爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

銀座の神社と銀座楼蘭のランチを楽しむ散歩

2024-03-22 16:08:24 | 日記

3月の「退職者の会・日帰り散歩サークル」の企画は、銀座の小さな神社や史跡を巡り、昼は新装になった銀座楼蘭のランチを楽しむということになりました。
「退職者の会」の銀座巡りは、10年ぶりとなりました。10年前にブログにUPした「銀座の神社巡りと浜離宮」(2014・02・28)も参考にしてください。

歌舞伎稲荷神社
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宝珠稲荷神社
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三吉橋
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安平神社
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朝日稲荷神社
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奥野ビル
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龍光不動尊(松屋銀座店)
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銀座出世地蔵尊(三越銀座店)
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昼食・銀座楼蘭
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豊岩稲荷神社

☆歌舞伎稲荷神社
10年前と同じ地下鉄日比谷線・東銀座駅で下車、歌舞伎座の出口で地上へ、歌舞伎座の角に祠がありました。「歌舞伎稲荷」は、近隣の安寧や歌舞伎興行の大入り、安全、お客様や舞台関係者の平穏無事を祈願し祀られている。初日と千穐楽(せんしゅうらく)*1に「奉告祭」、例年二月に「午祭り」*2や、秋には「安全祈願祭」などを執り行い、興行や劇場の無事安全、此地や近隣の平穏安寧を関係者一同で祈願している。
*1 江戸時代の芝居小屋は、木造だったためよく火事で焼失してしまい、建て直すまで芝居ができなくなるため、「秋」の字の「火」をきらって「穐」という字を使ったのです
*2 稲荷社の祭の日である2月の初午をいう。

☆宝珠稲荷神社
1615年に屋敷神として家内安全、火除けの神として祀られたことに始まる。明治維新後に地元の木挽町3丁目氏子に寄進され現在にいたっている。

☆三吉橋
ここまで来ると近い駅が地下鉄「新富町駅」で、橋を渡ると中央区役所がある。デザインが古そうな橋で、「三吉橋」とある。関東大震災の復興事業の一環として、1929年(S4)に架橋されている。当時ここには築地川が流れ、川筋を荷を運ぶ船や屋形船が行き交い、川を中心に人々の生活が営まれる情緒ある風景があった。高度成長になると川が埋め立て*3られ高速道路が通り、今では陸橋となっている。三吉橋の特徴は、「Y字型の三又橋」で橋の袂からでは気がつかなかったが、築地川の水路の関係で橋の中央付近から左右に分かれている。
*3  1962年(S37)交通量の増大、オリンピックなどで埋め立てられたが。車の騒音問題が発生した。高速道路に今では錆びた屋根のようなものが懸かっているが、防音壁で対応している。
三吉橋は、小説にもなった橋です。三島由紀夫の作品では珍しく花柳界を扱った短編小説「橋づくし」(1956年発表)。中秋の名月の夜、家を出て七つの橋を渡り切るまで口を利かずにいられたら、望みがかなうと、願を掛ける4人の女性の物語。舞台は、東京都中央区の銀座・築地の橋でl、三吉橋が最初に出てくる。

☆安平神社
この神社も江戸時代の屋敷神から料亭に所有が移り、最終的には料亭がマンション・銀座タワーとなり神社が片隅に取り残されました。神社の詳細に関しては不明のようです。

☆朝日稲荷神社
前回のブログも参照してください。大変珍しい神社です。
手水に、なんで虫がいるのだろうと思っていたら、ミツバチとの事。近所のビルの屋上で飼育していて手水の水を飲んでいるようです。2006年から銀座周辺で働く有志で「銀座ミツバチプロジェクト」を結成しビルの屋上でミツバチを飼う活動をしていて販売もしています。

