藁工品を知る)

2015-11-23 16:23:17 | 日記
吉川市役所HPに郷土資料館(土曜日のみ開館)が紹介されていて、藁加工品が展示されていたため見学にいった。

吉川市は、昔は二郷半領と呼ばれ稲作が盛んで水運を利用し江戸に出荷されていた、おのづと最後に藁が出るが藁加工が一つの生業としてきたのは珍しい。
吉川の藁加工は、主に隣の千葉県野田市の醤油(醤油縄)に寄るところが大きい、昔は醤油の出荷は樽詰めで藁紐は欠かせない物で、吉川の藁紐は品質が良かったようです、展示されている藁加工品を見ると、縒るだけでなく制作に手間がかかるようです。今では、藁の加工品を見る事は無いが、大相撲の土俵の俵は吉川市在住の方が作っているそうです、伝統はいまなお受け継がれています。


吉川市郷土資料館は、平屋の建物で普通の民家のようで表示が無ければ通りすぎますが、表示ポールにカスリン台風洪水の水位が表示されてました。私の身長より高い所まで浸水し、市内9割が浸水したようです、何しろ吉川市は、利根川水系の中川と江戸川に挟まれた地域で、今年の台風18号では中川が氾濫危険水位に到達しました。異常気象の昨今、まだまだ注意が必要な地域である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「大人の休日パス」フル利用 山形編

2015-11-21 07:52:17 | 日記
人の休日パスの有効期限が後1日残っているため、今まで行った事がない山形市に行くことにした。事前に指定席を取っていないので始発駅の東京駅より乗車、平日のせいか自由席は空席が目立つ、これだったら大宮から乗車してもよかった。日帰りでの山形市観光は、時間的に市内観光に的を絞らざるを得ない、官庁街に比較的名所旧跡が集中しているので案内所で頂いた観光地図を参考に霞城公園に向かう、途中、神社があった「豊烈神社」とあったが、水野忠元、水野忠邦を御祭神とする神社である。 さらに公園通りを進むと左手に霞城公園が見え、右手には最上義光歴史館があります。最上家の中で多くの業績を残した最上義光公の歴史と功績、遺品が展示されている。義光公の出陣の勇士姿が銅像として公園内に再現されている。

山形城は、石垣、掘、移築門、移築御殿からなる輪郭式平城となっている、お城としては国内では5番目の広さだそうだ。現在は都市公園として管理されている。

公園内にはいくつかの施設が配置されている、山形市郷土館は、明治11年に県立病院(済生館)として建築した3層楼の擬洋風建築を利用し、医療関係を中心に展示している、驚かされるのは7ヶ月で建築させた事であり、国指定重要文化財となっている。

隣には「山形県立博物館」があり、山形県内の動植物、地学、考古学、歴史、民俗等が紹介されている。特に目を引くのが、国宝「縄文の女神」である、ほぼ完全な形での出土で女神として体の線がシャープで現代アートを思わせる。

山形美術館には「ロダン」「ピカソ」「シャガール」が常設展示され地方美術館としては充実しいるが、時間の関係で入館しませんでした。
最後に市役所近くにある「文翔館」(山形県郷土館)を見学、昭和50年まで使用していた山形県庁である。大正5年に完成した庁舎で、以前の庁舎は大火に消失したため現存の庁舎はレンガ造りで外回りの壁面は石貼りとなっています。3階建てとなっていますが、外から見ると傾斜があるため2階建ての建物に見える、正面見学入口は2階となっているが、中庭を見ると3階建てである。内部は王宮を思わせる豪華な調度品が配置され、これが県庁?と思わせる。


この様な擬洋風建築は、山形県には多く残されている。時間の関係で「教育資料館」などには行くことが出来なかったが、擬洋風建築は明治初期には横浜、東京、山梨、長野、山形に多く見られ、旧政治体制の強い地域では指導者によって進められたようだ、大工が建築したため、和洋折衷的な特徴的なデザイン建築が生まれたが、その後の建築は洋風化が進んだ。
山形駅から歩きづめで中にある喫茶室で休憩をとる、店員さんに御殿堰の場所や山形のお土産の事などを聞き、名物のラスクを買い、御殿堰に立ち寄り帰路につく。

今回、法事や帰省をかねて、「大人の休日パス」をフルに利用したが、割安感はあるが目的のある旅行のため疲労感もあった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「大人の休日パス」フル利用 盛岡編

2015-11-20 10:30:33 | 日記
翌日、両親の墓参りのためタクシーにて名須川町のお寺に行く。お参りを済ませ、盛岡市内を散策する、県庁通り、大通りを歩き中津川河畔に着く、現在は、市民の散歩コースとして整備している。「よの字橋」側に「新渡戸稲造」の像があったが、妻の学校の初代学長が「新渡戸稲造」のため、写真を撮ったが眼鏡を掛けた像でないためイメージが違った。橋を渡り紺屋町へ、この辺は古い盛岡が残る一帯でもある、古い消防第5分団は旧よ組で「よの字橋」の名はここから来ているようだ、また、への字型の商店、盛岡信用金庫本店、岩手銀行中の橋支店など貴重な建築物が多い。

