爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

渋谷界隈の寺社めぐり

2015-10-26 20:39:38 | 日記
渋谷界隈の日帰り散歩の予定していた日が雨模様のため19日になったが、秋晴れの日で日帰り散歩にはもってこいの日であった。千代田線神宮前駅で下車、回りはモダンな建物が多く、こんな所に寺社があるのかと思うほど変貌している。明治通りに面している「長泉寺」もわかりにくかった。このお寺は、「人肌観音」で有名であるが、檀家だけの拝観で一般には公開してない、本堂裏手には200体の石仏群があるとの事で裏手に回る、墓地の入口に志乃多寿司創始者夫妻の碑があった、田舎から出てきたときなど、懐かしいのか母がよくお稲荷さんと太巻きの詰め合わせの折り詰めを買っていたのを思い出す。墓地の奥に石仏群があった。童子の石仏なのだろうか一カ所に集めた感じであり、背後は山手線が通りその傾斜を利用している、この光景は都会ならではである。

長泉寺の前の、明治通りを隔てた反対側にあるのが穏田神社である。旧穏田村の産土神で、徳川家康が本能寺の変での伊賀衆の活躍により賜った領地と言われ、この神社も格が上がったと言われている。

渋谷駅に近い、宮益坂の渋谷郵便局手前に、宮益町の氏神である「御嶽神社」がある、通りに面した歩道から階段があり、ご多分に漏れず敷地の一部が集合住宅となっている。芭蕉の句碑があり、綺麗に玉砂利がひきつめている、参加者が狛犬の話をしていたら、参拝に来ていた人が、これは狼ですと教えてくれた、狼というのは珍しい。

御嶽神社を出て、恵比寿方面に歩き、途中、豊栄稲荷神社を拝観し、渋谷区で一番古い木造建築である「金王八幡神社」に行く。「渋谷」の地名は、この一帯が「渋谷城」を築城した事に由来する、金王八幡神社は城内に創建されたが、創建当時は渋谷八幡神社と言われていた。境内にはベンチがあり、付近のOLがお弁当を広げていた、都会のオアシスである。隣にあるお寺が「東福寺」である、創建当時から「金王八幡宮」の別当寺で、明治時代の神仏分離まで八幡宮で管理していた。この寺の梵鐘は渋谷区最古である、さほど大きくはなく,こぢんまりしているが趣があるお寺である。


「日帰り散歩」では珍しい次の見学先は、「國學院大學博物館」である。途中、幹事のMさんが「志賀直哉」の旧居がこの辺にあるとの事で探す。「学生」や地域の人に聞いてもなかなか分からない、学校で教えてもらわなかったのかなとの話にもなる。一回りしてもそれらしき住居がなく、あきらめて博物館に向かおうとして最後に聞いた人が隣のマンションに住んでいる方で、2年ほど前には親族の方(お孫さん?)が住まわれていたが転居されマンションになったとの事、一同、もやもやした気持ちを納得させ博物館に。
國學院大學博物館では、江戸時代に人気のあった「唐詩選」の展示が開催中であった。國學院大學と言うと、神道・神職養成のイメージがあり、博物館はそれに関わる展示物が多いと思っていたが、考古学の陳列品が充実していた。これは、同大学教授の故樋口清之氏の功績が大きいようだ。神社に関わるコーナーから見学した、神社建築様式が表記されていた、類型は、色々あるようだが・神明造・大社造・住吉造・流造・春日造・八幡造に分類されていたが、いままで建築様式まで見てなかった。学徒出陣の展示品、考古学展示品を見始めた所でMさんから{そろそろ」との声が、時間の関係で全部見学できなかったのは残念。
大学の隣に神社があるが、この辺一帯の総鎮守である「渋谷氷川神社」である。創建は、古く日本武尊の時代までさかのぼるようである、江戸時代には参道横にある土俵で「金王相撲」と言って江戸中の町から見物人が集まったと言われていた。東隣にある寶泉寺は、氷川神社の別当寺にあたる。

幹事のMさんが、最初、道を間違えるかもしれないと言っていたが、渋谷は、新宿、池袋とともに3大副都心となっているが、渋谷だけがここ数年再開発が進んでいる。しかし、まだまだ歴史を感じさせる散歩であった。

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鎌倉散策 Part3

2015-10-06 13:41:37 | 日記
10月3日「どじょうの会」の仲間と久々の散策。鎌倉は「退職者の会」で2回散策したが、前回の「どじょうの会」で次回の行くところが話題になり、鎌倉の話が出て結局行く事になった。
11時に北鎌倉駅に集合、メンバーは、退職者3人、現職5人の8人である。それぞれが現在はバラバラで、新しい環境で活躍?している。
昼食を12時半に予約しているとの事、午前中にお寺二つぐらい参拝出来るので早速、一番近い円覚寺に。4・5日前の朝日新聞別刷りに夏目漱石の「門」の禅寺になったお寺と紹介され、新聞には雨に包まれた山門が掲載されていたが、写真に表現されていた静けさはなかった。3日は、「開山忌」で和服 姿の女性が多く、増して賑わっていました。円覚寺は、鎌倉五山の二位の位置にある、北条時宗が文永・弘安の役での日本と蒙古の両軍の戦死者の菩提を弔うために建立された、北条氏の庇護を受けた禅寺である。境内には多くの国宝などの文化財があり一つ一つに歴史があるため、歴史好きには見所が多い。

円覚寺を出て沿線沿いに歩くと明月院がある。、紫陽花寺と言えば明月院と言われるくらい有名なお寺であるが、第2次大戦後に手間のかからない花だから植えたのが増えたと言われ、何とも現実的な話である。紫陽花の時期でないため観光客もさほど多くない。土壌が酸性かアルカリ性かで色が変わるようだが、明月院は、酸性土壌で青が発色するのであろうか、明月院の紫陽花は、「明月院ブルー」と言われ、その紫陽花を見られないのは残念、明月院は、元々、禅輿寺の庵として建てられたが、本体の禅輿寺は住職が不在となり明治初年に廃寺となり、明月院として残ったという曰くのあるお寺でもある。

明月院を出る頃には予約している昼食の時間である、前回の鎌倉散策で昼食をとった「鉢の木」での食事である。この店、店名が気になっていたが、店のチラシによれば、北条時頼が大雪の遭い、通りがかった家に宿を乞い、貧しい生活ながらも、大切な鉢の木を焚いてもてなしたという古事から北条時頼の建立した「建長寺」の門前に古事にちなんで屋号「鉢の木」(本店)として創業した。案内をされたのが和室の建てものであった。早速、ご当地「鎌倉ビール」で乾杯、思い出話に華が咲くが、今日、参加したkさんとSさんがゴールインというおめでたい話も、また、5月に隠岐の島に転居したFさんの優雅な生活も聞かされ、こうした話が出来ると良いのだが・・・

食事後は、八幡宮をお参りし鎌倉駅に向かう、途中、若人には昼食が物足りないだろうという事でパスタ・ピザでまた一杯やって鎌倉駅より帰路に。

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