爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

森永卓郎教授の講演会

2014-07-31 21:50:26 | 日記
獨協大学教授森永氏の「アベノミクス 第三の矢と集団的自衛権」の講演会が昨日あった、いまTVで売れっ子の教授である、興味津々、獨協大学へ。大学とは縁がない年齢であるが、大学の門をくぐるのは10年ほど前に東洋大学のシンポジウムに参加して以来であるが、私が大学へ行っていた頃とは施設など雲泥の差であり、今の学生は幸せである。
 講演の内容は、学生時代に経済や政治学を学んでこなかった私にとって、政治と経済の関係や現在までの状況を聞くのはあまりなく、森永教授の話は新鮮であり、TVを見ているような感じである。政治と経済が密接に係わりあう事から、人に優しい政治、すべての人が潤う経済政策を目指し、今後、多面的な思考をしなければと感じた。

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鎌倉の「日帰り散歩」

2014-07-29 16:29:12 | 日記
7月の日帰り散歩は鎌倉であった。私にとって鎌倉は縁がなく、若い頃に研修で鎌倉保養所に行った記憶があるが「観光」では回った事がない。よくTVで鎌倉の旅番組があるのでついつい行った気になってしまう。「退職者の会」も鎌倉は3回目の企画との事でるが、3回ともコースが違い、同じ所は無いと、企画したMさんが話していたが、今回のコースは、それぞれ観光客が少なく、それなりに良いコースであった。
集合時間が1時間ほど早めで、半蔵門線の「錦糸町」駅で乗り換えて鎌倉に行ける、相互乗り入れは便利である。10時頃に鎌倉駅に着いたが駅や駅前はごった返している。混んでいる左手の「鶴岡八幡宮」とは逆に「大巧寺」へ、Mさんがこのお寺は皆さんには関係の無い「安産祈願」との説明に笑いが・・・このお寺、別名「おんめさま」と呼ばれ、安産祈願のお寺として知られている、「お産女様」が訛ったとされ、昔、難産で死んだ女の霊を成仏させると伝えられている。

次の本覚寺は、鎌倉幕府の裏鬼門にあたる方向の鎮守として建てたとされ、日蓮が辻説法の拠点と伝えられている。日蓮宗の本山で、境内は四季折々の花が植えられている、お正月には「初えびす」で賑わうお寺である。

妙本寺は、鎌倉時代に隆盛を誇った比企一族の屋敷があった所で、もともと比企一族は、埼玉県に比企郡があるが、その一帯を統治していた、その後、源頼朝に仕えた御家人である。比企

一族は、北条氏との対立で敗れ、いま妙本寺に祀られている。
安養院の行く手前に、常栄寺がある。このお寺、別名の「ぼたもち寺」の方が有名なようである。日蓮が処刑場に護送される途中、「尼」が「ぼた餅」を捧げたという言い伝えから呼ばれている。その後、日蓮が奇跡的に処刑を免れたことから「頸つぎのぼた餅」という逸話が生まれた。

安養院の向かいにあるのが上行寺で鎌倉のお寺の中でも小さいお寺であろう、瘡守稲荷や身代わり鬼子母神が祀られ、癌封じなど病気の回復にご利益があるとの事で、これでもかという大きな字で「癌封じ」などと表示してある。また、入り口には左甚五郎の龍の彫刻が飾られている。

安養院は、3つのお寺が統合されできたお寺で、北条政子の法号からとられたもので、源頼朝と北条政子が祀られている、入り口の「ツツジ」は立派で5月頃には見事に咲かせる。

今回の散歩の中で素晴らしいと思ったのが「妙法寺」である、仁王門から釈迦堂跡に続く石段が苔に覆われている。別名「苔寺」と言われているが、苔の保護のため石段は利用出来ないが脇に階段があり、何かしら静寂と幻想が伝わる、手が行き届かない面が感じられるが、自然のままが良い面もある。


次のお寺が「安国論寺」であるが、門が閉じられお休みであった、日蓮が「立正安国論」を執筆した岩穴に建てられたお寺との事で残念であった。さらに次のお寺を目指し横須賀線を渡り長勝寺に向かう、山門を入り参道を歩くと本堂の前に像が5体、一つは高村行雲作の日蓮聖人、その周りに四天王の「持国天」「増長天」「広目天」「毘沙門天」が護るように立っています。銅像の脇には水行を行う場所があり、 2月11日に千葉の法華経寺で百日間の荒行を終えた僧が寒中に修行の仕上げをする場所となってます。もう一つ有名なのが、Mさんの案内ハガキに書いてあった赤木圭一郎の胸像である、和製ジェームス・ディーンと言われ、参加者の年代では知らない人はいませんでした。

