爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

豪徳寺、松陰神社の日帰り散歩

2014-05-12 12:42:25 | 日記
 5月の日帰り散歩は、世田谷「豪徳寺」方面を散策。
 北千住駅からメトロ千代田線の代々木上原経由で豪徳寺駅に着く、昔では考えられない便利さである、これも相互乗り入れの恩恵である。「豪徳寺駅」で下車すると、「招き猫」のお出迎えである。TVで「豪徳寺」は招き猫の発祥の地という紹介があった。領内を見廻り中の彦根藩井伊直孝が突然の雷雨に遭い、猫に門内に招き入れられ落雷を免れたことから、井伊家の菩提寺となったと伝えられ、豪徳寺は井伊家の菩提寺と招き猫で有名なお寺である。もともと豪徳寺一帯は、吉良一族が治めており豪徳寺は伯母を弔うため創建し前進を「弘徳院」と言った。吉良家一族の菩提寺は近隣に「勝光院」がある。

井伊家の墓石は、他の墓石とは区分けされ、菩提寺とは「こうなんだ」と思わせる広さであるが、歴代の方々を祀られているわけでない。東京都指定史跡である井伊直弼墓が奥まった所に祀られている。

招き猫は、何処に祀られているのかと思ったら、「招猫殿」の脇に並べられていた、シンプルな猫で大きいのから小さいのまでびっしり並べられている。
東急世田谷線宮の下駅付近に、吉良家の創建したと言われる「世田谷八幡宮」がある。
 境内に入ると、右手に弁天池があり、厳島神社の赤いのぼりが立てられていた。さらに奥には、円形の見物席も備わっ相撲の土俵がある、江戸時代には「江戸三大相撲」の一つと言われるほど有名だったそうで、秋季例大祭には、奉納相撲が行われる。

 松陰神社に向かう途中に「世田谷城址公園」がある。世田谷で唯一の歴史公園で、吉良氏が南北朝の頃、関東管領の足利氏から戦の手柄により世田谷領を拝領し築城した所である。その後、豊臣秀吉の小田原城攻めにより敗れた北条氏と親戚関係にあった吉良氏も運命を共にし廃城となった。全体像をイメージするのは困難であるが、空堀、土塁が昔の僅かに残る。

公園から区役所、国士舘大学の方に歩いて行くと松陰神社がある。松陰神社は、安政の大獄で刑死した吉田松陰を祀る神社で、幕末の高杉晋作らが小塚原(刑場)にあった松陰の墓を現在の地に改葬、明治になって社が創建された。「松陰神社」の名の上に「府社」とあるのは神社社格を表したものである。松陰の50年祭には伊藤博文や山縣有朋らの名前を刻んだ26基の燈籠が寄進され並んでいる。

境内には松下村塾の模造した建物もあり、吉田松陰の幕末に果たした役割の大きさを今に伝える。

 帰りは東急世田谷線の路面電車で三軒茶屋へ、

この電車、都電荒川線とともに都内で残っている路面電車である。全線5kmで駅区間1kmの世田谷線である。私が学生時代は、玉電と言って渋谷~三軒茶屋~二子玉川も走っていたが、交通量が多くなり、東急バスにそして地下鉄となった。元々はジャリ運搬用の電車だったらしい。唯一、三軒茶屋からの支線の世田谷線のみとなった。私自身、世田谷線は初乗車である、昔は緑色で古いイメージであったが、現在はカラフルでヨーロッパの路面電車のようである。
 三軒茶屋に着き、幹事のMさんが近くに目青不動があるので、お参りしましょうとの事で最勝寺へ。五色不動の一つで、前に目黄不動にお参りしたが、御堂が暗く色を感じ取ることできない。

 帰りも相互乗り入れで、三軒茶屋からも埼玉へは乗り換えなしで行ける、往復とも相互乗り入れの恩恵を受けた日帰り散歩であった。
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