爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

世田谷のボロ市、郷土資料館、長谷川町子美術館を散策

2019-01-19 09:28:10 | 日記

学生時代の教官が武蔵野の歴史と風土に関わる写真集を出版し、その中で世田谷の「ボロ市」に関わることを熱く紹介していたが。なかなか行く機会がなく今日になってしまった。(開催日は、12月15・16日、1月15・16日の固定)
乗り換えの少ない方法で相互乗り入れしているスカイツリーライン・半蔵門線・東急田園都市線で「桜新町」駅で下車する。
 ※ボロ市の場所は世田谷線の「上町」が近いようである。
やっとのことで露店らしき場所に着く、「祝 ようこそボロ市へ」の横断幕があり両側に露店が並んでいる。人をかき分けるように歩くが土日の場合はどういう状況なんだろう。後ろを歩いている人が「昔とは違う」といっていたが、初めて来た私でも「そうだろうな」と思う。ボロ市の歴史は古く1578年(天正6)、北条氏政の「楽市掟書」により世田谷城下で始まった。ボロ市の名前になったのは明治時代からである。ボロ布(これからボロ市とついた)、食品、食器、生活雑貨などが売られ、現代では、古着の他に骨董品・玩具・神棚・食料品・生活雑貨・アクセサリーなどである。

ボロ市の通りから近い所に「世田谷区立郷土資料館」があり、立ち寄った。常設展示では、原始・古代、中世、近世の歴史的な出土品・史料が展示している、意外に世田谷区は遺跡が多かった。資料館の隣に「世田谷代官屋敷」が保存されているが、残念ながら修復工事中で見学が出来なかった(目的の一つでもあったが)

帰り道、曹洞宗実相院に立ち寄る。樹木・巨石が多く多宝塔、鐘楼など境内にあり、手入れが行き届いているお寺である。由緒あるお寺かと思い案内板を見ると、昔の世田谷城主である吉良氏が開基と言われている。

桜新町駅に着き、桜新町と言えば「サザエさん」・・・多少時間があるので「長谷川町子美術館」に。旧玉電通りからサザエさん通りの商店街の先にありました。サザエさんについては、初めて映画館で観たのがサザエさんであり、初めての漫画の単行本がサザエさんであった。長谷川町子氏は、昭和21年から新聞に連載し、戦後日本の平凡な一般家庭の日常を見事にほのぼのと描いてきた。日本で最初の女性漫画家と言われている。美術館は、長谷川氏が40年間この地から「サザエさん」や「意地悪ばあさん」を世に送り出してきた原画や収集してきたシャガール・東山魁夷・平山郁夫の作品も展示されている。

昔、世田谷区に1年間住んでおり、懐かしい思いもありましたが、「玉電」が地下鉄に変わり、マンションが多く建ち、50年の年月の懐かしい思いが吹き飛びました。

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増上寺・東京タワー・愛宕神社を巡る散歩

2019-01-16 17:31:47 | 日記

「退職者の会」の年明け(1月)の散策は、芝離宮庭園ー増上寺(徳川家墓所)ー東京タワーー愛宕神社と都内でも有名な寺社・観光名所である。このコースは、個人的にも一度は訪れた場所でもあるが、新たな発見もあった。
 ※前回の散策ブログも参考にして頂きたい。

浜松町より「芝離宮庭園」に向かう、都立文化財9庭園の一つであり、文化財庭園の中では一番駅から近い庭園ではないだろうか。高層ビル群に囲まれ庭園内を写真に撮ると必ず高層ビルが入る画像になる。

庭園のあと芝大神宮に向かうが、途中、ビルの1階に昇り旗があり近づくと「佛願寺」とあった、昇り旗がないと通り過ぎる。良縁祈願と水子供養等の祈願で立ち寄る方もあるようだが、本部は札幌市のようですが宗派が不明でなんとも不思議なお寺でした。

芝大神宮は、東京十社の一つで伊勢神宮の内外両宮の祭神を祀っており、「関東のお伊勢様」と呼ばれた。創建は、1005年で社名がいくつか変わって明治5年(1872)に現在の神社名となった。本殿等は、大震災・空襲により焼失し昭和22年(1947)再建、昭和39年(1964)再造営が完工した。

