爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

駅からハイキング 木更津

2022-04-14 18:44:10 | 日記

NHK連続ドラマの「カムカムエヴリバディ」  で使われている「証城寺の狸囃子」を懐かしく聞いて、木更津の証誠寺に行ってみたいと思っていたら、JR「駅からハイキング」で木更津のコースを開催中とのことで参加した。

総武線千葉駅で内房線に乗り換え木更津で下車する。木更津市は人口13.6万人の港湾都市であるが、内房線に乗っても海の感じは受けないが、遠くに工業地帯の紅白の煙突が多く見られる、この風景は埼玉には「ないな~」と、海に近い事を感じる。
木更津の地名の由来は、諸説があるようだが伝承の一説「君不去」(きみさらず)が元になっているのが通説との事、市の西側は関東平野の平地、東側は木更津台地、上総丘陵である。


駅前の「木更津市観光案内所」で地図を頂き出発する。駅付近に寺社が多くあり、周りやすい。駅前の通りを歩いているとコースにはない「光明寺」というお寺があり立ち寄る。境内に「与三郎の墓」(供養墓のようです)の矢印があった。「切られ与三郎」「お富さん」と言えば分る。小さいころ、♫ 「・・・死んだ筈だよ お富さん 生きていたとは お釈迦さまでも・・・」と口ずさんだ記憶がある。歌舞伎の「与話情浮名の横櫛」(よわなさけうきなのよこぐし)演目で。物語は、赤間源左衛門(成就寺に墓石が)の愛人(お富)と与三郎の関係が知る所となり、与三郎は切られ木更津の海に投げ込まれました。その後、偶然江戸で再会した二人を描いた作品。

予定のコースに戻り「八剱八幡神社」(やつるぎはちまんじんじゃ)に。八剱八幡神社は、木更津の中心部に鎮座する地域最大の神社です。地元からは「八幡さま」の呼び名でしたしまれています。お正月などは参詣者で行列できるほどです。毎年、7月に行われる例祭には関東三大神輿の一つとされる、大神輿が渡御します。

※「水引飾り」がありました。水引には物事を浄化し清めて、悪いものを払う力があると言われています。

隣のお寺が成就寺です。本堂を見ると変わっている本堂だと思いましたが、さやどうのようです。波の伊八の狛犬と針供養で有名です、また有名な「木更津甚句」の普及功労者である芸者「若福」の墓石があります。

次が訪れたかった證誠寺です。寺に伝わる伝説「狸ばやし」は日本三大狸伝説の一つとして数えられ、この伝説をもとに童謡「証城寺の狸ばやし」は、作詞・野口雨情として大正14年に「金の星」という雑誌に発表され、作曲・中山晋平により完成しました。境内には雨情の歌の筆跡、晋平の五線譜の刻まれた童謡碑、狸の姿の石像があります。今でも木更津市内のマンホールには歌詞と共に狸の絵が描かれています。その他、市内には狸のオブジェが多く飾られています、木更津市のマスコットキャラクターは「きさポン」です。
※日本三大狸伝説
 〇上州舘林市(群馬県)の「分福茶釜」
      以前、訪れブログにUPしました「猛暑の中、館林を歩く」2016.08.09
   〇伊予松山(愛媛県)の「八百八狸物語」
   〇木更津の「證誠寺の狸ばやし」

♢證誠寺の狸ばやし♢

                                                          Sho-jo-ji/The Hungry Raccoon 
日本語歌詞                                                            英語歌詞
証 証 証誠寺                                 Sho,Sho,Sho-jo-ji
証誠寺の庭は                                     Sho-jo-ji is a raccoon
ツ ツ 月夜だ                                 He is always hungry
みんな出て 来い来い来い                      So he sings of koi koi koi
おい等(ら)の友達ア                           He will rub his head and tummy
ぽんぽこ ぽんの ぽん                       Rub headand rub tum-tum
                                                  Macaroons and macaroni
負けるな 負けるな                            Jellybeans and pink spumoni
和尚(おしょう)さんに 負けるな             koi koi koi,koi koi koi
来い 来い 来い                               All he says is koi koi koi
来い 来い 来い                               Sho,Sho,,Sho-jo-ji
みんな出て 来い来い来い                      Sho-jo*ji is a raccoon
                                                  He is allways hungry
証 証 証誠寺                                   So he sings of koi koi koi
証誠寺の萩(はぎ)は                                  Always a-hungry, very hungry
ツ ツ 月夜に 花盛り                              That's why he sings of koi
おい等(ら)は浮かれて                              Sho,Sho,Sho-jo-ji
ぽんぽこ ぽんの ぽん                              Sho-jo-ji is a raccoon
                                                                      He is always hungry
                                                   So he sings of koi koi koi
                                                   He will rub his head and tummy
                                                   Rub head and rub tum tum
                                                     Makeruna makeruna    ローマ字
                                                  Oshosan ni makeruna   ローマ字
                                                  koi,koi koi,koi koi koi   ローマ字
                                                  minna dete koi koi koi   ローマ字
                                                  Sho,Sho,Sho-jo-ji
                                                  Sho-jo-ji is a raccoon
                                                     He is alwayas hungry
                                                   So he sings of koi koi koi
                                                   Always a-hungry,very hungry
                                                     That's why he sings of koi
小さいころ、外国人が日本の歌を歌っている印象に残っているのが 「Sho-jo-ji」(アーサー・キット)と歌う大使と言われたカテリーナ・ヴァレンテである。特に、Sho-jo-jiは印象深い、後で知ったが野口雨情の作詞を訳したものでなく、タヌキは欧米には生息してなくて英語歌詞Laccoonはアライグマであることをしり「エー」と思った、中国的なメロディーが混じったような曲で外国人は区別出来ないだろうなあと感じた。朝の連続ドラマで使われたNHK英語講座も歌詞はもちろん違い、「證誠寺の狸ばやし」の曲がいかにすばらしく親しみやすい曲であることが理解できる。境内には、童謡の碑と狸塚、狸の置物が。

次は、鳥居崎海浜公園である。證誠寺から富士見通り(駅前のとおり)に入ると海に近づいているのが分る道路が整備されモニュメントが置かれ、ヤシの木が異国を感じさせる。富士見通りを右折し「鳥居崎海浜公園」へ公園というより駐車場がやに目立つ公園で洒落たレストランがあったが、この一帯「恋人の聖地」なそうである。

大きな橋があったが「中の島大橋」で、鳥居崎海浜公園と人工島で木更津港に浮かぶ「中の島」とを結ぶ歩道橋で車が通る構造にはなってない。全長236m、高さ27.125m、幅4.5mで日本一高い歩道橋となっている。「中の島公園」まで通ったが歩きでがあり疲れる歩道橋である(恋人同士は関係ないか!)。中の島公園は、滑り台はあったものの広いだけで他には潮干狩りの建物があった。この辺は潮干狩りで訪れる方が多いようです、入場料は1800円で高いのか安いのかわかりません。

※中の島公園から陸上自衛隊が見え、航空機やヘリコプターが上空を飛んでいます

来た道を市内の方に戻り、選擇寺(せんちゃくじ)に。選擇寺の本堂は、国登録有形文化財となっています。前の本堂は大正12年(1923)の関東大震災で被害を受けた。今の本堂は、昭和5年(1930)に鉄筋コンクリート造りで建築したものは屋根の垂木、斗棋などの意匠は、細部にわたって木造建築の手法を忠実に模しています。当初、屋根は瓦葺でしたが昭和62年(1987)の地震によって現在の銅板本瓦棒葺に改修されました、昭和初期の特徴が出ていると言われています。
このお寺でも「切られ与三郎」に関係する墓石がありました。 与三郎の相棒で「蝙蝠(こうもり)安」と呼ばれた。木更津の大きな鬢付け油屋「紀の国屋」の次男として生まれ、美声の持ち主で常磐津が上手く、花柳界の寵児と言われるほどの男ぶりだったそうです。夕方になるとふらふら出歩くことから蝙蝠(こうもり)安と呼ばれました。芝居の登場人物のようなゆすりを働く人柄ではなく顔の蝙蝠の刺青も実際は足に蟹の刺青があったようです。

木更津駅東側(海側)が終わりました。観光案内所の話では海側だけで終わる人もいると話てましたが、気分的には帰りたいところですが、あまり来ることもないので東側も散策。
あけぼの通りから太田山公園へ。駅から歩いていると小高い森が見えてきた台地状の地形である。日本武尊(やまとたけるのみこと)の悲恋伝説から「恋の森」と呼ばれている。鳥居崎海浜公園の「恋人の聖地」、太田山公園の「恋の森」と、木更津は恋の街なのか・・・?

標高44mで山頂に着くころにはグッタリだ。「郷土博物館 金のすず」に入館する。博物館名の「金のすず」は、市内の前方の出土品から金色に輝く直径1cm程度の鈴が見つかり古墳を金鈴塚と変更されました。博物館は、二つの重要文化財、「千葉県金鈴塚古墳出土品」と「上総掘りの用具」等を展示しています。この博物館は、千葉県の県立博物館1号で後に木更津市に移管されました。

博物館の近くに移築展示しているのが「旧安西家住宅」です。ボランティアガイドの説明では、旧草敷村より昭和57年に移築した住宅で、名主の下の組頭を務めた農家の住まいとの事。名主の家は少なからず見てきたが、組頭の家と言うのは初めてである。およそ江戸中期頃の建物で、建築当初は、土間と居住部分が分れていたのを後にくっつけた型に改築した。

この後、矢那川沿いの桜の花見をして駅へとのコースであったが、桜が散りかけていたので、そのまま駅へ直行する。約8kmで約3時間30分のコースで良いコース設定と感じるが、中の島大橋と太田山公園の上り下りで疲れました。
                         

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三郷市を散策

2022-04-06 19:42:40 | 日記

妻の病院への付き添いでJR武蔵野線の三郷駅で下車した。待ち時間の1時間程を駅の周りを散策した。
駅前に「三郷市市制50周年」の幕があった。昭和31年(1956)に東和村・彦成村・早稲田村が三郷村に、昭和39年(1964)には三郷町、そして昭和47年(1972)に市制施行した。
市名の由来は、この地域は早場米の産地として知られ、隣の吉川市と三郷市の地域を「二郷半領」と言われたことから、その「郷」と3村(彦成・早稲田・東和)の合併の「三」から三郷と名付けたと言われている。ちなみに「二郷半領」とは、二郷(吉川・彦成)と「下半領」彦成以南の地域を総称している。
三郷市は、埼玉県東南部に位置し、江戸川、中川、大場川が流れ、江戸川を挟み千葉県に接している、かつては純農村地域であったが、昭和48年(1973)の「武蔵野線三郷駅開業」、平成17年(2005)の「つくばエクスプレス三郷中央駅開業」高速道路網が整備され三郷ジャンクションができ、住宅都市化、物流施設等が集積するなど、様変わりした。あとで開業した隣の新三郷駅は、操車場跡地利用で大型ショッピングセンターの「ららぽーと新三郷」「コストコ」「IKEA」が出店し、三郷駅周辺が地盤沈下ぎみである。隣の千葉県流山市が人口増加話題になっているが、いかに鉄道網と大型ショッピングセンたーが起爆剤になっているかがわかる。
三郷市は、人口14.2万人(三郷市HP)。最近、三郷市で話題になったのが、埼玉県民に聞いた「埼玉県の住み心地が良い街ランキング」(2021年版)で1位になったことであるが、東京20k圏内で鉄道網と大型ショッピングセンターが充実しているからだろう。

