爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

中山道桶川宿の散策と「さいたま文学館」記念講演 -2-

2024-08-23 13:41:14 | 日記

午前中の桶川中山道の散策から、午後の「さいたま文学館」の記念講演を聴きに訪れた。
会場の「さいたま文学館」は、埼玉県の施設として1997年(平成9年)に開館(管理は外郭団体)、文学に関する資料の収集、展示、調査研究や文学の振興を行っている。仕事の関係で訪れたことがあるが、20数年経ってましたがモダンで綺麗な施設です。

今回の記念講演は、「中世・近世の文学でたどる埼玉」の関連事業で、「江戸の旅と宿」と題し講師・大石学氏です。大石氏(東京学芸大学名誉教授・静岡市歴史博物館長)はTVに歴史・地理(古地図)で講師役で出演されている方です。

講師のレジメには「江戸時代の旅と文学」となっていますが、これは企画展に合わせたと思われる。

大石氏は、江戸時代が貧しい・封建的であるというイメージが変わった。
〇畿内首都から江戸東京首都へとなり、五畿七道(東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海・西海諸道)から五街道への交通インフラ再編され、「徳川の平和」と「江戸の教育力」が進んだ。250年間戦死者がない、戦国時代からの価値観が変わり、教育力が高まり力によるものでない、法律の社会となった。
・織田信長は近隣を潰しながら拡大し、豊臣秀吉は「北条」だけを潰した。豊臣秀吉の「惣無事」*1政策に続いた「徳川の平和」があった。戦争をやめると家が続く、日本のお城で今残っている城は戦争を体験してない。江戸の平和を庶民も自覚していた。
*1>豊臣秀吉が「惣無事令」を出し、大名間の私闘を禁じた。
・三浦浄心は、「慶長見聞集」で、「・・・今は国治り天下大平なれば、高きもいやしきも皆物を書きたまへり、・・・」平和になったから学ぶ事ができたと表している。
・レオン・ロッシュ(仏国公使)は、将軍家茂宛ての上書で「二百五十年の間、国内泰平にして目に干戈(カンカ)*2見ざるの洪福(コウフク)*3を保てるは、世界に聞きたる例なき所なり」250年間も戦争の無いのは外国でも例がない珍しいとしている。
*2>タテとホコの意味で武器・武力・戦争を表す
*3>大きなさいわい

泰平の世を表す川柳などが紹介された、「〇米艦渡来 名にしおふ 大阪陣の まゝなれば 錆たるつるぎ とぐよしもがな(早く研ぐ方法があればいい)」「御具足は 春と夏に 見るばかり」※虫干しで見るだけ「太平の 矢狭間は風も ぬけぬなり」「泰平の 武者は五月に 出るばかり」「泰平の 鎧は虫が うらをかき」平和ならではの川柳で面白い。

〇江戸庶民のリテラシーと旅
五街道の整備とともに、旅行ブームが到来した、①信仰 ②湯治 ③商用 ④観光 ⑤奉公などであるが、「旅行用心集」なるものが発行され参考にされた。その他にも、道中用心六十一条・木曽路勝景里数・寒国旅行心得之事・毒虫を避方・落馬したる時の方・道中所持すべき品の事・駕籠に酔ざる方・道中日記したゝめ方之事など、至れり尽くせりである。「東講商人鑑(あずまこうあきんどかがみ)」では、各地の安全な宿や店などを記したガイドブック。袂に入れ持ち歩きに便利な実用書など今と変わりがない。


〇東海道中膝栗毛と続膝栗毛について
「旅行ブーム」は、近代になって始まったわけではない。今から約300年前の江戸中期に起こった。すでに江戸前期、参勤交代制度のもと、全国約260の大名たちが江戸と国元を往復し、商品経済が発展するのと相まって、街道・宿場・港湾などの交通インフラが列島規模で整備された。江戸中期には、庶民生活が向上し、文化的関心が高まるとともに、旅行ブームが起きた。このブームを背景に、全国各地の名所案内、温泉ランキング、道中双六、浮世絵、ガイドブックなど、さまざまな出版物が刊行されブームを煽った。「旅行用心集」には、旅日記をつけることを奨励し、「道中にて名所、旧跡を尋ね、風景の能所(よきところ)、又ハ珍敷物(めずらしきもの)等見聞たるならバ、何月何日何所にて何を見ると、有りのままに書付もし、詩哥(歌)連俳等の句、心にうかミたらバ、連続せずとも其(その)趣を日記にしるし置べし、又山川の真景(けしき)を認るも、其通り見たるままをを写し置き、追而(おって)帰国の上、取立清書すべし、詩哥もつつり、絵図もよく書んとすれば、道中する邪魔になりてよく出来ぬものなり、心得あるへし」とあり江戸庶民のリテラシーの高さ、歴史・地理などへの高い関心が窺える。
こうした旅行ブームの成果の一つが、「東海道中膝栗毛」であった。「膝栗毛」とは、「馬やかごなどの乗り物に乗らないで、徒歩で旅行すること」、すなわち膝を栗毛(馬)の代わりに使うことをいう。「東海道中膝栗毛」と「膝栗毛」は25冊出版された滑稽本で、ストーリーは、江戸育ちの弥次郎兵衛が、旅役者の北八と二人で、伊勢参りをする道中記である。狂言・小咄のパロディー、ことば遊びを含む俳諧・川柳などがふんだんに加えられ「おち」もついており、旅行案内記も兼ねており、爆発的なベストセラーとなった。日本最初のプロ作家ともいわれる、一九の辞世の句も「此の世をば どりやお暇(いとま)に 線香の 煙とともに ハイ(灰)さやうなら」と、いかにも彼らしいものであった。

江戸時代は、庶民の文化・芸術が花開きました、大石先生の系統だった資料・講演により江戸庶民が250年間の平和によるリテラシーの上で成立したものであったことが理解できました。これは現在でも通じることでないでしょうか。 

【参考資料】
・さいたま文学館
・記念講演資料(大石学氏)
・ウイキペディア

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