爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

コスモスの写真を撮る

2018-10-30 22:50:22 | 日記

県境の方にコスモスが咲いている所があるとの情報でカメラを持って行く。市民農園に近づくと用水路の所にコスモスが咲いていたが、先週「コスモスまつり」をおこなった所はもう少し東らしいがここでもカメラ初心者の小生では十分である。
この辺ではコスモスも終わりなのか来月そうそうには刈り取るらしい。コスモスは熱帯アメリカ原産で日本には明治12年に渡来したようだ。日当たりと水はけが良ければやせた土地でも生育し景観植物として植えられるようだ。

帰り「野焼き」をしている夫婦おりました。この時期、農家は稲刈りが終わりホットするひとときでもある。
季節は晩秋に入る・・・

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講演 「本郷和人が日本の歴史も紐解く」第1回 荘園とはなにか

2018-10-15 21:56:53 | 日記

 東京大学資料編纂所 本郷和人教授の表題による講演が東武鉄道博物館ホールであった。

中学校、高校で「荘園」という事は教わったが、その仕組みは忘却の彼方である。教授も荘園制と政党の変遷を分かりやすく教えられれば歴史教師のプロとのことである。それだけ荘園制を理解するのは難しいらしい。これでは私の理解力不足の頭では無理か・・・
荘園は、歴史の流れの中で出来事を教えてもらった感じをうけたが、教授は、荘園を所有権を中心に荘園の発生・衰退をまとめられたと感じた。
時代の流れ中心の横軸に、出来事という縦軸を掘り下げることが大切ですね。理解が深まる感じを受けました。
公地公民制の中で開墾した土地の私有が始まり。荘園が広まるなかで免税や略奪から逃れる寄進型の荘園が出るが支配権が脆弱で解体の道を進む。確固たる所有権を保証することがなく、また、税も取れるところから取るということでは制度としては続かなかった。
最後に、「所有とは自由」と話されたが、古代も現在も所有物を自由に使用・収益・処分できることが必要なのだろう。
久々の歴史の勉強で教授の講演の半分も理解が出来ず、まとめる事ができないためお許しを。

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本郷給水所公苑を散策

2018-10-14 09:40:24 | 日記

東京都水道歴史館講座の開始時間にはまだ早いので隣の「本郷給水所公苑」を散策する。この時期、散策といっても寂しい感じがする。洋風庭園にはバラが少し咲いていたが、もう終わりなのだろう。
バラは、さまざまな仕立て方ができるようです、バラ園ではベット仕立てのつるバラがありました。バラの名前は女性の名前を付けられことが多いようです、恋人やあこがれで名付けるのでしょうか。それにしても一口にバラといってもいろんな種類があるんですね・・・

公苑の管理計画表には選定が終わり施肥も追肥の時期となっています。やはりバラの見ごろは5月~6月かな・・・

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江戸上水入門講座「上水を描く 樋線図」

2018-10-13 20:12:48 | 日記

樋線図という言葉は初めて聞く。江戸時代の水道管の配線図の事を言うそうで、「樋」は、「トイ」、「ヒ」と読みこの一字で「水を導き送る長い管」を意味し。水の出口の戸や水門という意味もある。
樋線図は、玉川上水開削から140年後に江戸上水の幕府公式記録(神田・玉川上水の建設記録)としてまとめられており、「上水記」として現在、東京都水道局の「東京都水道歴史館」に保存されている。この上水記の多くが樋線図で大判のものから地域ごとに分けた切絵図タイプのもの、特定の区域を描いたものや屋敷内の配管など・・・
樋線図は、地図とは異なり上水の管理に利用されたもので、内部資料的なもので多くは手書きで墨書のものの他、彩色されたものもある。
書式は、経路の違い配管構造(石樋、木樋、石枡、出枡、埋枡など)の違いなど、色分けしつつ描いてます。

東京は、江戸時代から世界有数の大都市であり、そのための都市整備に上下水の整備がかせない。いかに江戸幕府が上水にかかわる土木工事に力を注いできたかわかる。

※毎年、上水記展をおこなっているようです。今年は上記の日程です。

東京都は、東京近代水道120年とのことであるが。江戸時代からの上水も水質悪化のため浄水の必要にせまられ「淀橋浄水場」など着工した、これが東京都における近代化の始めである。しかし関東大震災後の都市整備が新宿にも及び昭和40年には閉鎖された。
※水道の近代化は横浜市が日本では最初のようです。

※画像すべてが東京都水道歴史館に展示・掲示されているものです。

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