前置きが長くなったが、1時間程度の待ち時間で近くのお寺にと思い、前にタウン誌に掲載された高応寺へ。
高応寺は、住宅街の中にありました。まるで箱庭のお寺のようです。入口の「高応寺(学問寺)の由来」の説明板がありました。高応寺は、今から400年ほど前に建てられた、日蓮宗の学問寺で、この寺子屋から早稲田小学校、前間小学校へと続いていきます・・・と。そのためか学業成就祈願が有名で、鬼子母神、大黒天も祀られています。現在の住職は、第27世 酒井菜法氏で、前住職は父にあたり立正大学名誉教授・文学博士、仏教学部長、カリフォルニア大学客員教授を歴任。現住職も異色の女性住職で、幼少期を米国で過ごし、臨床宗教師として緩和ケアの活動をしている。マスコミにも出演することも多く、テレビ朝日「ぶちゃけ寺」NHK「チコちゃんに叱られる!」「クローズアップ現代」等に。


境内には、ホタルが舞う小川、水琴窟、東屋、ベンチなど配置し、四季折々くつろげる境内です。高応寺内で、お寺ヨガ・書道教室・マルシェ・子ども食堂・がんカフエなど催すなど行動的なお寺です。

まだ時間があったので江戸川土手に、傾斜地一面に菜の花が咲いているが、菜の花も群生で咲いていると見応えある、都心から20kmの所に広々した心が休まる所が・・・。
これが三郷市の人気の一つかもしれません。

ここで妻からメールが入り帰ることに。

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船橋市を散策

2022-04-01 11:36:22 | 日記

船橋に現存する、商家と「船橋」の地名の由来となった海老川に架かる橋を訪ねる。
船橋駅で下車する。

船橋市は鉄道が9路線が通る、千葉県2番目の大きい都市である。人口64万人で政令指定市を除くと、全国的にも一番人口規模の大きな市である。船橋市の社会経済状況をみると、東京から20Km圏内ということで交通手段は鉄道・徒歩が多いが、自動車が2割、自転車も1割と様々な手段が利用されている。製造出荷額や年間商品販売額は増加傾向にあり、市内の産業は卸売・小売が中心となっている。道路状況をみると、人口規模割には道路整備が遅れており、幹線道路に交通が集中し、渋滞が発生し県下ワーストクラスの旅行速度となっている。道路集中量は、通勤目的の集中が県内5位、業務目的の発生集中は県内2位となっている。道路計画を有しているが、整備率は県内でも低い状況である。(船橋市役所発行の資料による)
船橋の幹線道路から脇道や住宅地の道路状況をみると整備が遅れていることは理解できる。

駅前の通りから目的の本町通りに入る。商家はこの通りに2軒現存する。古くから港町と宿場町として栄え、今なお古い商家が点在し営業している。


〇森田呉服店
 江戸時代末期、本家から分家して創業。今の建物は明治5年建築、明治の2階建て商家の様式が感じられます。店舗の入り口に数十年前の写真が飾られていましたが、店主のお話では外見は昔と変わらないとの話でした。店内はスッキリした内部で古さを感じさせない。戦前は着物の販売、現在は、浴衣、手拭い、和装小物、バッグなどを販売。戦後は、本町通りは大神宮参拝者で賑わい、夜遅くまで営業していたとのことです。

〇廣瀬直船堂
 安政年間創業の和菓子店で、現在の店舗は大正7年建築の2階建て、江戸時代にみられた出し桁造りの様式。江戸時代は、「成田街道名所せんべい」が人気、成田詣での旅人がよく立ち寄ったとのこと。大正から昭和にかけては「真中まんじゅう」を売り出し、名物の土産として販売してました。

本町通りを歩いているとビルの谷間に鳥居がありました、鳥居の石板に厳島神社とありました、説明書もないので船橋宿と同時期の江戸時代の創建なのか?名称から広島の厳島神社と繋がりがあるのか?