昼食までの時間を増上寺前の芝公園付近を散策する。芝公園は、日本で最も古い公園の一つである。明治6年(1873)に公園制度が誕生し、明治20年(1887)までに江戸時代からの花見の名所や社寺境内など全国81箇所の公園が制定された。上野の寛永寺と共に江戸の名所だった増上寺を中心とした芝公園、上野、浅草、深川、飛鳥山と共に明治6年(1873)に最初の公園として指定された。

芝公園一帯はお寺が集まっている、増上寺の子院と思われる。増上寺の向かいで芝公園ペルリ像の側にお堂らしき建物があるが塀に囲まれ中が確認できないが「常行院」とあった。同じような名前で「常照院」というお寺があった。こちらのお寺も一般の住宅のような建物である、入って直ぐに碑などがあり、お参りに来られた方が歌舞伎の市川團十郎の寄進したと伝わる手水鉢などを説明してくれた。

昼食は、幹事Mさんが、この辺は昼時は混むので「芝大門更科布屋」を予約してくれた。創業寛政3年(1791)の老舗の蕎麦屋さんで、信州では反物商で江戸にて蕎麦屋に転向し創業とのこと。

※老舗と言われる所で久々の食事です。蕎麦弁当を食しました。

昼食後、増上寺に入る。前に訪れた時は、三解脱門(三門とも呼ばれる)が工事中であったが今回は覆いもない、増上寺のこの三門だけが江戸時代初期の面影を残す。(重要文化財)
この三門、三つの煩悩である「むさぼり・いかり・おろかさ」を解脱する門である。人間、年齢を重ねても煩悩は捨てられない、解脱したいものである。

本殿脇の徳川将軍家墓所に入る、6人の将軍と正室、側室、子女多数が埋葬されているが、現在の墓所は1箇所に整然と並んでいるが、前は本堂の南・北御霊屋に分かれていた。この増上寺も上野・寛永寺と同じで徳川家の庇護を受け広大な敷地を有していた。(寺域も大半が芝公園となった)

増上寺を出て、「旧台徳院霊廟惣門」と「芝東照宮」に立ち寄る。
「旧台徳院霊廟惣門」は、モダンに整備された芝公園の敷地内にあり、何とも違和感のある光景だが惣門は重要文化財となっており、左右に安置している寄木造り仁王像は港区指定有形文化財となっている。

もう一つの「芝東照宮」は、もともと増上寺の安国殿だったが、神仏分離で家康を祀る東照宮となった。境内には大きい「イチョウ」の木が三代将軍徳川家光が植えたものと伝えられている。他の東照宮に比べると見劣りがするが四大東照宮の一つでもある。

芝東照宮の脇を抜けて梅林を通って「東京タワー」に。東京タワーに関しては我々の年代にはそれぞれ思い出のある東京タワーである。900円を支払い展望デッキへ、高層ビルが乱立し東京湾もビルとビルの間から眺めるようになった。突然、ビルの裏から黒い煙がモクモクと・・・、友人があれは火事じゃない?!と。夜のニュースでビル建設現場で火事との報道にビックリ。

東京タワーを降りて、愛宕神社へ向かうが、途中、青松寺に立ち寄る。太田道灌が1476年に開基した寺院。江戸曹洞三ヵ寺の一つと言われる大寺院である。播州赤穂藩浅野家の菩提寺だったが、本懐を遂げた赤穂浪士たちは最初この寺に立ち寄ろうとしたが、討ち入り事件に関わりを恐れ入門を断った、そのため青松寺の末寺で無名だった泉岳寺に向かったとの伝えがある。

愛宕神社の「出世の階段」は、いつ来ても馬がこんな所を駆け上がるか不思議に思う。愛宕山は、神社あり、池あり、トンネルあり、三角点あり、放送博物館ありでジオラマのようで好きな一画である。

NHK放送博物館も閉館時間まで見学し帰路に。懐かしくもあり、新しい発見もありの一日でした。

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古希の記念に観葉植物を購入

2019-01-12 14:14:21 | 日記

今月、古希を迎えました。
何か記念になる物として手間がかからない観葉植物を購入しました。退職日(再雇用)に「フイロデンドロン」という中南米で生育している観葉植物を、そして古希では「カジュマル」(高さ43cm)大木になるとのことで買い求めたが、大きくなるまで生きていられるか?・・・

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