爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

柏市の旧吉田家住宅を訪ねる

2019-12-28 13:19:29 | 日記

~3つの機能があった43代続く豪農屋敷~

柏市は、千葉県北西部(東葛地区)に位置する中核市である。千葉県内では人口5位となっている。隣接自治体は、県内7市、茨城県2市と多くの自治体と隣接している。
江戸時代は、宿場町でなかったため小さい集落であったが、発展したのは鉄道網の整備とともに人口増となった、「JR常磐線」、「東武アーバンパークライン」、「つくばエクスプレス」など、鉄道の結節点や「つくばエクスプレス」の新線による学園や企業誘致、住宅開発などにより農地等が住宅地に転用された。東京から25~35km圏内で高層マンションが林立している。
柏市の市名由来は、河岸(杭の意)場に由来するという説が有力とされている。        
※東葛地区とは、旧東葛飾郡に属した松戸・野田・柏・流山・我孫子・鎌ヶ谷・船橋・市川・浦安市をいい、支庁舎は松戸市にあった)
                                         
「つくばエックスプレス」の「柏の葉キャンパス駅」で下車する。キャンパスという名がつくとおり西側には千葉大学と東京大学の敷地が広がる。

旧吉田家住宅は、駅の東側の花野井地区にあるが分かりにくい、スマホのナビにてどうにか旧吉田家住宅らしき場所に到着る。  途中、近くにある「花野井香取神社」に立ち寄る。鎮守の森的な雰囲気の神社で佐原香取神社の支社として昔から近在から親しまれている神社である。              

重要文化財「旧吉田家住宅」をめざして行ったが、公園の中に「旧吉田家住宅」があった、名称が「旧吉田家住宅歴史公園」となっていた。この一角は平成16年(2004)に柏市に吉田家より寄贈され、平成21年(2009)に歴史公園として整備し開園した。
公園としての整備のため、ゆったり感じを受け道路からの景色が当時の景色もこうなのかと想像される。

入口は、長屋門から入るが、この長屋門立派な建て構えの門である。天保2年(1831)に造られたとされ、旧吉田家住宅の中では一番古い建造物である。長屋門は、本来、武家屋敷の門であるが吉田家は苗字帯刀を許された名主の家で、東葛地区は旧千葉一族、相馬一族の流れをくむ豪農が多い。旧吉田家の長屋門は、長さが25mで左右に米蔵がある、これは雨の日でも作業ができるようになっており、蔵の中は白の漆喰が塗られている。長屋門を抜けた先が主屋である。

-

※長屋門と現在の居住建物の前は、畑だったようです。長屋門前に置いてある三角錘(四角錐?)の石は馬を繋ぎ止める石とのことであるが門の左右に多くの三角錘の石があり来客等が多くあることがわかる。桜の時期になると長屋門前の桜が見事なそうである。

主屋は、桁行20.4m,梁間10.1mあり、渡り廊下で繋がっている主屋の右手に「書院」がある、主屋と書院は同時期の嘉永7年(1854)、主屋の奥にはやはり渡り廊下で繋がっている「新座敷」がある。新座敷はプライベートの居室として使われていた。
この建物の特徴は、吉田家の仕事に関係する。豪農としての吉田家、穀物商・江戸後期からの醤油醸造家としての吉田家、幕府の軍馬を管理する「牧士(もくし)」として士分格を与えられた吉田家。それぞれ豪農、商家、武士同格としての機能を持たせた建物となっている。

帰り、長屋門の米蔵部分を改造し休憩所兼カフェがあり、落ち着いた雰囲気でコーヒーを飲むことができる。

「旧吉田家住宅は」は、8棟が「重要文化財」に指定され、庭園が「国登録記念物」になっているため、見ごたえがある。
映画、TVなどのロケによく使われている、行った日も結婚式の前撮りの予約があるとのこと、いわゆる「インスタ映え」するのでしょう。

【その他のPhoto】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紅葉の清水公園と旧花野井家住宅

2019-12-01 10:05:40 | 日記
住まいから近い紅葉スポットを検索したら「本土寺」と「清水公園」がヒットした。本土寺については前に行ったので、今回は野田市の清水公園へ。前に野田市のキッコーマン他を訪れた時に、古民家「旧花野井家住宅」も見学したい場所だったが、コースに入れられないため積み残しとなった古民家であった。今回、紅葉と合わせて古民家見学も。

☆紅葉の清水公園
清水公園は、野田醤油(現:キッコーマン)醸造業茂木氏により明治27年(1894)聚楽圓の名で開園した民営公園である。フラワーガーデン・フィールドアスレチック(国内最大級)ポニー牧場・釣り場・キャンプ場など地域住民の安らぎの場となっている。
清水公園の中でも撮影スポットである金乗院へ、清水公園の中に金乗院があるのではなく、金乗院の敷地を借りて庭園を造園したというのが清水公園の始めである。金乗院は、創建が応永5年(1398)の古刹である。
※聚楽館
大正時代に建てられた茂木家の書院であったものを今の場所に移築。当時は、中央・地方の有力者たちの迎賓館的な役割をはたしてきましたが、現在は、一般市民の集会所として利用されています。
 

☆旧花野井家住宅(国重要文化財)
清水公園に近い、住宅街に「旧花野井家住宅」がありました。こんな所にあるのか思ってて、入口の案内書きを読むと隣の流山市より移築した古民家であった。
「旧花野井家住宅」は、代々幕府直轄の小金牧の牧士(馬の管理、捕獲、育成等)の家で、建築年代は江戸時代前期(17世紀後半)木造平屋・寄棟造・茅葺です。昭和46年(1971)に野田市に寄贈されましたが、それまで住まわれていたようです。

※旧上原家住宅 藥医門
同じ敷地内にある門ですが、旧花野井家住宅とは関係なく、これも寄贈移築したものです。昔から「甚五郎一夜造りの門」といわれ、名工・左甚五郎が日光より帰途に上原家に泊まり一夜で造り上げたと言い伝えられています。年代は、推定、江戸時代末期と思われ、藥医門の形式をよく示している門です。
 

【その他のPhoto】




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする