爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

幸手市を散策 ~思い出の街を訪ねて~

2019-05-13 10:43:27 | 日記

新婚時代の数年を過ごしたのが、ここ幸手市幸手団地であった。私が住んでいた頃は北葛飾郡幸手町であったが1986(昭61)年10.1に幸手市となった。

東武スカイツリーラインから東武動物公園駅で東武日光線に乗り換える。日光線は、東武動物公園駅が起点となるが、私が通勤していた頃は杉戸駅という駅名であった。近隣に 複合型動物園が完成したため1981(昭56)年に駅名変更となった。日光線に入り杉戸高野台駅で下車する、この駅も私の通勤していた頃は無かった。幸手駅からバスで通勤していたが、現在は徒歩10分程で到着する。幸手市は、都心から約50Km離れており都心の団地と比べて住棟の圧迫感が無い印象を受ける。総戸数3023戸で駐車場が外周にあり団地内には車が入らないため居住環境は今考えても良いと思う。しかし高齢化であろうか中心部にある商店街、スーパー、金融機関等が様変わりしていた。 団地からのバス路線も幸手駅と杉戸高野台駅行きがあったが本数が少ないため帰りは歩いて杉戸高野台駅まで戻ることに。

幸手駅はやはり変わっていた、駅を降りた右手にスーパーがあったが無くなっていた、駅前ロータリーや通りが綺麗に整備されている。駅前通りの街灯には桜のデザインが、ここ幸手市は桜の名所で有名な「権現堂」がある。もう一つ観光の目玉となっているのが「幸手宿」といわれる宿場である。日本橋、千住、草加、越谷、粕壁、杉戸に続く6番目の宿場であり、また、ここ幸手は日光街道と日光御成道が合流する地点でもある。まだ日光街道沿いに古い商家が残っており、宿場であったであろう雰囲気を残している、保存されているほうだ。住んでいる時はそんな歴史的なことは思わなかった。

幸手市は、関東平野の中ほどに位置する人口約5万人の市である、埼玉県でも東側にあり、千葉県、茨城県と境をなしている。ほぼ平坦で沖積地、利根川に近く自然堤防などが見られるが市内全体が海抜10m前後である。30数年前は、水田が多く存在していたが、近年は国道4号線沿いに郊外型ショッピングセンター、外食産業が開店している。かつての中心部である日光街道沿いの買い物客が減少しているかと思われる。

観光パンフにもある、幸手市街歴史マップに沿って歩いてきた。30数年前はさほど気にもしないで通りすぎていた街並みも、今となっては古い商家は目立つ存在となっている。しかし明治、大正、昭和初期の建物の中で営業、生活を維持していくことは大変である。歩いてみて修理もままならない建物も多くあった。これは幸手市だけの問題ではないが・・・。歴史的遺産をどう残していくかが課題でもある。

 

30数年前の思い出を探したがなかなか出てこない、妻も幸手団地で何号棟に住んでたかもわからなくなっていた。

 

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