品川駅から京浜東北線で大井町駅で下車する。大井町は、通学、通勤で4・5年お世話になったが、駅や駅前が変わってしまったという印象だが、それ以上に街歩きをしていなかったことにきがついた、少し駅を離れただけで分からなかった。
大井町駅から「品川歴史館」と「大森貝塚」を目指し、大森方面に歩いていく。15分ぐらい歩くと「品川歴史館」に着く。昭和60年に会館、平成8年にリニュウーアルした歴史館。リニューアルしたとは言え、新しさを感じる歴史館である。1・2階が展示、資料学習コーナーとなっている。展示等は、品川宿の宿場の様子から原始、古代から現代まで品川の歴史が学べるようになっている。
敷地内には、昭和初期の和風建築の建物がある。戦前、商社・鉄道・銀行の経営者であった安田財閥の安田善助邸の茶室があった、材料を出来るだけ再利用し復元している。
歴史館を出て大森駅に向かうと左手に「大森貝塚遺跡庭園」があった。大森貝塚を発見したモース博士生誕の地アメリカ合衆国メイン州ポートランド市と妹都市提携を記念し開園しました。遺跡庭園というよりモースの銅像、貝塚の地層が見られたり子どもの学習公園である。
大田区に入り大森駅に近づくと歩道に「大森貝塚入口」があった。だが、それらしき場所には感じられないが、NTTビルの横に通路があり、表示通り進んでいくと線路があり、脇に大森貝塚の記念碑があった。品川区と大田区の2カ所に記念碑があった。(どっちなんだろう?)
貝塚発見の状況は、明治10年に横浜についた動物学者エドワード・S・モースが横浜から新橋に向かう列車から大森付近で崖に貝殻が積み重なっているのを発見したとのことから、いまの大田区・品川区にまたがって堆積していたのだろう。モースは、場所をはっきり明示しなかったようで、調査にあたり補償金を支払った古文書が残っているのが品川区あたりらしい。モースが列車から発見したのに日本人がなぜ発見出来なかったのだろうか、まだ明治初期で学問として確立がされていなかったのだろうか。
今回は、京浜東北線・京浜急行線の西側を散策したが、いつか東側の品川宿を中心に散策したい。