☆奥野ビル
昭和初期のビルがありました。銀座空襲で「鳩居堂」「教文館」「泰明国民学校」などに被害があったなか、90年以上の時を刻み、今なお愛されるアパートメント建築。外観をはじめ、エレベータ^や階段など、アパート建築の特徴が良く残されいます。建築当初から希少であった銀座の集合建築がほぼ唯一残る、現存建物として貴重である。多くのアーティストが建物を愛し、今もアトリエやギャラリーに活用されています。1932年(S7)に本館、1934年(S9)に新館が建てられましたが、本館と新館は左右対称となっています。建設当初は6階建てでしたが、何度かリノベーションをし現在は地下1階~7階建てとなっています。設計は、関東大震災復興期の先進的な集合住宅の建設で有名な「同潤会」の建設部長・川元良一氏が設計しました。当時は、民間の建築物で初めてエレベーターを設置するビルで共同浴場、洗濯場を備えている。
※エレベーターは、我々の年代では懐かしい手動式です。今はドアの開け閉めのみ手動で、運転は自動となっています。
大変趣のある有名な建物でドラマなどの撮影に良く用いられるようです。今では外国に見られる古い建物ようです。

☆龍光不動尊(松屋銀座店屋上)
前回のブログを参照してください。

☆銀座出世地蔵尊(三越銀座店屋上)
三越銀座店の屋上には、立身出世、開運に御利益がある出世地蔵尊と三井家の守護神である三囲神社が祀られている。

☆昼食・「銀座楼蘭」   
新装となった「銀座楼蘭」での会食となった。いつもグループの昼食場所に苦労している幹事Mさんに予約していただき豪華個室でのランチとなった。参加者皆、ランチに満足して、こうした企画をもっとと好評。     
アルコールも入りゆったりしたせいか、豊岩稲荷神社で帰ることに。

☆豊岩稲荷神社
この神社も前回のブログを参照して頂きたいが、この神社は特に縁結び御利益があると全国から訪れるそうです。現在では、商売繁盛、入試・入社試験の合格祈願も縁結びだと多くの参拝者が。

日本の神社の数は、8万8千社以上あるといわれている、神社は日本で最も多い宗教的文化建築物の一つとなっています。今なお発展・進化する銀座に神社やお寺のイメージがないが、以外に小さい神社が存在する。私が銀座ならではの神社で、珍しく訪れてはと思う神社は「朝日稲荷神社」と「豊岩稲荷神社」である。都市開発計画のなかでも片隅に存在し住民の心の支えとなっている。

【参考資料】
・ウイキペディア
・歌舞伎座
・中央区役所
・銀座なび
・TokyoBridge Walk
・東京新聞
・Trabel Book
・神社人

《その他のPhoto》

 

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旧安田楠雄邸庭園と千駄木周辺の散策

2024-03-05 14:01:02 | 日記

千駄木の高台エリアには森鴎外の旧居跡などがあるが、その周辺には「旧安田楠雄邸庭園」や「島薗邸」など大正・昭和初期の邸宅が残っているとのことで、最寄り駅である地下鉄千代田線「千駄木駅」で下車する。
地上に出ると目の前に「団子坂下」とあり、団子坂を上がって行ったところ、前に訪れたことがある山岡鉄舟ゆかりの寺「全生庵」があり再度訪れたが、途中、坂名案内表示に「三崎坂(さんさきざか」とあり、、逆に来てしまったことに気が付き戻る。
なお、「三崎坂」の由来は、諸説あるが、駒込、田端、谷中の三つの高台にちなむとあった。
※前回、訪れた谷根千については、『「谷根千」界隈の散策  2014.11.17』を参考に。

千駄木駅にもどり反対側の坂道を上がる、坂を上がったところに団子坂上の表示があり、右手に行く。

やっとのことで「島薗邸」に到着。「島薗邸」は、現在、定期的な公開はしてないようで公開日についてはインスタグラムを見てほしいとのことでした、外観だけ写真を撮り「旧安田楠雄邸庭園」に行く。

§島薗家住宅§
生化学者の島薗順雄氏が結婚を機にドイツ建築に造詣の深い建築家・矢部又吉に依頼し建築しました。内部を拝見できないのが残念です。設計・矢部又吉 竣工・1932年(昭和7)