さらに川添に下り「下の橋」の近い所に「新渡戸稲造」の生家跡が残されている、盛岡城(別名 不来方城)には「願はくはわれ太平洋の橋とならん」という国際人「新渡戸稲造」の格言の碑がある。同じ盛岡城に「石川啄木」の歌碑「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心」がある、盛岡城は石垣のみの城跡である、盛岡城に来ると、石川啄木のこの短歌が思い出され、私の好きな短歌でもある。

昼近くなり新渡戸稲造も利用した「公会堂多賀」で食事をする事に、岩手県公会堂の地下にあるが、日比谷公会堂と同じレトロ感いっぱいのレストランである。入って右に「新渡戸稲造」に関する物を陳列している。久々に格式のあるレストランで食事をしました。

食事後は、盛岡駅に向かう途中にある、「啄木新婚の家」に立ち寄る平屋の家屋で両親、妹と5人で生活していたが、短期間の住居ではあるが、啄木の現存する遺跡は少なく貴重な建築物となっている。

盛岡駅より田沢湖線にて実家に立ち寄る、足がおぼつかない姉に会うと、私たちも年をとったなと思うとともに、実家も変わり寂しさだけが残る。学生時代、郷土地理学の先生が、「ふるさと」は「親」と「土地」のある場所と言ってたが、薄れていくものだと感じる。滞在が短時間で申し訳なかったが、新幹線に乗車し埼玉に帰る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「大人の休日パス」フル利用 大館編

2015-11-19 18:43:50 | 日記
義母の一周忌のため「大人の休日パス」を利用し旅行した。飛行機だと便利な秋田県大館市であるが、年金生活者にとってJRの「大人の休日パス」はありがたい。(パスを利用する人がこの時期多く乗っている)新青森駅で奥羽線に乗り換えて、お寺のある大館に到着。ホテルにチェックイン後に食事に出る、妻は3年間、大館の県立高校に通学していたので、土地勘があるかと思ったが駅からスクールバスのため地理的な事は分からないとの事。ホテルの地図をたよりに「秋田比内や大館本店」に、お勧めのミニ親子丼ときりたんぽ鍋を注文、妻は食べられるか心配していたが ペロリと食べていた。名物の比内地鶏の親子丼と郷土料理のきりたんぽ鍋がいっぺんに食べられるのは良い。

翌日は2時から法事のため、それまで市内散策に出る、一番近い「桂城公園」へ城と名前が付いているが石垣も土塁も無い名前も聞かずに行ったら普通の公園である。園内には大館市出身の上原敏の碑があった、「妻恋道中」で有名で碑には♪♪好いた女房に三行り半を・・・♪が刻印されていた。保育園児が遊びに来ていて遠くを見て「樹海ドームだ」「樹海ドームだ」と言っていたが、東側から「大館樹海ドーム」を見るとことが出来る、東京ドームと同じ形状であるが、日本最大の木造建築物である。

桂城公園から古そうな建物が見えたの行ってみたら、「桜櫓館」とあった。大館市制施行前の最後の町長である桜場文蔵氏の私邸で、昭和初期の建築物で現在は国指定 登録有形文化財となっている貴重な建物となっている。最大の特徴は、2階の屋根に突き出る展望室がある、四方にガラス窓を配置している、桜場氏の大館を思う気持ちと意気込みが感じられる建築物である。この「桜櫓館」は市の所有ではなく、取り壊し予定の所、成田氏の努力により保存管理されている、維持管理費100円で説明までして頂き、頭が下がる思いである。


同じ、桂城公園の隣に「秋田犬会館」がある、秋田犬保存会の建物で3階が展示室がある、こうした展示室があるのは秋田犬だけではないだろうか、秋田犬の歴史、剥製・骨格、マタギの狩猟犬としての活躍、秋田犬の基準などパネル等で展示されている、秋田犬は「天然記念物」だと事、ヘレンケラーが飼育していた事など始めて知った。会館脇の檻には、かわいい秋田犬の「まどか」入っていました。愛くるしさは、映画の「ハチ公物語」「HACHI」思い出させてくれます。

秋田犬会館の前の道路の先に、石田ローズガーデンがある、大館市出身の国会議員で大館名誉市民である故石田博英氏の私邸のあった場所で、今は大館市で管理し一種一本のサンプルガーデンとして約500種類のバラが植えられている。この時期、バラは咲いてないが「大館バラまつり」が開催されるなど市民の憩いの場所となっている。

ここで法事の時間となり途中で食事を済ませてお寺に向かう。この辺はお寺が点在しているが、久保田藩の施策があるかもしれない。墓前での読経が終わり、今回の一周忌を滞りなく済ませる。大館市の中心街と大館駅は離れており、タクシーにて大館駅に向かう、妻が大館市内に詳しくないのは駅と中心街が離れているせいだろう。

大館駅より花輪線にて盛岡駅に向かう。花輪線は、途中、「いわて銀河鉄道」路線となり、盛岡駅に到着し市内のホテルに一泊する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする