樋線図という言葉は初めて聞く。江戸時代の水道管の配線図の事を言うそうで、「樋」は、「トイ」、「ヒ」と読みこの一字で「水を導き送る長い管」を意味し。水の出口の戸や水門という意味もある。
樋線図は、玉川上水開削から140年後に江戸上水の幕府公式記録(神田・玉川上水の建設記録)としてまとめられており、「上水記」として現在、東京都水道局の「東京都水道歴史館」に保存されている。この上水記の多くが樋線図で大判のものから地域ごとに分けた切絵図タイプのもの、特定の区域を描いたものや屋敷内の配管など・・・
樋線図は、地図とは異なり上水の管理に利用されたもので、内部資料的なもので多くは手書きで墨書のものの他、彩色されたものもある。
書式は、経路の違い配管構造(石樋、木樋、石枡、出枡、埋枡など)の違いなど、色分けしつつ描いてます。
東京は、江戸時代から世界有数の大都市であり、そのための都市整備に上下水の整備がかせない。いかに江戸幕府が上水にかかわる土木工事に力を注いできたかわかる。
※毎年、上水記展をおこなっているようです。今年は上記の日程です。
東京都は、東京近代水道120年とのことであるが。江戸時代からの上水も水質悪化のため浄水の必要にせまられ「淀橋浄水場」など着工した、これが東京都における近代化の始めである。しかし関東大震災後の都市整備が新宿にも及び昭和40年には閉鎖された。
※水道の近代化は横浜市が日本では最初のようです。
※画像すべてが東京都水道歴史館に展示・掲示されているものです。
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