爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

「退職者の会」(日帰り散歩)の初詣

2016-01-26 19:30:02 | 日記
今年初めの日帰り散歩は、初詣もかねて佐野市を散策。東武線越谷駅に集合し、久喜駅・館林駅と乗り換えて佐野市駅に到着、昨日の大雪が嘘のようでこちらの方は雪があまり降らなかったのか北関東で珍しい。佐野市は人口約12万人、近年、「佐野ラーメン」と「アウトレットモール」で有名。駅から地図を片手に「佐野厄除け大師」を目指して歩くがこの道でいいのか不安になるが、大きな案内板が見えてくる。手前に「観音寺」というお寺があり立ち寄る、幹事のMさんの配布資料によると江戸時代初期の「銅造阿弥陀如来座像」が境内にあり拝観した。佐野は平安時代から続く鋳物の町であった。

観音寺を出て、少し歩くと「惣宗寺」に着く、惣宗寺と言ってもわからない別称「佐野厄除け大師」である。年末にあれだけ「佐野厄除け大師」とTVコマーシャルを流されると知らない人はいないだろう。天台宗の寺院で青柳大師(前橋市)、川越大師(川越市)と共に関東三大師と言われている。19日でも観光バスが停車し、境内には屋台が出て、TVでの宣伝は絶大である、いまだに多くの方が受付を済ませ本堂で厄払いをしていた。この年になると厄年もなく毎年が厄年であり、流れに身をまかせるしかない。本堂の方に進むと「田中正造」の墓石があった、日本初の公害事件である足尾銅山鉱毒を告発し、生涯を公害のために闘い続けた「田中正造」の墓石がここに祀られているとは思わなかった。



厄除け大師を出て秋山川河岸の「涅槃寺」に立ち寄り、大師前の「佐野市観光物産会館」にて情報収集と買い物を。お土産に「佐野ラーメン」と思ったが種類が多すぎてラーメンをやめて、配布された資料にのっていた「ナカダパン」を買い求める、ズッシリとした重さで桜の葉が入っている「桜あんぱん」は香りと上品な甘さが美味である。

昼近くなり佐野に来たからにはラーメンを食べずに帰れないと、物産会館に近い「赤見屋支店」に入る、店内は色紙が飾られている。佐野ラーメンの特徴は、醤油味のさっぱり系で相当さっぱりしている、多くのラーメン店の店先に「青竹打ち」の、のぼり旗があり佐野ラーメンの特徴でもある太い青竹を使って麺を打つ手法で作られ平たい麺である。

食事後は、熊野神社・妙音寺を回り「星宮神社」へ、星宮神社へは例幣使街道を北上、佐野市はこの街道の宿場町(天明宿)で古い商家が見られる、「見世蔵造り」、「うだつ」「屋根付き看板」「看板建築」などが残り、歴史ある街道であったことを醸し出している。



「星宮神社」は、例幣使街道を左に入った所にある、かつては天明宿の氏神で旧佐野町と合併後は佐野町の氏神となった、境内には、大きい鳥居と灯籠が目立つ、天明鋳物できており見事な物である。社が北斗七星に並んでいるそうで、まさしく星のつく神社である。

星宮神社を出て徳雲寺の「赤門」を目指す、途中、古くより火防の不動尊として崇拝されている「荒澤不動尊」に立ち寄る、徳雲寺は例幣使街道の一本南側の道の突き当たりにある、よく、お寺の門で赤色は格式があると聞いたが、古い門で釘隠が付いている。入ってすぐに碑が建っているが、無縁の墓石なのだろうか墓石を横に積み重ねている、珍しい碑である。本堂には小鳥のケージが多くあったが住職の趣味だろうか、本堂より小鳥の方に目がいってしまう。

徳雲寺を出て参加者、風の冷たさのためか喫茶店を探すようになる、近年、地方都市で喫茶店を見つけるのは難しい。これ以上先に行っても無いだろうなという所に洋風建築の「影澤外科院」跡があった。明治44年(1911)竣工され一部増築されたが現在なお日本クリケット協会が使用している。「K・S」のイニシャルがデザイン化されマークとして表示され、建築の洋風化から細部の洋風化など、されに進んでいる洋風建築である。

喫茶店は、佐野駅に向かいながらも探したが見あたらないため、そのまま電車に乗車し帰ることになった。天気は良かったが、やはり山から吹き降りる風なのか、この辺はが冷たい。


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コメント
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昔、立会演説会ってあったよね・・・

2016-01-17 18:00:48 | 日記
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