§旧安田楠雄邸庭園§
立派な門を通り玄関へ大邸宅なのがわかる。この建物、旧安田邸となっているが、元々は豊島園の創業者である藤川好三郎が木造2階建てを建設、その後旧安田財閥の創始者の女婿安田善四郎が買取り、長男の安田楠雄が1995年に他界するまで大切に継がれてきました。応接間に隣接しているサンルームが特徴で、奥の和室に向かう廊下にも庭を愛でるための大きなガラス戸が続き、2階にも格式ある書院造りの客間があり、四季折々の美しい景色が眼前にせまり、各部屋から楽しめるよう建築されています。設計・清水組(現・清水建設)竣工・1919年(大正8) 大震災・空襲を潜り抜けた貴重な建築である。


      
①玄関
この家の当主と格の高い客が使用する正玄関。大きな沓脱石に板敷きの式台、格天井など格式のある造りになっている。玄関の右手には、昭和初期に普及したダイヤル式電話が残る。

②-A応接間
造作材や家具にクルミ材を用い邸内唯一の洋間。
壁のクロス・カーテンは創建当初のもの。家具や暖炉まわりの柱には動物のレリーフが彫られている。蓄音機は大正12年(1923)製造のビクトローラ製で、ピアノは昭和5年頃のヤマハ製。

②-Bサンルーム
ガラス戸を巡らせた明るい室内から奥行きのある主庭と中央党を望むことができる。床はパズルのようなはめ込み式のゴムタイル貼り。(復原)

③-A残月の間
一間四方(約1.8mX1.8m)の床の間と書院が備えされた客間。床の間に合わせ誂えられた安田家の節句飾りは日本橋にあった三代目・永徳齊の作品。座敷から見る主庭は、石の滝組と池を枯山水で表している。

③-B広縁
木目の美しい杉の化粧天井で、一部は網代が使われている畳をあげると地下へ続く階段があり地下へ続く階段があり、防空壕へとつながる。防空壕は、天井がコンクリート壁は大谷石積み。

④茶の間
家族のための部屋で床の間の意匠など格式ばらない造り、深い庇と濡れ縁がまわり、猫間障子と呼ぶ戸の小窓からも座敷とはまた違う角度で庭を望める。押し入れの中は水屋が造られ、天袋の桐の引き戸には墨絵が描かれている。

⑤台所
天窓がある明るい台所は、当初土間だったが昭和4年に床を張り、当時、最先端のキッチンに改造された。配電盤下の配膳棚は使用しない時はたたむことができる。レンガ壁で囲まれた一角はガスボイラー置き場で浴室へ給湯していた。

⑥化粧室・浴室
脱衣所を兼ねた化粧室には髪を洗うための流しが設けられている(現在は蛇口無し)浴室壁にはシャワーが取り付けられ、浴槽は小さく作り替えられている。無双窓や天井の換気口から湯気を抜く工夫がされている。

⑦二階予備室
床の間は天井際に板を渡し竹釘を打った略式の「綾部床」。庭側は雪見障子で庭を見下ろすことができる、押入れの襖は松原の模様が雲母の粉で型押しされている。

⑧二階客間・次の間
書院造の最も格式の高い座敷。一間半の床の間右に違い棚、左に出書院がある。縁側からは庭のしだれ桜を間近に望むことができる。二階の畳の藳床は創建当初のもので、高度の手縫いの技法で作られている。

庭園と建物の好配置や大正浪漫を感じさせる和洋折衷の内部、調度品を含め、保存状態が良く四季折々に風情を感じられます。他の季節にも訪れてみたくなります。

帰りに駅に向かっていると変わった建物で駒込大観音というお寺がありました。
 
§駒込大観音§
正式名称は、浄土宗・光源寺で元々は神田にあったお寺で1648年(慶安元年)に移転した。1589年(天正17)の開基し、「江戸名所図会」にも描かれているお寺です。変わった建物というのは、十一面観音像が安置している建物でした。現在の観音像は二代目で初代は戦災で焼失し48年後の1993年(平成5)に再建されたものです。


【参考資料】
・ウイキペディア
・旧安田楠雄邸庭園
・公益財団法人日本ナショナルトラッスト(JNT)、たてもの応援団
・「山手線の名建築散歩」和田菜穂子著 発行:エクスナレッジ
・文京区立真砂図書館


《その他のPhoto》

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