爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

表参道駅~六本木駅 散策

2017-09-28 13:12:06 | 日記

久々の退職者の会「日帰り散歩」である。案内のハガキには、都内で全国の有名な寺院を巡るとあった、考えてみれば1日でお参りできるという贅沢な散策である。
降りた駅が地下鉄半蔵門線表参道駅、地上に出るとここは「青山」である、建物や歩行者がチョット違う「青山」である。この「青山」と言う地名は、美濃郡上藩主青山家の大名屋敷があったことから地名がついた。屋敷は相当広かったようである。
善光寺に向かう途中の秋葉神社に立ち寄る、1827年創建でかつては善光寺境内にあったようだが明治時代の神仏分離によりこの地に、祭神は「稲荷大神」「秋葉大神」「御嶽大神」が祀られています。モダンな街「青山」に似合わないこぢんまりした神社である。
善光寺は、その名の通り信州善光寺の別院である。1601年に徳川家が谷中に置かれたが、火災により当地に移った。信州の善光寺は「牛にひかれて善光寺詣り」と言われるが、ここの善光寺は、青山が野菜を馬の背に積んでの往来が多いことから「青山は馬にひかれる善光寺」と川柳に詠まれたようです。本堂前には学者・医者であった高野長英の顕彰碑などがあり、それなりの古さを感じさせます。信州の善光寺と同じように「戒壇めぐり」がありましたが、信州よりこちらの方が怖い「戒壇めぐり」でした。

北青山から南青山に歩いてくると「港区立青南小学校」があります。校内には、中村草田男記念碑がありました。名前は分からなかったが句碑に「降る雪や明治は遠くなりにけり」とあります。伯母さんもよく「明治も遠くなりにけり」と言っていたが、降る雪やを省略していたんですね。私も60歳を過ぎ「昭和も遠くなりにけり」・・・。 作者がこの小学校の出身で創立70周年に建てられたようです。
学校の近所のマンションの入り口には、斎藤茂吉の歌碑がありました。青山脳病院跡で斎藤茂吉の住居跡でもあります。茂吉の子でもある北杜夫は、「楡家の人びと」で自身の家族をモデルに大正・昭和にわたる精神科医一家を描いています。なお、北杜夫も青南小学校に在籍していました。
表通りの都道413号線の根津美術館前に出る。幹事のMさんの案内に入館料1100円かかるため参加者の希望でとなっていたが、見学することに。
根津美術館は、実業家(東武鉄道・富国生命創始者)根津嘉一郎の遺志により下屋敷の跡の私邸に開館しました。根津は収集家としても知られ、緑豊かな日本庭園・茶室など美術館だけでなく四季折々の風景も楽しめる。国宝・重要文化財などの多くが収蔵されている。

美術館を出るころは丁度12時過ぎのため1カ所回ってランチにすることにし、永平寺別院長谷寺に入る。江戸初期に藩の菩提寺として創建されたのが始まりで、その後、永平寺別院となり「麻布大観音」として親しまれた。右手のお堂に大観音像が祀られているが、現在の像は、昭和52年に完成したもので高さ10mの像で都内ではなかなか観られない大きな像です。墓地には、黒田清輝、井上馨など著名人のお墓が多くある。

長谷寺のそばのCafeにて食事を済ませて慈眼院と大安寺に立ち寄る。この二つのお寺は、隣り同士であった。同じ宗派で長谷寺が関係しているようである。もう一つ珍しいのが、大安寺の墓石が建物の中にあった、一同何故だろうと?隣りがマンションのため墓石が見えないようにしているのでは?とか、多くの墓石が建物の中に並んでいるのは初めて見た。

六本木駅に近づき、出雲大社に入る。鉄筋コンクリートのお社である。島根の出雲大社を思っていると「エッ」となるが表札には出雲大社東京分祠とある。祭壇等は階段を上がった2階にある。創建は明治に入ってからであり歴史は新しい。しかし縁結びの神の力は偉大である、平日にも関わらずお参りの方がおりました。願いが叶うといいですね・・・

青山、麻布、六本木と有名寺院の別院、分祠を巡ってきたが、なかなか回れないコースである。しかし、あらためて青山・麻布・六本木は年金生活者には関係ない場所であることも分かった。

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