さらに先の奥まった所に赤い鳥居がありました。御蔵稲荷神社とありました。現在地周辺に徳川家康が船橋御殿を建て、二代秀忠、三代家光と使われてきました。一角に九日市村のの飢饉に備え穀物を蓄えておく御蔵が建てられました。この郷では飢饉にも餓死した者はいなかった。寛政3年御蔵は出水のため流失。地元民が御蔵への感謝をこめ稲荷祠を大きく建て直した。文人太宰治氏は、ひなびた御蔵稲荷を好み、その作品にも書き残し、いくつかの口絵写真でも御蔵稲荷を背景に使っている。

隣の公園にこの辺一帯が船橋御殿跡の説明書がありました。船橋御殿は、海老川西岸の標高約3mの砂州上にあり、東京ドームより広かったようです。御殿は、中世の城と同じような防御用の土塁や堀があり、軍事的な拠点の役目もあったようです。

本町通りに戻ると京成本線の高架が見えてきました、その手前の川が2級河川の「海老川」です。何人かの人が橋の上で立ち止まっている所を見ると、ここが船橋地名発祥の橋だ。近づくと橋名が「海老川橋」とある。おもわず「船橋」じゃないんだ!橋の真ん中に船首が橋から突き出ているようなオブジェや、故・泉重千代さんの手形がありました、別名「長寿の橋」と。何故、故・泉重千代さんがと思うが、長寿記録の信憑性が出ているが・・・
地名の由来は、江戸時代の「船橋」は船橋五日市、船橋九日市村、船橋海神村があり、総称した名前であるが、その由来も海老川河口に小舟を並べその上に板を敷いて橋がわりにしたことによる、当時の、海老川は川幅が広く、水量も今より多く、橋を渡すのが困難だったようです。
海老川に架かる橋は、それぞれの橋にオブジェがありました。「七福神巡り」ならぬ「海老川の橋巡り」(13橋)もいいのでは。

本町通りの突き当りに大きな鳥居があり、ここが大神宮下である。京成本線にも「大神宮下」の駅名があり、大きな神社であることがわかる。階段上がった小高いところに社殿などがある。「日本三大実録」や「延喜式」神名帳に意富比神社の名がある船橋市を代表する神社です。通称「船橋大神宮」で1900年以上の歴史を持つ古社でもあります。400年以上続く奉納相撲、神楽の奉納などの、行事がおこなわれています。境内は綺麗に整備され、雑然とし市街地の中で、ここだけが空気が違う印象です。

境内にある「灯明台」(県指定文化財)は、木造建築で高さが12m、明治13年(1880)建造の擬洋風建築で光の距離は11km、海の安全を守ってきましたが、現在の風景からは想像できません、船橋のシンボル的な存在です。

その他、訪れる予定の「東照宮」「つるや伊藤」が見つかりません。「東照宮」の神社なら誰かは知っているかと思ったが甘かった。同年代の方にお聞きしたところ、分かりにくいからと案内までしてくれ、「つるや伊藤」まで道順を教えてくれました。感謝感謝です。案内してくれた方の話では、日本一小さい「東照宮」と言われ、家康が九十九里の帰りに立ち寄った場所で、御殿のあった場所との事、現在は町会で管理し行事のときに大神宮から宮司さんが来るとのこと。

もう一つの商家「つるや伊藤」は、手ぬぐいから舞台設備まで扱う船橋の老舗商家。安政元年に創業し168年、現在の建物は江戸時代建築の平屋を大正期に2階を増築したようです。
江戸時代の染物の技法を今に伝えています。手拭い、祭り用品、山車幕、校旗、緞帳などを制作しています。

この他にも、まだまだ立ち寄りたい所もありましたが歩き疲れて帰ることに。帰り道、駅近の脇道、飲食街の場所に「道祖神社」がありました。名前からして江戸時代と思われるが、場所がら商売人のパワースポットになっているかもしれません。

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