 梅雨明けの蒸し暑さで、歩数計を見る者、後何箇所行くか聞く者、喫茶店を探す者など、この蒸し暑さで皆の口数が少なく、やっと来迎寺へ。

このお寺は、源頼朝が三浦大介義明の菩提を弔うため建立したてらである、三浦一族は、三浦半島を本領とした豪族で総師で89歳で討ち死にした。来迎寺を出て南に歩くと五所神社がある、5つの神社が一緒になったため名づけられた、鎌倉材木座の守り神で、毎年、6月第2日曜日のお祭りでは御輿が繰り出し海に入ります。境内には、庚申塔・摩利支天がある、摩利支天の像は何とも言えない形をしている、また、神社でありながらキリスト教の十字架が・・・。

五所神社の隣にあたるのが実相寺である。日蓮が流罪の間、弟子がこのお寺を拠点に日蓮宗を支えた。また、この地は、日本三大仇討ちで有名な「曾我兄弟の仇討ち」において討たれた、鎌倉時代の武将「工藤祐経」の屋敷跡との事である。

さらに海岸に向かうと九品寺がある、新田義貞が鎌倉幕府滅亡後に北条方で亡くなった者の菩提を弔うために開山したお寺である。

最後は、磯の香り漂う海水浴客で賑わう材木座海岸前の光明寺である、このお寺は浄土宗の関東大本山で堂々たる山門に圧倒される、大きさもさることながら木組み飾りが素晴らしい。今回の散歩コースの中では一番大きいお寺である。広い境内は、一部、海水浴客の駐車場に利用されていた。本堂は、国指定の重要文化財で本堂に入り左手に蓮池、本堂裏を回ると右手に石庭がある「三尊五祖の庭」と表記されおり、三尊とは「阿弥陀如来」「観音」「勢至両菩薩」の仏様で、五祖はお釈迦様など念仏を広めた五人の高僧との事である。

帰りは、材木座海岸に立ち寄る、鎌倉の中央を流れる滑川を境に西側が由比ヶ浜、東側が材木座海岸である、夏の海水浴を見るのは何十年ぶりであろうか。若いカップルが多く、家族連れが見あたらなかった、広い海辺いろいろな楽しい光景を見られる場所になると良いが・・・

 今回、多くのお寺を回ったが後ろが崖という寺が多かった、参加者皆が崩れそうだ!と・・・

これは現在の鎌倉を位置づけた地形にある、東・北・西の三方を山に囲まれ、南は相模湾に面し、天然の要害である。鎌倉幕府の初代将軍源頼朝がここを拠点としたのは父祖ゆかりの土地であり、また、地形上の条件による所が大きかった。鎌倉に入るには「鎌倉七口」と呼ばれる山を切り開いた切通しを通らなければならないため、戦術的に防御しやすい土地柄であった。

東京から近い鎌倉は、多くの方が訪れるが、今回の散歩は人混みがなくのんびりと散策できた。自宅からの歩数は16000歩であった。

~鎌倉には、こんな風景もありました~

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「退職者の会」役員会

2014-07-26 08:15:25 | 日記
2回目の役員会が行われた、女性陣は家庭や趣味で欠席で男性だけの会議であった、何かしら女性の「たくましさ」を感じさせられる。会議と言っても退職者への手紙の発送業務が中心であるが、退職後に組合の専従をしているKさんより組合からの連絡・依頼事項の説明や私から会費の集金状況の説明を配布書類の袋詰めである。内容的には昔の執行委員と変わらない状況であるが、労組の執行委員に比べると気が楽な面がある。会議もそこそこ(語弊があるが)にお楽しみの飲み会が・・・会議より飲み会の時間が長くなるのは当然でり、気が楽な分話が盛り上がる、サラリマン時代の飲み会よりGoodである。
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退職を祝う会

2014-07-02 17:19:54 | 日記
 私が再雇用の終了時の上司が退職、ホテルにて「祝う会」が催された。当日は、お日柄が良いのか結婚式が数組入っていた。上司とは3年間一緒で、ご主人とも2年間他の職場で一緒であったため義理人情の世界?で出席した、女性が管理職として働くには苦労もあったであろう。
 私の母が努めていた頃は、「職業婦人」と言われ珍しい時代であり、妻は「男女雇用均等法」施工以前の就職で、仕事も男性のアシスタント的であったと話していた、法的な整備がされたのは古い話ではないが、現在でも女性が働くことは厳しい環境である。

上司は、定年の年ではないが、母親の介護のためらしいが、現在、落ち着いているため、いろいろな役を引き受けているようである。女性は趣味やら目的意識がはっきりしている方が多い。私の現在の状況など、とても言える状況ではない。こういう誘いも少なくなりだんだん仕事・職場から遠ざかる・・・
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